鬼滅の刃 第19巻、というかもろもろ含めた鬼滅全体の感想【※19巻ネタバレ注意】

人は、一人では生きていけない。

 

 

鬼滅の刃はどんどんと人が死んでいく。

顔も名前も知らないモブキャラのような隊士から、みなを導く柱まで、多くの命が亡くなっていく。

上弦の弐・童磨の言葉で胸に刺さったものがある。

現実では真っ当に善良に生きている人間でも理不尽な目に遭うし、

悪人がのさばって面白おかしく生きていて甘い汁を啜っているからだよ

天罰は下らない

だからせめて悪人は死後地獄に行くって、そうでも思わなきゃ精神の弱い人たちは やってられないでしょ?

つくづく思う

人間って、気の毒だよね

(第161話ー蝶の羽ばたき)

 僕も童磨ほどではないけれど、同じことを思っていた。

どうしてこんなに優しい人なのにひどい目に遭わないといけないんだろう。なんで悪いことをしている人がゲラゲラ笑い、良いことをしている人が泣かなきゃいけないんだろう。本当、世の中はクソだな、と思っていた。というか今も思っている。

 

けれど、クソな世界の中で、それでも美しく生きる人たちがいる。より輝いて見える。

鬼滅の刃を読むたびに僕は泣いてしまうのだけれど、それは悲しさ、やるせなさだけじゃない。その美しさに僕は胸が震え、涙が止まらないのだと思う。

 

カナヲの花の呼吸・終ノ型『彼岸朱眼』は動体視力を跳ね上げる代わりに視力を失う可能性があった。童磨を斬るためには使わねばならない。使うこと自体に躊躇いもない。けれど、カナヲの失明を案じるしのぶの顔が彼女の頭を過る。

自分は命さえ失おうというのに、どうして私の視力の心配なんてしたんですか?

(第162話ー三人の白星)

 

呼吸を使えない不死川弦弥は、力を求めて鬼を喰い、兄に認められる隊士になりたかった。しかし、兄の実弥はそんな弦弥に厳しい言葉を浴びせ続けた。

最終決戦、上弦の壱との戦いで弦弥は体を切り刻まれてしまうが、遅れて駆け付けた実弥の助太刀で一命はとりとめる。そんな時、弦弥がずっと疑問に思っていたことを、実弥はつぶやいた。

テメェは本当にどうしようもねえ弟だぜェ

何の為に俺がァ母親を殺してまでお前を守ったと思ってやがる

(第166話ー本心)

 

今という不条理な現実と戦うことに精一杯の弦弥とカナヲには、まだ分からないこと。けれど、長く戦い続ける者、死を身近に感じた者、下の世代を護り続ける柱が望んでやまないこと。

それは、

光り輝く未来を夢見てる 私の夢と同じだよ

大切な人が笑顔で天寿を全うするその日まで 

幸せに暮らせるよう

決してその命が理不尽に脅かされることがないように願う

たとえその時自分が 生きてその人の傍らにいられなくとも

生きて欲しい 生き抜いて欲しい

(第168話ー百世不磨)

隊士達が書いた遺書の内容はどれも似通っていてね、私の夢と同じだ、と産屋敷は笑った。

実弥は弦弥を思って涙を流した。

おそらく、しのぶもそうだ。

遺書とは、死を身近に感じた者の言伝で、本来、何を伝えたいかは人それぞれなはずだ。

しかし、それでも皆が願うのは『自分の近しい者の末永い幸せ』だった。

 

人は一人では生きていけない。

それは助け合わなければ簡単に命を落とすからではなく、そもそも今立っているこの世界が、誰かから誰かへの幸せを願う心と、それを現実のものにしようと積み重ねる最大限の努力で成り立っているからだ。

誰しもが、その上に立っているからだ。

 

鬼は強い。それは屈強な肉体と再生能力、そして固有の血鬼術による。

そして、人は脆い。しかし脆い=弱いではない。

脆いからこそ護る意思が生まれ、その意思は何よりも強く美しい。

柱や母親、兄弟たちの護る意思は、大切な人がいる証明だ。本当は弱いのかもしないけれど、大切なものを護りたいと思えた時、その人は少しだけ強くなれると思うのだ。

 

そして、沢山の努力と犠牲の上で柱たちが命を懸けて勝ち取ってきた時間。

その時間の中で、炭治郎たちは無力さを噛みしめながら、絶望に苦しみながら、それでも力をつけてきた。護る力を培ってきた。

そう考えると、「護ってくれるあなたを守りたい」と思いながら力をつけてきた弦弥やカナヲには、実弥、しのぶの気持ちが分からなくて当然かもしれない。

柱の二人が護りたいのは「下の者と、その者たちの末永い幸せ」で、ひよっこの二人が護りたいのは「いつも護ってくれるあなたと、その日常」で。

そもそも、護るべき対象が違っているのだから。

しかし、カナヲや弦弥の想いは簡単に打ち砕かれる。

鬼という存在に、理想論は通じない。

柱たちが「護りたいものを護るためには自分の命を懸けるしかない」と判断する程に鬼は強大で、それが現実だから。

それでも皆、刀を握る。思い出や願い、祈りを込めて刃を振るう。

 

その源泉にある思いこそが人を人たら占めるものであり、すなわち「愛」なんだと思う。(書いててこっぱずかしいが笑)

 

猗窩座は恋雪を、護るべき愛を思い出した。だからこそ、鬼ではない「何か」として死ねたのだろうか。

童磨は人間の時も、鬼になってからも、あらゆることに無関心だった。他人に興味が無かった。彼の心は、鬼になる前からずっと鬼だったのではないだろうか。

累は家族に憧れ、暴力で家族の形に縛る事しかできなかったけれど、両親は鬼になった累と一緒に地獄へ落ちることを選択してくれた。

妓夫太郎は自分のせいで梅が堕姫になってしまったと悔いて、兄妹の縁を切ろうとするも、梅は「一緒に地獄へ行く」と諦めず、最後は二人、地獄へ歩いていくことを決めた。

 

人は一人では生きていけない。

だからこそ手を取り合い、助け合い、愛が生まれる。

家族愛、友愛、恋愛、様々な形の愛が生まれる。

人にあって、鬼にないもの。

鬼になり忘れても、心の奥底では消えないもの。

誰一人として同じ人生模様を歩いていないのに、どこか共通している祈りのような、願いのようなものが、確かに在るんです。

僕は鬼滅の刃のクソみたいな世界の中で、それでも信じたいと思えるこの綺麗なものがやっぱり大好きで、それを踏みにじる者は鬼だろうが人だろうがやっぱり大嫌いで。

ここが重要なんですけど、鬼だけじゃないんですよ。踏みにじるの。

むしろ、鬼に変わる原因が心無い人間の場合もあるんですよね。

だからこそ、僕は炭治郎が好きなんです。

この子、結果を求めて言葉をかけるのではなく、心から思っていることを事実として喋るんですよ。

炭治郎は正しさと優しさを信じていて、その信じるものの為に動くんです。そんな彼が言うことだから、クソみたいな世界に大切なものを歪められた人に、ありのままの言葉が届くんです。

俺に母親なんかいねえ!!

伊之助のお母さんはきっと、伊之助の事が大好きだったと思うよ

(第163話ー心あふれる)

鬼殺隊に入ったことをすごく怒ってはいたけど

でも憎しみの匂いは少しもしなかったんだ

だから怯えなくていいんだよ

伝えたいことがあるなら言ったって大丈夫だよ

実弥さんは弦弥のことが

ずっと変わらず大好きだから

(第166話ー本心)

伊之助や弦弥の心にそっと手を添えるような、じんわりと温かくなるような炭治郎の言葉と表情が、大好きなんですよ。

炭治郎の言葉がその人の中で、その人の心を支える柱になってるんですよ。

自分だって大切なものを奪われて、辛い思いも、痛い思いもしてるのに、それでも正しさと優しさを信じてるんですよ。

 

この子が主人公で良かったと心から思うし、今こうして社会現象のように流行っていることが本当に嬉しい。

 

 

いやー…今回の19巻。

伊之助が泣けて良かったなぁ。

弦弥が泣けて良かったなぁ。

カナヲが泣けて、本当に良かったなぁ。

 

 

20巻も、心の底から楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

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炭治郎みたいになりてえなぁ。

呼吸は使えなくていいから、誰かの大切なものを大事にしたい。