ヴァイオレット・エヴァーガーデン第9話 感想

ヴァイオレット・エヴァーガーデンとはどういう話なの?と聞かれるならば、戦争の兵器として育てられた少女が人間になるまでの心のリハビリテーションの物語だ、と僕は答えると思う。

少佐の命令というみちしるべを無くし戦後という世界に適応できなかった少女が、自身の存在価値を見つけるまでの物語。

別れの直前に少佐から「愛してる」という言葉を渡されるも、その言葉をきちんと受け取れず脳内でエラーを起こした彼女は、代筆業を通して「愛してる」の意味を探す旅を始める。

「愛してる」には沢山の意味が含まれている(そこが難しく、また愛おしい)けれど、その意味は全て大切な人から大切な人への暖かく輝かしい想いだ。そして、代筆という行為の中で愛してるの意味を一つ一つ知るたび、彼女は自責の念に駆られていった。

いつからか、「愛してる」を知るための旅は「戦争で人を殺めてきた私が、この世界にいていいんだろうか」という自問への答えを探す旅になっていった。

さて、今回の9話のテーマはいたってシンプルだった。彼女の最後の問いである「私は、生きていていいのでしょうか?」に尽きると思う。

五話のラスト、ディートフリートの言葉を受け取った時から今の今までずっと悩んできたその問いは、無痛だった火傷の痛みを呼び覚まし、彼女を蝕み、最後は大切な想いを呼び起こさせた。

 

『火傷』

僕はディートフリートの言葉ばかりに目が行きがちだったが、改めて考えてみると、一番最初の火傷を思い出させる種火はホッジンズの言葉だった。

そのことをすっかり失念していた…というか『ヴァイオレットの悩みを客観的に見て、乗り越えるべき障害を与える役割』としての言葉のようで、僕は言葉の意味ばかりを考えてしまい『ホッジンズが言った』という事実に思考が向かなかったというのが正しい。

今回の九話を見て、初めてホッジンズを知れたような気がする。

 

今回のホッジンズは、不思議な立ち位置だった。

ヴァイオレットがギルベルトの面影を探し彷徨い続けている時、彼は寄り添う母親のようだった。

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じゃあ、俺もここにいる。

君が一緒に戻ってくれるまで。

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引っ張って悪かったな。大丈夫か?

雨に打たれるヴァイオレットを連れ戻したのはホッジンズではなく、会話の流れから察するにベネディクトのようだった。

一話でヴァイオレットを車に乗せるのはホッジンズだったのだが、九話では車に引っ張っていくことが出来なかった事に違和感を覚えた。

 

そして、中盤以降の彼は厳しい父親のような印象だった。

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境遇がどうであれ、経緯や理由が何であれ、してきた事は消せない。

どうするかは自分で決めるしかない。

少佐を失った彼女に寄り添ったこと。

痛みを乗り越えさせるために寄り添わなかったこと。

この二つの顔が、ホッジンズが一人の人間として存在している証明のようでとても良かったと思う。

 

彼の二面性だが、ホッジンズの本心は後者の「寄り添わない」方だと思う。

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燃えているのはあの子だけじゃない。

俺や君だって、表面上は消えたように見える火傷の痕もずっと残ってる。

この言葉から分かる通り、彼自身もまた火傷を負っている。

ヴァイオレットを雨の中から連れ戻した帰り道、ガルダリク軍の和平反対派の被害による通行止めを食らった時に、軍時代の自分を飲み込みつつ後輩と会話したシーンから、ヴァイオレットと同じく彼の中にも軍として過ごした時間(=決して消えない火傷)が存在していることが感じられた。

彼もまた、ヴァイオレットと同じ痛みを知っているのだと思う。だからこそ、ヴァイオレットにとって一番辛い時こそ手を貸さない。サポートはするけれど、寄り添いはするけれど、乗り越えるのは自分の力でなければいけないと知っているから。

 

では、前者の『寄り添う母親』のような顔は何が根底にあったのか。

それは戦争時代の後悔と、ギルベルトへの贖罪と、ヴァイオレットへの共感が入り混じったものだったのかなと想像している。

元々、ホッジンズがヴァイオレットを受け入れた考えの底には、『ギルベルトから託された』という想いの他に、少女が戦線に投入されることに反対を言えなかった負い目も混じっているように見えた。純粋な善意ではない、彼の『自分の後悔、負い目を晴らす為』というエゴが混じっているように思うのだ。

しかし、それは決して悪いことではない。どんな思いであれ、今彼がやっている仕事が素晴らしいものであることに変わりはないと思うから。

彼も火傷を負っている。見えなくなっているだけで、カトレアやベネディクト、もしかしたら街ですれ違う人達も、見えない火傷を負っているのかもしれない。

それは、戦後という世界が単独で存在しているのではなく、戦時中という地獄から地続きの先にある安寧であり、戦後にヴァイオレットが存在してはいけない理由にはならない何よりの証明のように感じられた。

しかし、ヴァイオレット・エヴァーガーデンは自身の火傷に苛まれ続ける。『世界の全て』であるギルベルトを失った彼女は、自分が生きる意味を見失う。誰かの『世界の全て』を奪ってきた彼女は、生きていていいのか分からなくなる。

カトレアからの差し入れを食べず、ベッドに入らず、寝間着に着替えもしない。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品で丁寧に、大切に描かれてきた衣食住(=生きること)を彼女は放棄する。

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タイプライターで多くの想いを繋いできた銀の手で自身の首を締めるシーンはとても辛く、正直見ていられなかったが、彼女は自ら死ぬことは出来なかった。

少佐が繋いでくれた命だからだろうか。

銀の手は想いを繋ぐ手であって、命を殺める手ではないからだろうか。

色々と考えてみたけれど、僕にはわからなかった。

生きることも死ぬことも諦めた人形になってしまったようでいて、しかし溢れ出る涙と少佐への想いは彼女の心が確かに存在している証明のようで、苦しさと悲しさ、ほんの少しの嬉しさが混在した不思議な気分だった。

 

 『手紙』

九話の前半は明らかに色使いが暗く、彼女の心が戦争の黒煙に包まれている事が分かる。例え過去の戦火の煙だったとしても、それはずっと消えることはない彼女の過ちだ。人々は過去の過ちを忘却する、もしくは上手くかわし続けることで戦後の世界に適応する為、彼女を取り巻く黒煙を見ることはできないのだと思う。

なにより辛いのは、光のほとんどを彼女の陰を『より映えさせる為のもの』のようにアニメの画角の中に組み込んでいる事だ。戦後の世界が眩しいほど、そこで育んだ愛が輝くほど、彼女は自分の陰が濃くなっていく感覚に陥るのだろう。

しかし、後半。ローランドさんがノックと共に現れた瞬間から作品の雰囲気が変わった。

差し入れを持って行ったカトレアはヴァイオレットに会えなかった。火傷と向き合う事を選び続けてきたヴァイオレットと、火傷を見て見ぬふりをし(これは別に悪いことではない。むしろこちらが普通だと思う。)ここまで生きてきたカトレアの間には、触れ合えない壁が存在しているのだと思う。

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壁に囲まれていれば、当然届けたい光は届くはずはない。どうにかしてその壁をこじ開ける、ないしは開けさせることが必要だった。そこで現れたのが、アニメ公式サイトのキャラクター紹介にさえ名前が無い配達人、ローランドさんだ。

ローランドさんについて9話時点で詳細に語られた話はなく、強いて言えば「ワシ、食うよ?」くらいだろうか(ベネディクトが女子に焼きそばを振舞おうとしてフラれたシーン)。

本当の祖父のような暖かさと優しさは、普遍の幸せの代名詞のようだ。

『気遣われる気持ち』とは相容れなくとも、届け先に手紙を届けに来た『仕事』であれば、彼女は扉を開けてしまう。

それはとても自然で、当たり前のことだから。

しかし、その当たり前によって開いた扉からは、暗闇を優しく照らすオレンジの明りと共に、大量の手紙を携えたローランドさんが現れる。

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偶然か運命か、ベネディクトが足を挫き仕事ができなくなり(三話のスペンサー、もしくは四話のアイリス(どちらも本質を見失いかけた人が生きる意味、成し遂げたい目標を再確認する物語だ)のリフレイン。ヴァイオレットの代わりに足を挫くベネディクト可哀そう…)、ローランドさんの元には大量の未配達の手紙が残っている。

それを見たヴァイオレットが「手伝う」と言うのは、九話まで見た視聴者なら想像に難くない。なぜなら「与えられた任務に関しては、一切の妥協せず確実にこなす」というのが、軍人として彼女が自らの手を真っ赤に汚した個性であり、また同じく自動手記人形として誰かの大切な思いを掬い上げてきた彼女の個性なのだから。

 

彼女は手紙を配達するために、誰そ彼時に外へ出る。青空の元は眩しくてまだ歩けないけれど、街を仄かに照らす程度の灯りならば、彼女は自分の個性に従うことが出来る。

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そうして手紙を配達していく途中で、彼女は『手紙』には「待っている人」と「送る人」がいること、そこには「嬉しい」があること知る。

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配達を終え部屋へ戻ったヴァイオレットは、アイリス、エリカからの手紙を開く。読む手元を照らす蝋燭の炎は優しく暖かい光。過去の回想、八話、九話で散々大切なものを奪う存在として在った炎が、ここにきて同僚からヴァイオレットへの想いを照らす存在として在ることが本当に素晴らしい。

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使い方によって、炎は奪うことも照らすこともできる。まるでヴァイオレットのようだと思った。

 

ヴァイオレットへ向けられた手紙には沢山の事が書かれていたけれど、彼女達が伝えたかったのは『貴女の居場所はここにある』というたった一つの想いだろう。

居場所がある。待っている人がいる。そして、自分が嬉しさを感じている。

ヴァイオレットは実感することでしか前に進めない。リオンによって胸を締め付ける想いが「寂しい」という名前であることを実感できたように、オスカーによって大切な人を失うのはとても寂しく、悲しいことであると実感できたように、彼女はこの瞬間に嬉しさを実感している。

だから彼女は、スペンサーの代筆の最後に

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ルクリアも、喜ぶと思います。

と言えるのだと思う。なぜなら、自分が手紙を貰って嬉しかったから。

 

ルクリアの兄、スペンサーは戦争で足の自由を奪われた青年であり、彼もまた戦後の世界からはじき出された一人だけれど、今はルクリアのお陰もあり社会復帰することが出来た。ヴァイオレットが結んだ絆が、誰かの一部になっていく。それは形はないけれど、決して消えたりしない。

自分のしてきたことが誰かの笑顔を作っていたことを知った彼女は、スペンサーから「ありがとう」という言葉を貰い、自動手記人形の証を触る。

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この瞬間の彼女は、誰が何と言おうと自動手記人形なのです。

だから彼女は日陰から日向へと踏み出せる。

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すると、光溢れる明るい世界からヴァイオレットへ『依頼のその後』という『手紙』が届けられる。

ヴァイオレットへと届けられる手紙。

それは、兄妹の絆であり、

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夫婦の愛と両国の平和であり、

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悲しみに押しつぶされなかった娘との思い出であり、

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そして、『名前』という『願いの手紙』なのです。

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幼少期のヴァイオレットにとっては、ギルベルトが名前を付けてくれたという事実そのものが彼女への救いでした。名前が無いというのは、世界から存在を認められていないように感じられることもあるでしょう。だからそんな彼女に、ギルベルトは輪郭を与えた。

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ヴァイオレット…。

ヴァイオレットだ。

そして、その輪郭には「いつか来る平和な世界になった暁には、彼女に自分の色を見つけてもらいたい」という願いを込めた。

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その名が似合う人になるんだ。

 

名前は、一番身近な手紙だと思う。「どんな人になってほしいか」という願いは人それぞれだからこそ、世界には沢山の名前が生まれる。そこに同一なものは何一つだってないと思っているけれど、名前の輪郭のさらに奥を覗くと、根底には共通の想いが見えてくるのではないだろうか。

 

その想いこそが

あなたが幸せでありますように。

 という願いであり、つまるところ、

愛してる

なのではないでしょうか。

 

ヴァイオレットが探していたものは、どこよりも、なによりも、彼女の一番近くにあったんだと思います。

 

 

 

 

そして、答えを見つけたヴァイオレットはホッジンズの元へと駆け出し、問いかけます。

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社長の仰る通り、私は沢山の火傷をしていました。

…いいのでしょうか。

私は自動手記人形でいて、いいのでしょうか。

生きて、生きていて、いいのでしょうか?

彼女がしてきた「愛してる」を探す旅は、贖罪の旅として姿を変え、それでも沢山の愛を繋いできた。

贖罪の旅で悩み続けた罪の意識の中、彼女の心に湧いてきたのは、「私は生きていていいのだろうか」という自責の念。

彼女は九話の最後に同じ疑問を、同じ言葉で、しかし「自責の念」からではなく心の底から「生きていたい」という想いを込めて、ホッジンズにぶつけます。

ホッジンズがずっとヴァイオレットに見つけてほしいと願っていたもの。それはギルベルトがいないこの世界で、それでもヴァイオレットが「生きていたい」と思えることだったのではないでしょうか。

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一話から九話までの時間全てが、「ヴァイオレットちゃんは生きていていいんだよ」というたった一行を伝えるための、壮大で不器用な手紙だったようにさえ思います。

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沢山の人の想いや後悔、願いや祈りが折り重なり、何層にも重ねられた物語。

一枚一枚丁寧に見ていくと、その奥底にはとても胸を打つ暖かい愛がありました。

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ヴァイオレット・エヴァーガーデン第九話、本当に素晴らしい物語でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ、最終回じゃね……?

 

※この記事に引用された全ての画像の著作権は、暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会が保持しています。