ポケモンレジェンズZA M次元ラッシュについて語りたい

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良くも悪くもある。ただ、ずっと覚えていたい物語。

『Pokémon LEGENDS Z-A M次元ラッシュ』を遊び終えました。

毎日の楽しみとして少しずつサイドミッションをプレイする日々を送り、最終的にはサイドミッションコンプリートまでプレイしてしまいました。

世間的な評価があまり良くなさそうなことは、なんとなく目に入る情報から察しています。

僕の個人的な感想としても、完成度だけを冷静に採点するなら決して満点に近い作品ではないと思います。

でも、エンディングまで見終わったあとに僕の中に残っていたのは、そういう不満ではなく、ずっと「素敵な物語だったな」という気持ちが大きくて。

レビューを語ろうとすると不満が、感想を語ろうとするとこの作品への愛で胸の中が満たされる。そんな作品でした。

 


アンシャ:子供らしい少女

M次元ラッシュは、アンシャが母親へのプレゼントとしてレックウザを探すところから始まります。

強いトレーナーである大好きなお母さんに、強いポケモンであるレックウザをプレゼントしたい。

それはずいぶん単純な発想だなぁと思ったりもしたけど、色々と考えているうちに笑顔になってしまった。

僕も子どもの頃、伝説のポケモンや幻のポケモンが大好きだった。

「強い」というだけで特別に見えたし、持っている友達がいれば羨ましかった。

どうしても捕まえられないポケモンがいたら、先に捕まえた友達に捕まえ方を聞いたりしたこともある。

そう考えると、アンシャの発想は妙に懐かしかったんですよね。

子どもって、こういうところがあるよなぁって。

「すごいもの」を手に入れれば、それだけで何かが満たされると思っていて、昔の僕もそうだった。

そして、そんなアンシャを見て「子どもらしいな」と思える自分に気づいたとき、少しだけ寂しくなりました。

ああ、自分はもう、そっち側ではないんだなと。

ポケモンを遊びながら、そんなことを考える年齢になってしまった。


アンシャ:大人びた少女

ただ、アンシャは単純に「幼い子」として描かれているわけではなく、そこがこの子を好きになった理由でもある。

レックウザにはどうしても会いたい。

それなのに、異次元ミアレの問題が大きくなったとき、アンシャは自分の願いよりもミアレの安全を優先する。

あのときの残念そうな、だけど周りに気を遣わせないような笑顔を見て、僕はすごく胸が締め付けられました。

もし、ただ「ミアレのためなら仕方ありません!」と迷いなく切り替えていたら、たぶんここまで心には残っていない。

だって、本当は会いたかったはずだから。

レックウザを探すために、泊っているホテルシュールリッシュから抜け出して、MZ団に飛び込んで。

ずっと楽しみにしていた、あの気持ちがなくなったわけではない。

だから残念そうな顔をする。

それでも、今は自分の願いより大事なものがあると判断する。

欲しくないものを諦めるのは簡単だと思う。

けど、本当に欲しいものを、それでも一度手放せるから、その決断には意味がある。

子どもらしい憧れも持っている。でも、人のことを思いやることもできる。

その二つがアンシャの中にちゃんと同居していた。

僕はそこで、「優しくて素敵な子だな」と、「全部解決して、レックウザを探してあげたい」と素直に思えました。


本当に大切なものに気付けた少女

物語の最後、アンシャは母親にレックウザを贈りませんでした。

贈ったのは、ドーナツと本。

異次元ミアレを調査するために、みんなで何度も作ったドーナツと。

MZ団と一緒に過ごした冒険を自分なりにまとめた本。

僕は、この結末が本当に好きなんですよね。

 

最初から最後まで、アンシャがお母さんを大好きなことは変わっていない。

変わったのは、

「大好きな人に、何を渡したいのか」

だった。

最初のアンシャは、「強いお母さんには、強いポケモンを贈ろう」と考えていた。

最後のアンシャは、「私がこんな時間を過ごしたことを知ってほしい」という気持ちが芽生えた。

 

誰と出会ったのか。

どんなことをしたのか。

何を楽しいと思ったのか。

自分がどんな場所を好きになったのか。

そういうもの全部を絵や本にして、母親のところへ持って帰った。

それって、すごく素敵で、子どもらしい。

子どもが旅行から帰ってきて、「ねえ聞いて、こんなことがあったんだよ」と一生懸命話すのと同じだなと。

結局、親が一番嬉しいのは、珍しいお土産なのではなくて、子どもが楽しそうに自分の経験を話してくれることだったりする。

アンシャのお母さんも、きっとそうだったのだと思う。

実際、プレゼントを渡す場面そのものは描かれない。

でも、そのあとアンシャは、お母さまがたくさんのドーナツと「物語の続き」を望んでいるから、これからもMZ団との冒険を続けるのだと話す。

それだけで十分だった。

レックウザではなく、その子が持ち帰ってきた物語をもっと聞きたい。

多分お母さんは心のそこから嬉しい気持ちに満たされたんじゃないかと思う。


MZ団という居場所

そして、僕が一番アンシャを愛おしいと思ったのは、その少し前だった。

レックウザ探しが終われば、もうドーナツを作る必要もなくなるとアンシャが寂しそうに話す。

たぶん本人は、そのとき自分が何を寂しがっているのか、まだよく分かっていなくて。

「ドーナツを作る機会がなくなるから寂しい」と話すその言葉の裏には、MZ団のみんなと一緒にいる理由がなくなることへの不安があったんじゃないかと思う。

 

レックウザを探す。

そのためにドーナツを作る。

そのためにMZ団のみんなと行動する。

 

アンシャにとっては、それらが全部つながっていた。

だから旅が終われば、この時間も終わってしまうような気がした。

たぶん、アンシャ自身も気づかないうちに、MZ団のことが好きになっていたんだと思う。

ここにいたい。まだ一緒にいたい。

でも、それを「ここにいたい」と言葉にできるほど、自分の気持ちをまだ理解していない。

そんなアンシャに、主人公たちが笑って「まだまだ作ってよ」と言う。

あの一言が、僕にはとても優しく聞こえたんですよね。

ドーナツが必要だからじゃない。

君とまだまだ一緒にいたいから。

それを直接的ではなく、アンシャの歩みに寄り添って言葉をかける。

その優しさが温かいなと思いました。

 

最初は、レックウザを探すという目的があったから一緒にいた。

でもいつの間にか、目的がなくても一緒にいたい人たちになっていた。

アンシャにとってMZ団は、

「目的のために一緒にいる仲間」から、「目的が終わっても帰りたくなる居場所」へ変わった。

たぶんM次元ラッシュで僕が一番好きなのは、ここだと思う。

 


遠回りの中に宝物がある

だから僕は、アンシャが見つけたその居場所そのものが、母親への最高のプレゼントだったんじゃないかと思っています。

娘が、「私はここで大切な人たちに出会ったよ」と帰ってくること。

それ以上に嬉しいものが、親にあるだろうか。

物語の最初、母親はただ「大好きなお母さん」だった。

それが最後には、

「自分がこんなふうに成長したことを見てほしい相手」

にもなっていた。

そしてアンシャは、レックウザにもちゃんと「ありがとう」と言える。

レックウザに会いたいと思ったから、この旅が始まって。

その旅の途中でドーナツを作って。

MZ団と出会った。

たくさんの思い出ができて、居場所までできた。

だから、

「あなたを探したことで、こんな素敵な時間に出会えました」

と言える。

結果だけを見れば、最初に想像した終わりに着地できなかった旅だったのかもしれない。

でも、目的地へ向かう途中で拾ったものが、いつの間にか目的地よりも大切になっている。

僕は、そういう話が好きなんだと思う。


『ポケモンらしさ』が詰まっている

僕は、ポケモンらしさとは「子供が冒険に出て、ポケモンたちと触れ合って、すこし成長して、自分の世界観、価値観をアップデートして、帰ってくる」ことだと思っている。

そして今一度振り返って考えてみれば、M次元ラッシュは、アンシャにとってずっとそういう物語だったのかもしれない。

 

子どもが家を出る。

ポケモンと出会う。

知らない街へ行く。

知らない人と話す。

時には怖い思いもする。

そして、少しだけ成長して帰ってくる。

 

旅の目的は確かにある。

でも、本当にその子を変えるのは、目的を達成した瞬間ではなく、その途中で誰かと笑ったり、困ったり、別れたりした時間だったりする。

ZA本編は、個人的にはとてもとても好きで、ただ、物語としてはテーマが過去の贖罪だったりと、少し大人びてもいた。

だからM次元ラッシュでは、主人公自身ではなくアンシャが「冒険をして少し成長する子ども」の役割を担っていたのかもしれない。

 

そして僕たちは、その成長を隣で見守る側だった。

そう考えたとき、不思議な気持ちになった。

ポケモンを好きだった子どもたちは、もうずいぶん大人になった。

もちろん今でも僕たちはポケモンを遊ぶ。

でも同時に、これから初めてポケモンに触れる子どもたちもいる。

その子たちが、昔の僕たちと同じようにポケモンを好きになって、ポケモンと一緒に少し成長していく。

そうやってポケモンの世界は回っていくんだろうなと思ったし、子供たちがこれからも熱中し続けるコンテンツであり続けてほしいなと、心の底から思った。


相変わらずサイドミッションの完成度が高い

サイドミッションがとてもよくて、むしろM次元ラッシュを買ってよかったと思う理由のかなり大きな部分が、ここにあります。

ZA本編の大きな物語が「贖罪」のようなテーマを描いているとすれば、サイドミッションはもっと生活に近い。

人とポケモンが、一緒に暮らす。

それがどういうことなのかを、小さな物語の積み重ねで見せてくれる。

人間とポケモンは、いつでも理想的な関係を築けるわけではなくて。

すれ違うこともある。迷惑をかけることもある。それでも、互いを好きになることもある。

そういう距離感がすごくよかった。

中でも好きだったのが、フレア団ヌーヴォのグリとグリーズの話。

グリは、自分が犯したわけでもない過去の罪を背負って生きている。

街が大変なときには炊き出しをして、自分の願いを叶えたいときも、正攻法でZAロワイヤルを勝ち進んで。

もう十分じゃないか、もう胸を張って歩いていいんだよ、と僕は思う。

それでも本人は、簡単にはそう思えない。人って、たぶんそういうものなんだろうけれど。

頭では「もういい」と分かっていても、自分だけは自分を許せないことがある。

そんなグリに、グリーズが、

「君もリザードンも、表舞台で輝きなよ。そのほうが似合ってると思うけど」

と声をかける。

優しく抱きしめるわけでもない。

大げさに励ますわけでもない。

ただ、少しぶっきらぼうに、「もう前に出てもいいんじゃない?」と伝える。

その距離感がすごく好きだった。

いつまでも踏み出せないグリも。

そんなグリを急かしすぎず、でもちゃんと背中を押すグリーズも。

二人とも、なんだかとても人間らしくて愛おしかった。


「アオガラスの尋ね人」も忘れられない。

まだココガラだった頃、怪我をしていた自分を助けてくれた男の子。

その子がガラルからミアレへ引っ越したあとも、アオガラスは忘れていなかった。

もう一度会いたくて、遠く離れた地方から飛んでくる。

考えてみれば、それだけの話だ。

でも、その「それだけ」がいい。

助けてもらったことを覚えている。

もう一度会いたいと思う。

会うために自分から、海を越えて飛んでくる。

そして再会した男の子も、本当に驚きながら、これからは一生一緒だと言う。

あの話を見て、改めてポケモンも誰かを好きになるんだよな、と思ってウルっと来た。

人間がポケモンを選ぶだけじゃない。

ポケモンの側にも、「この人がいい」と思う気持ちがある。

会いたい人がいて、帰りたい場所がある。

そんな当たり前のことを、すごく丁寧に見せてもらった気がした。

こういう話が見たかった。

サイドミッションを遊びながら、そう思う瞬間が何度もありました。


メインストーリーのもったいなさが惜しい

だからこそ、メインストーリーのキャラクターの使い方には、もったいなさが残った。

特にカラスバ。

今回のカラスバは、異次元ミアレ調査の案内役としてかなり長い時間、主人公たちと関わる。

でも遊び終えて振り返ると、「なぜこの役をカラスバがやっていたんだろう」という疑問が残ったんですよね。

サビ組には人が多いから人海戦術で調査できる。

カラスバ本人も寝ずに調査している。

そういう説明はある。

 

でも、その頑張りが物語の中で印象的な場面として見えるわけではない。

結果として、カラスバだからこそできた仕事にはあまり見えなかった。

僕はカラスバの、少し距離を取ったところから主人公たちを見ている感じが好きだった。

全部を見せない。でも必要なときには現れる。

気にかけていることも、露骨には言わない。

そういう、つかず離れずの距離感が格好いい。

今回も格好良さ自体は変わらなかった。

ただ、出番が増えたのに、新しく好きになる部分はあまり増えなかった。

それが惜しかった。

 

むしろ、ずっと隣にいるより、どうにもならないところで突然助けてくれるほうが似合っていたと思う。

例えば、クエーサー社が「異次元のひずみには近づかないでください」と市民へ呼びかけても、面白半分で近づく人がいて、被害が拡大しそうになる。

正攻法では止められない、そんなときにサビ組が出てきて、少し荒っぽく追い返す。

表の人間にはできないやり方で、結果的に街を守る。

そんな活躍だったら、数分しか出番がなくても、ものすごく格好よかったと思う。


そして、その代わりにもっと前へ出てほしかったのがタウニーだった。

タウニーは本編でクエーサー社の次期社長になった。

MZ団かつクエーサーの次期社長なら、異次元ミアレの調査をMZ団へ依頼するのは、タウニーの役目でよかったんじゃないだろうか。

何より僕は、新社長になったタウニーが、街のために走り回っている姿を見たかった。

異次元ミアレから市民を守るため、クエーサー社としてできることを必死に考える。

タウニーが表のミアレを守って、裏の異次元ミアレで戦う主人公たちを支える。

そういう構図なら、本編からのつながりもすごく綺麗だったと思う。

 

そして最後には、タウニーがずっと助けてきた街の人たちが、今度はタウニーを助ける展開があったらよかったなと思う。

「いつも助けてもらっているから」、「今度はこっちの番だ」と。

最序盤にバターを貰うところくらいしか、タウニーの人助けが報われるシーンがないのがとても寂しかった。

タウニーだけだと大変な時に、街の人たちが立ち上がって、タウニーを支える。

そんな場面があったらよかったなと妄想してしまいます。

僕もサイドミッションを200個やったからわかるんですけど、めちゃくちゃ大変なんですよ。タウニーの人助けって、言い換えると主人公のサイドミッションと同じことをやっているんですよね。

だからこそ、タウニーは報われてほしかった。

ずっと誰かのために動いてきた人だからこそ、その善意がちゃんと本人のところへ帰ってきてほしかった。


ゲーム部分としての良し悪し

ゲームとしての異次元ミアレは、楽しかったところと、しんどかったところが半分ずつくらいだった。

制限時間の中で、「先にこっちをやろう」、「このミッションなら間に合いそうだ」と考えて走り回るのは楽しかった。

時間制限があるからこそ生まれる忙しさが、ちゃんと遊びになっていた。

異次元ミアレという世界そのものも好きだった。

見慣れたミアレなのに、どこかがおかしい。

何が起きているのか分からない。

少しずつその正体が明らかになっていく。

未知のものを調べている感覚には、しっかりワクワクした。

一方で、ランダム性にはかなり振り回された。

特にボーナスボール。

ミッションを全部クリアすると出現して、壊せば大量のアイテムをもらえる。

でも、どこに出るか分からない。

せっかく全部終わらせたのに、ボーナスボールを探しているうちに時間切れになる。

頑張ったあとに、もう一回運試しをさせられているような感覚だった。

あれは、普通にクリアした瞬間に報酬を渡してくれればよかったと思う。

もっとしんどかったのが、特定のポケモンを要求されるサイドミッションだった。

そのポケモンが出る異次元ミアレが発生するまで、ベンチで時間を進める。

ロードする。確認する。

いない。また時間を進める。

その繰り返し。

途中から僕は、YouTubeやNetflixを見ながら更新していた。

そこまでいくと、もうゲームを遊んでいるというより、ゲームが始まるのを待っている。

自分の工夫でどうにかできるならまだいいのですが、こればっかりは待つしかない。

そこはかなり辛かった。

異次元ミアレは、色違いやオヤブン、サイズを厳選する人にとっては、とても価値のある場所なのだと思う。

ドーナツの効果を調整すれば、そういう個体を現実的に狙える。

実際、そうした遊び方をする人から評価されているのも分かる。

ただ、僕自身はあまり厳選をしなくて、どちらかというと、出会ったポケモンとの一期一会を大切にしたい。

僕がこのDLCで楽しかったのは、異次元ミアレそのものというより、

その場所で誰と出会って、どんな話を見られるのか

だったのだと思う。


だから、このDLCの自分なりの評価が少し面白い。

不満は確かにある。

ランダム性は嫌だし、キャラクターの使い方も、もっとできたのではと思う。

それでも、遊び終えて駄作だ!おもしろくなかった!とはまったく思わなかった。

 

アンシャの寂しそうな顔を覚えている。

「まだまだ作ってよ」と笑ったMZ団のみんなを覚えている。

グリにかけられた、グリーズのぶっきらぼうな言葉を覚えている。

遠く離れた人に会いたくて飛んできたアオガラスを覚えている。

たぶん何年か経ったとき、細かいゲームシステムの不満は忘れているかもしれない。

でも、こういう場面はずっと覚えている気がする。

そういう作品だった。

 

そして考えてみれば、それはアンシャの物語と少し似ている。

最初に欲しかったものが、最後に一番大切だったとは限らない。

レックウザを探していたはずなのに、振り返ったときに宝物になっていたのは、その途中で過ごした時間だった。

僕もM次元ラッシュに対して、「ここが良かった」「ここはダメだった」と点数をつけることはできる。

でも結局、自分の中に何が残ったのかと聞かれたら、点数とは少し違う答えになる。

たぶん、欠点のない作品ではなくて、それでも僕は、このDLCを遊んでよかった。

最後まで遊んだからこそ出会えたものが、ちゃんとあった。

だから今は、「素敵な物語だったな」と思っている。

 

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ラブライブ!サンシャイン‼︎の沼津謎解き街歩き『僕らの永久hours』に絶対に行ってほしい!!!!!という話をしたい。

つい先日、リアル脱出ゲームとラブライブ!サンシャイン!!がコラボした沼津謎解き街歩き『僕らの永久hours』に参加してきました。

今回のブログは、これを読んでいるあなたに

「今すぐ謎解きに参加してくれ!!!」

という想いをネタバレなしで伝えるものになります。

すでに参加した方、これから参加するつもりで予定を立てている方は、なんなら読まなくても大丈夫です。

これから参加する貴方の沼津を歩く時間が、素敵なものになることを心から願っています。良く晴れた、暖かい日になりますように。

既に参加してきた貴方にとって、沼津を歩いたあの時間が、素敵な思い出になっていますように。

 

そして、僕はこのブログを読んでいる「行こうか迷っているあなた」に伝えたいのです。

リアル脱出ゲームに興味がないから…とか、もうAqoursとの思い出は十分もらったから…とか、手を伸ばせないハードルの前にいる、あなたの背中を押したいのです。

だって、それほどまでに、素晴らしい体験だったから。

 

とはいえ、貴方の貴重な時間とお金を消費するわけですから、ただただ「行ってほしい」と伝えても説得力がありません。

なので、どれだけ素敵なものだったか、少しでも伝わるように心を込めて書いていこうと思います。

 

よろしくお願い致します。

 

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皆さんは『街歩き謎』というものをご存じでしょうか。

この単語に聞きなじみがない方もいるかもしれないので簡単に説明しますと、街全体を舞台にして、看板や建物、歴史的なスポットなどをヒントに謎を解きながら周遊する体験型ゲームです。

 

わかりますか。

 

『街全体を舞台にして』

 

『看板や建物、歴史的なスポット』

 

などをヒントに謎を解く

 

『体験型イベント』

 

です。

 

 

なんでそんなに沼津に行くの?

 

沼津に何があるの?

 

旅行に行くたび、僕は周りの人に言われました。

「好きなアニメの聖地なんですよ」と答えるけれど、Aqoursが、ラブライブ!サンシャイン!!が好きな僕らなら、沼津に何があるか分かりますよね。

そこには、

彼女たちとの思い出が、

彼女たちを追いかけた日々の思い出が、

そして、温かい街の方々がいる。

 

SCRAPが手掛けるリアル脱出ゲームは、非常にクオリティが高いです。

部屋の装飾や世界観の構築、ナビゲーターの演技、そしてシナリオ。

どれをとっても、掛けられる予算の中で創意工夫が込められていて、感動するほどです。

そんなSCRAPが手掛ける、沼津を舞台にした街歩き謎です。

 

想像するとワクワクしませんか?

 

部屋の装飾は、沼津と内浦

街の人はずっとAqoursと共にこの街に生きる方々です。

 

世界観の構築は、Aqoursと過ごした私たちのすべての時間

涙を流して感動し、拳を掲げて喜び、喉が潰れるほどありがとうを叫んだ大切な思い出たちです。

 

解く謎は、SCRAPという天才クリエイターたちが手掛けた仕掛け満載の珠玉の宝箱

詳細は何も言いませんが、きっとSCRAPというクリエイターのことが大好きになると思います。

 

僕たちはあの日、ベルーナドームというホームで、杏ちゃんたちAqoursと感動のフィナーレを迎えました。

そして今度はもう一度、いつもの海、いつもの場所で千歌ちゃんたちAqoursと笑い合う機会が訪れたんです。

この物語で何が起きて、僕らが何を得たのか。

僕が伝えることはできません。

けれど、Aqoursとの時間が愛おしくて、抱きしめて離したくないと思える、絶対に忘れたくないと思える、最高の物語がここにあります。

 

5,500円は高いかもしれません。

移動費、交通費を入れるともっと高いかもしれません。

でも、僕は絶対に行ってほしいと、声を大にして言います。

 

Aqoursを追いかけた友人も、仲間も、知らない人も、みんなにこの物語を体験してほしいと、心から思うんです。

 

僕は、Aqoursが楽しそうなのが嬉しいと思うから。

僕は、Aqoursを追いかける沢山のファンが嬉しそうなのが嬉しいと思うから。

 

謎をすべて解いたとき、貴方はどんな顔をしているんだろう。

涙でぐしゃぐしゃかもしれません。

泣きながら笑っているのかもしれません。

けど、やって良かったと、心から思えるのではないかと思います。

確信はないけれど、僕らはAqoursが好きっていう共通点がある、似た者同士だと思うから。

 

だから、これを機に、ぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぜひ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、段々参加したい気持ちが高まってきたのではないでしょうか。笑

ここからは参加する方へのアドバイスをいくつか書きたいと思います。

こちらもネタバレはありませんのでご安心ください。

 

まず必要なものは、専用キットとスマホアプリです。

realdgame.jp

専用キットは引換券を上のリンクから購入後、当日にヌーマーズ(ゲーマーズ沼津店)で引き換えましょう。

11:00から引き換え開始ですが、30〜45分前には列ができ始めるので、早めに向かって待つのが吉です。

スマホアプリは、インストールしたら一度アプリを起動してボイスなどの一括ダウンロードをしておきましょう。

1GBほどありますので、Wi-Fi環境で事前に済ませておくのがベストです。

そして、イヤホンとモバイルバッテリーはマストです。謎解きは5〜7時間と明記されており、私もそのぐらいの時間がかかりました。車通りも多いため、イヤホンによる没入感とバッテリーによる安心感は絶対に確保しましょう。

また、風が強い日はバインダーがあるととてもやりやすいです。僕は風で謎解きキットがバタついたりして苦戦しました。

謎解きだけであれば1日でクリアできますが、最終のバスの時間は絶対に把握しておきましょう。謎解き後におまけストーリーがありますが、全回収するなら二日に分けたほうがいいと思います。

歩きやすい靴、防寒も大切です。結構歩くことになります(僕はメインの謎解きだけで2万歩弱歩きました)。

沼津は暖かいほうですが、夜は冷え込みますし、海から吹く風は冷たいので、風邪をひかないように気をつけてください。

 

 

準備ができたら、あとは楽しむだけです。

 

それでは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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行ってらっしゃい!

素敵な旅になりますように!

ポケモンレジェンズZAについて語りたい

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注意

DLCにはまだ入っていません。
XYはやったことありません。

ネタバレあります。

ZAってテーマが3つくらいありそう

贖罪の物語?

ZAは、単なる新しい冒険の物語ではなく、
「過去に取り返しのつかない選択をした者たちが、現在どのようなことをしていて、未来に繋げるか」を描いているように思う。

象徴的なのが、AZとフラダリの存在。
彼らはどちらも、理想や愛を理由にして、多くのものを犠牲にしてしまった人物だと思う。

ZAが描こうとしているのは、その罪をなかったことにする物語でも、簡単に許される物語でもなく、過去を背負ったまま、それでも前に進もうとする“贖罪の物語”なんじゃないかと感じている。

ミアレシティという一つの街に縛られた舞台設定も、「逃げずに向き合う」というテーマと相性がとても良いなと思った。

広い世界を旅して忘れるのではなく、同じ場所で、人と関係を結び続けながら、生き続ける。それはきっと、楽な選択じゃない。

だからこそZAは、爽快な冒険譚というより、静かで、重くて、それでも希望に向かって手を伸ばし続け、掴み、手放さない物語だったように思った。

ポケモンとの共生を「生活レベル」で描く視点

ZAでもう一つ強く感じたテーマが、ポケモンとの共生が、かなり身近な生活レベルで描かれているという点。

例えば、アパートを借りるときに「この部屋はポケモンと暮らしやすいか」を真剣に考える人がいたり、電気を盗むデデンネに困っている人がいたりする。

ここで面白いのは、ポケモンを「素敵な隣人」と捉えている人もいれば、「怖くて迷惑な隣人」と感じている人もいること。
NPCたちが同じポケモン世界にいながら、
まったく違う距離感で生きている。

ポケモンレジェンズ アルセウスでは、人とポケモンが共生する“前段階”から始まる物語だった。
だからこそ、ポケモンの凶暴さや、人が襲われて大けがをするかもしれない、という描写にも
フィクションとしての納得感があったし、それ自体が話題にもなった。

一方でZAは、命の危機よりも、もっと生活に根ざした「困りごと」が多い印象を受ける。
うるさい、怖い、壊される、気を遣う。でも同時に、助けられるし、癒やされる。どちらにしろ、一緒に生きていくしかない存在でもある。

だからZAの共生は、理想論でも恐怖でもなく、
「共生って、たぶんこういう地味な積み重ねだよな」と思わせてくれる描かれ方をしている。

派手さはない。でも、その分リアル。この距離感は、これまでのポケモンではあまり正面から描かれてこなかった部分だと思う。(BW、BW2、XYをやってないので見当違いかもしれません)

皆がミアレを愛している、という群像劇

ZAで強く印象に残ったのは、とにかく「みんながミアレを愛している」という点だった。

立場も役割も違うのに、多くの人が、それぞれのやり方で「この街を少しでも良くしよう」と動いている。

ポケモンとの日常的な困りごとに向き合うマチエールさんやサビ組。ミアレで起きる暴走メガシンカを止めようとするAZさん、クエーサー社、MZ団。ポケモンと人が対等な関係で生きるために、自らを鍛え続けるジャスティスの会。そして、フレア団の罪によって傷つきながらも、それでもミアレを守ろうとしたグリとグリーズ。

やっていることは違うし、正義の形も、選んだ手段も違う。時には衝突して、分かり合えない場面もある。それでも、「ミアレを想う気持ち」だけは、驚くほど共通している。

そしてプレイヤーである主人公は、そのど真ん中に立つ存在。

誰かの正義に肩入れしすぎることもなく、一番フラットな目線で、それぞれの想いと行動に触れていく。プレイヤー自身が、「どの想いに共感するのか」を問い続けられる構造になっている。
だからこそ、感情が一方的にならず、考えさせられるのかな、と思う。

立場の違う者同士がぶつかる場面には、「そこまで対立しなくてもいいのに」と思う瞬間もあったけれど、でも同時に、同じ街を大切に思っている人たちが、必死に行動している姿を見て、素直に嬉しい気持ちになった。

この感覚は、世界を救う物語というより、「街を守る物語」に近い。ZAがミアレという一つの街に舞台を絞った理由が、少し分かった気がした。

ミアレという街を愛していますか?

プレイヤー(主人公)は、ミアレ自体には特に思い入れがない状態で始まる。

真っ白なバックボーンで、旅行のようにふらりとミアレに現れて、ホテルZを拠点に行動を始める。そしてあれよあれよという間に、ミアレ、そしてカロス地方の命運を握る戦いに身を投じた。

 

なんなんだこいつは、と思う人も多いかもしれないけれど、そんなことはどうでもいい。

この街で楽しくおしゃれしたり、大好きなポケモンと散歩したり、写真を撮ったり、カフェを巡ったり。この街には思い出がたくさん、たくさんあるのだ。

最初は何の思い入れもなかったけれど、数十時間のプレイを経て、ミアレ大切に思っている自分や、この街で生きる人たちを応援したい気持ちそれが確かに生まれている。

それが戦う理由になる。

 

立場も何もかもバラバラな僕らが手を取り合えたのは、「ミアレが好き」というただそれだけの気持ちで、あの時交わしたグータッチが僕らの絆の証明で、みんなが繋いでくれたから救えたミアレシティで、僕らは今日もZAロワイヤルをする。

 

ミアレに始まり、ミアレに終わる。

だからこのゲームにはミアレシティしかないのかもしれない。

 

皆さんはミアレ、好きですか?

 

僕は大好きです。

 

ここまで読んでくれて、ありがとうございました!!!!

「僕らの海で、また会おう」Aqoursと紡いだ“青春の記録”

はじめに

このブログは、Aqoursフィナーレライブを見届けた僕が、心の奥で感じたことを言葉にして残した記録です。

かつてAqoursをずっと追いかけていた僕は、コロナ禍を境に距離ができ、そのまま何年も時間が止まっていました。

そんな僕が、フィナーレに足を運びました。

「今さら?」と思う人がいるかもしれません。「熱量がないくせに」と思う人も、きっといるでしょう。

その感情は、否定すべきものではありません。

むしろ、それはAqoursを本気で愛してきたからこそ生まれる、誇りある気持ちだと思っています。

だから、読まなくても大丈夫です。

あなたはあなたのままで、どうか幸せな日々を歩んでください。

それでも今、僕はこの気持ちを残しておきたかった。

あの時間を過ごして、心が動いたから。

「やっぱりAqoursが大好きだ」と、あらためて思えたから。

これは、僕にとっての「再会」の記録です。

そしてもし、これを読んで少しでも何か、プラスのものを感じてくれる方がいたなら、この文章には確かに意味があったと思います。

読んでくれて、ありがとう。

このブログが、どこかにそっと残るような言葉になれたなら、とても嬉しいです。

フィナーレの幕が上がる

Aqoursのフィナーレライブに行ってきました。

正直、ライブが終わった自分がどんな気持ちになるのか、まったく予想がつかなかった。感情を言葉にできるのかさえ不安だったけれど、今、胸に残っているのは「楽しかったなぁ」が99%、「寂しいな」が1%という、素直で、まっすぐな気持ちでした。

「DREAMY COLOR」に宿る、新しい始まりの光

ライブはいつか終わる。

でも今回は「フィナーレライブ」。そう言われた瞬間から、“終わる”ことが始まりよりも先に頭をよぎるようになった。

「どんな曲から始まるんだろう」

「早く始まってほしい」

「でも、まだ始まらないで」

そんな複雑な気持ちの隙間から、ダイヤちゃん役の小宮有紗さんが顔を覗かせた。

波打ち際に立ち、砂浜に「Aqours」の文字を刻むその姿は、始まりへの覚悟と決意の象徴のように思えた。

静寂の中、一人また一人と現れるメンバーたち。爆音も、ド派手な演出もない。

ただ「キャラクター」と「キャスト」が向き合い、“Aqoursそのもの”がそこに在ることの力強さだけが、空間を満たしていた。

そして、流れ出したのは『DREAMY COLOR』。

過去にブログでも語った、大好きなこの曲が、フィナーレの最初に流れた意味。それは決して偶然なんかじゃなかったと思う。

始まるんだ、始めたくなったら

生まれるんだ、新しいときめき

歌詞の一言ひとことが、胸に刺さって涙が出るほど嬉しかった。

これは「終わりに向かう始まり」じゃない。

これは「また始めたくなる場所」の始まりだ。

ライブのタイトルが「フィナーレ」であっても、Aqours“次の夢に向かって動き出す”空気を放っていた。

この曲がくれるのは、「僕らの決意が、始まりを作るんだよ」という信頼。

“始めたくなったら、また始めよう”

そう思わせてくれる、優しくて、力強い一曲だった。

そして、僕がこの文章を書く動機であり、再び「好き」と言葉にできた原点になっている。

出会いを、答えに

久しぶりのライブ参戦だった。

昔のように、ライブでAqoursと本気で向き合いたくて、僕は準備を重ねた。

仕事終わりにジムに通う日々。体力を戻すための行動でもあり、それ以上に「またAqoursと本気で向き合いたい」という気持ちが、僕を突き動かしていた。

その道中、何度も繰り返し聴いたのが『GEMSTONE “DE-A-I”』だった。

僕にとってこの曲は、自分の気持ちを高めてくれるブースターだった。

これから君はもっと輝くんだよ もっと!

アニメ、映画、ライブ。Aqoursからもらった輝きを胸に、僕自身も輝きたい。そう思って、もがいていた。

汗をかく度にこの曲に背中を押されていた。

けれど、ライブ当日。目の前に現れたこの楽曲は、Aqoursのパフォーマンスは、その曲に言葉だけでは表現できない熱と、新しい意味を宿して、僕の中に響いてきた。

きっと今までの出会いに答えがあるよ

いつも聴いていたこのフレーズが、目の前のAqoursから、真っ直ぐこちらに放たれた時。僕の中にある、いくつもの“出会いの記憶”が、ざわざわと動き出した。

Aqoursとの出会い。彼女たちを追いかけていた日々。

感動して泣いた夜、語り合った時間、知らない土地への遠征。

大きな喜びもあれば、心を深く傷つけられた日もあった。

でも、そのどれもが、“夢の原石”である僕の心を削ったり、磨いたりして、形を変えてきた。

きっと、もっと綺麗な形や、理想の色をした宝石を持っている人もいる。もっと眩しい世界線の自分が、どこかにいたかもしれない。

でも、今僕の心にある原石は、Aqoursと出会って生まれて、僕なりに考えて行動して出来た“僕だけの宝石”だから。

Aqoursは歌っていた。

「出会いの中に答えがある」と。

でも、僕はこうも思う。

出会いを“答えに変えた”のは、僕らの意志だったんじゃないか。

僕の出した答えは、Aqoursへの純度100%の熱意ではなかったし、誰かからすれば不完全で不快なものだったかもしれないけれど。

違う色、違う形、違う輝きを持った宝石。

Aqoursと僕らが一緒に作った、ひとりひとりの“GEMSTONE”。

憧れるものも、遠ざけたいものも、当然あるけれど。

その輝きが、これからも消えることなく、それぞれの道で光を放ち続けますように。

あのステージで放たれた歌声とパフォーマンスは、僕たちの‟歩んできた道”を、誰のものでもない一人ひとりの答えとして、肯定してくれたように感じた。

ただのライブじゃなかった。答え合わせだった。

そして、これからも歩いていくための、新しい始まりだった…のかもしれない。

フィナーレの中に、始まりがあった。

『DREAMY COLOR』も、『GEMSTONE “DE-A-I”』も、大好きで何度も聴いていた楽曲だった。

けれど、今回のライブで『Step! ZERO to ONE』から『デイドリ・スリワン』までの流れに触れたとき、体の奥にいつの間にか溜まっていた青春が、一気に噴き出すような感覚に襲われた。

これは、懐かしさじゃない。再会でもない。

「今、あの衝動が再び始まっている」と、そう錯覚してしまうほどの強い引力だった。

Aqoursの初期のトキメキを追いかけて走り出した自分にとって、あの瞬間は、まるでAqoursから「こうして私たち出会ったよね」と問いかけられたようだった。

そしてなにより、ステージ上のパフォーマンスが圧倒的だった。

笑顔、歌声の完成度の高さ、Aqoursと観客の声量のぶつかり合い、フォーメーションの気迫。

そのどれもが、単なる「思い出の再現」ではなく、今のAqoursだからこそ成し得た“アップデートされた衝動”だった。

気づけば僕は、全身汗だくになりながら、鳥肌が立っていた。感動を超えたどこかで、よくわからない笑いがこみ上げてきていた。

たぶんその瞬間、僕の中から“フィナーレ”という言葉は完全に抜け落ちていた。

ただ、楽しかった。ただ、心が震えていた。

「フィナーレだから感動した」のではなく、この瞬間に再び命を吹き込まれた“原点”に、心ごと連れ去られた気がした。

一瞬に感じるほど、心から楽しかった。

深海の中で、光を見た

恋になりたいAQUARIUM』で、ペンライトはすでに青く染まっていた。

Aqoursが楽しげに海へと飛び込み、観客の割れんばかりの歓声が響いたその後に、『Deep Blue』が始まった。

まるで、「恋アク」で海に出たAqoursが、この曲でさらに深く、深い青の底へ潜っていくような感覚だった。

『Deep Blue』はその名の通り、深い青の世界を描いた曲だけど、軽やかで透明なイントロから始まる。澄んだ水の中を、ゆっくりと漂っていくような安心感がある。

歌詞に込められたのは、困難や絶望を抱えながらも、軽やかに、前を向こうとする強い意志。

そのギャップがたまらなく美しくて、まるで深海の底で見つけた光のようだった。

ステージ上のAqoursは、青に揺れる会場の中で、凛と立ち、舞っていた。

美しく、儚く、それでいて力強い。

涙ではなく、圧倒的な魅力で胸が満たされるあの感覚。

「深い青」とは、悲しみの色じゃない。

僕の目の前には、冷たい深海じゃなく、Aqoursと観客が何年もかけて育ててきた、“光の海”の中で泳ぐAqoursがいた。

聴けてよかった。あの青の中で。

Aqoursの軌跡と、びっくりなプレゼント

フィナーレライブのDay1ではアニメ1期、Day2ではアニメ2期のメドレーが披露された。

Aqoursの物語を時系列でたどるような構成で、彼女たちの“軌跡”を振り返りながら、「今ここにいる意味」を一緒に確かめていくような時間だったと感じた。

一期、二期のアニメ最終話で千歌ちゃんが実感を伴って、説得力を持って、自分が見つけた答えを高らかに語るシーンは、僕が千歌ちゃんを好きな理由がすべて詰まっているからこそ、心が震えて涙が止まらなかった。

あの答えは、駆け抜けた全てが繋がっているからこそ、説得力を持つ。

Aqoursが伝えたいことを熱量そのままに伝えたいからこそのメドレーだったのかなと思った。

また、この日が初めてAqoursのライブに参加した人にとっては、きっと特別な贈り物だったと思う。

少しでも好きな曲に出会えたなら、それだけでもこのライブは素敵な時間になったのではないかと、胸が温かくなった。

Day2のメドレーは、当時のストーリーやキャラクターの心情が鮮明に蘇り、胸がぎゅっと締めつけられる場面がいくつもあった。

自分がAqoursの物語により深く入り込んだのは、アニメ2期の頃だった。

正確には、2ndライブでブログ文化に触れ、言葉として気持ちを外に出すようになった頃から。
そのあたりから、アニメ1期も含めて何度も見返すようになっていた。

最初の頃は、ただ「かわいい」「曲がいい」「感動した」という反応ばかりだったと思う。
でも繰り返し観るうちに、物語が描こうとしているテーマや、自分の中にある微細な感情に気づけるようになっていった。

気がつけば、心から、この物語が大好きになっていた。

だからメドレーが始まったとき、「懐かしい」という感情だけでは収まらなかった。
久しぶりに見るメンバーのパフォーマンスが、ただただ嬉しかった。

でもそれ以上に、曲のひとつひとつが、自分の人生と密接に結びついていたことを再確認できた。

劇中歌を何度も聴いていたあの頃、僕は資格試験の勉強をしていたし、合格した日も、心の中には確かにAqoursの歌があった。

「胸を張ってAqoursに会うために、何かを頑張りたい」と、躍起になった自分がいた。

あのシーンが放送された時期、僕は心が迷子になっていた。

あの子の何気ない一言に救われた。

あの歌詞に、どうしようもなく泣かされた。

それらの記憶が、曲ごとに呼び起こされていく。

このライブ中に、僕は改めて実感していた。

Aqoursが本当に好きだということを。

Aqoursとの時間は、単なる“作品の記憶”ではなかった。
確実に、“僕の人生そのもの”に溶け込んでいた。

そのことを、メドレーの最中、何度も心が教えてくれた。

MIRAI TICKET』が流れ出した瞬間、僕は思わず泣き崩れてしまった。

「俺、ミラチケマジで好きでさぁ」と言ったら、連番者に「知ってる」と言われて、思わず笑ってしまった。(いや、ミラチケのイントロは本当に涙腺に来るよね)

少しだけ聴くのが辛かった『MIRACLE WAVE』が不意に流れたとき、体が勝手にコールを口にしていて、それが嬉しかった。

やるとは思っていなかった『キセキヒカル』。頑張っている友人にぜひ聴かせたくて、前日に歌詞の意味を語っていたのに、まさか本当に聴けるなんて、思ってもみなかった。彼の心に、あの曲が残るといいな。

そして、『WONDERFUL STORIES』。

僕が一番好きなアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』。

その中でも最も大好きなアニメ2期、その最後を締めくくるこの曲を、千歌ちゃんの言葉で、杏ちゃんの声で、再び聴くことができた。

それがどれほど幸せだったのか、言葉では言い尽くせない。

「感無量」という言葉の本当の意味を、少しだけ理解できた気がした。

お互いに、走り出すことを祝福しあおう

HAPPY PARTY TRAIN』には、未来に向かって走り出すワクワク感がある。

けれどそれだけじゃない。

出発することの決意、別れの寂しさ、それでも前を向く力強さ。

さまざまな感情が、音の波に乗って一気に流れ込んでくる。

だからこそ、フィナーレでこの曲が響いたとき、胸に深く刺さった。

ライブはずっと楽しかった。

すわわの伸びやかな歌声も、列車が走る振り付けも、レールがひとつながりになるフォーメーションも、大好きだなぁ。

一曲ずつ終わっていくそのたびに、少しずつ寂しさがこみ上げてきた。

けれど。

あしたが呼んでる 僕たちを

そんなふうに歌われてしまったら、もう進むしかない気がした。

寂しさに留まっている暇なんてない。

Aqoursが未来に走り出すのなら、僕たちも同じように走り出さなきゃいけない。

Aqoursだけが先に行って、こっちは手を振って見送るだけ。

そんな関係で終わらせたくなかった。

ラブライブ!サンシャイン!!って、そういう物語じゃなかったはずだ。

未来はこわいものではなく、楽しみなものと教わったはずだ。

不安の向こうにある期待。

Aqoursはいつも、僕にそれを提示してくれる。

「明日に進まなきゃ」じゃなくて、「明日に進みたい」と、自然と思える自分が、少し誇らしかった。

僕らの海で、また会おう。

各章ごとにタイトルを考えているけど、この曲はこの言葉しか思いつかない。

『僕らの海でまた会おう』が、本当に好きだ。この楽曲は、曲調も、歌詞も、Aqoursの歌声も、すべてが胸に響く。

穏やかな潮騒のような、寄せては返すメロディ。

その中に、どうしようもない寂しさと、それでも前を向こうとする小さな勇気が、そっと包まれているような気がして。

ここから近くの

ここから遠くの

どこかでまた会おう

この歌詞が、とにかく好きだ。

距離が遠いか近いかなんて、実はどうでもいい。

「また会いたい」と願う、その気持ちがあるかどうか。

大切なのは、それだけなんだと思う。

その一点にすべてが詰まっているのだと思う。

ここでまた会うんだ

ここでまた会うんだ

きっとねまた会おう

繰り返されるこのフレーズが、何度も歌われるたびに、僕は胸がいっぱいになる。

まるで、自分に言い聞かせているようで、誰かと誓い合っているようで。

繰り返すことは、再会が“簡単じゃない”ことの裏返しなのかもしれない。だからこそ、寂しい。だけどそのあとに、こう続く。

たくさん冒険して

次に語り合える時が待ち遠しいよ

この一節が、あまりにも優しくて、切ない。

寂しさの中で立ち止まるのではなく、ちゃんと‟その先”を見ているこの明るさが、かえって切ない。

寂しさを抱えたまま、「寂しいよ」なんて言わずに、「未来で会おうね」と笑って手を振る優しさと強さが、この曲にはある。

ステージ上で歌うAqoursの笑顔が、今も目に焼き付いている。

本当に素敵で、寂しくて。

この瞬間が、空間が、時間が、すべてが愛おしくて、すべてが青かった。

ここから近くの、ここから遠くのどこかは、まだどこかわからない。

でも、また再会するであろう僕らの海は、きっとこの日と変わらず、青いんだろうなと思う。

小さな旅の終わり?大きな旅の途中!

はじまりは、「楽しい」の爆発だった。

『僕らの旅は終わらない』という曲は、初めて聴いたときから「いい曲だ」と感じていた。

けれど、フィナーレライブでその真価が露わになった瞬間、それまでの印象は一気に塗り替えられた。

イントロが流れた途端、会場全体が跳ねるように沸き立った。

光とコールに包まれたその空間は、「楽しい」という言葉ではとても足りないほどに高揚していた。

心が浮き立っていたはずなのに、気づけば涙がこぼれていた。

それは、明るい旋律の奥に隠された“切なさ”の正体に、身体が無意識に反応していたからかもしれない。

この曲が伝えてくるのは、ただの希望ではない。

明るい顔で「旅は終わらない」と歌いながら、その実、終わりが来ることを知っている。

その矛盾を抱きしめたうえで、なお笑顔で歌う強さが、この楽曲の根幹にある。

永遠のような時を旅したい

今が大好きだと感じたなら忘れないで

この二つのフレーズに共通するのは、“かけがえなさ”への意識だ。

終わりが来るからこそ、今この瞬間を全力で抱きしめたい。

そんな想いが、明るいメロディに優しく乗せられている。

ライブ後半。杏ちゃんが静かに歌うパートで、ステージに響いた時計の針の音。
ふと視線を向けた砂時計の中は、すでにかなりの砂が落ちていた。

その瞬間、感情が決壊した。

時間の残酷さと、美しさ。

それが“今この時”を輝かせているという矛盾。

楽しい。

なのに寂しい。

だけど前を向きたい。

その全部が混ざり合ったあの瞬間が、まさしくAqoursだった。

「旅は終わらない」と歌う彼女たちは、「本当の永遠」を信じているわけじゃない。

でも、“今が最高だからこそ終わらせたくない”という願いと、“終わりを恐れず進みたい”という意志を、しっかりと両手で抱えている。

そこに、Aqoursらしさがある。

もし、今という時間を「終わり」だと思わず、「人生という長い旅の途中」と捉えたなら。
「また会えるよね、きっと」という言葉も、現実味を帯びてくる。

未来へ旅する彼女たちに、惜しみなく拍手を送りたい。

そして僕もまた、明日へと旅へ出たいと思う。

そういや、めちゃくちゃ面白い謎解きゲームがあるんだってさ。

行ってみない?

例えば、沼津とかに。

舞い降りる羽根は、蝶の形をしていた

未体験HORIZON、そのイントロがすべてを変えたように感じた。

『未体験HORIZON』がフィナーレライブで披露された瞬間、会場の空気が一変した。

イントロが流れた一拍目から、胸の奥が熱を帯びて、破裂しそうなほどの感情が押し寄せてきた。身体だけでなく心ごと突き動かされていた。

観客の歓声が一つの波になってAqoursへと向かっていく。

その音圧に圧倒されながらも、それを全身で受け止め、まっすぐな笑顔で返してくる彼女たちの姿が、本当にかっこよかった。

きっとあとで笑えるからさ
きっと全部乗り越えてくよ
今日は一度しかない
やり切って生きてこう毎日

海へと沈むけど
海から昇るんだ
月も太陽も

この歌詞を、僕は何度も噛みしめてきた。けれど、あの日ほどこの歌詞の意味が深く心に染みたことはなかった。

ステージに設置された砂時計。砂が一粒ずつ落ちていくさまは、今日という日が少しずつ終わりに向かっていることの象徴だった。

それでも僕たちは、その限られた時間の中で、自分の持てるすべてを注ぎ込もうとしていた。

毎日を“やり切って生きる”という言葉が、単なる前向きなメッセージではなく、今日という一日に捧げられた決意のように聞こえた。

ライブ中、ふと目の前を金色の蝶が舞った。それはまるで、『WATER BLUE NEW WORLD』で舞ったあの青い羽根のようだった。

一度沈んだ太陽が、月が、また海から昇るように。

終わった時間の中から、また新しい何かが生まれていく。

 

『未体験HORIZON』というタイトルが示す通り、Aqoursの物語はまだ“見たことのない地平線”を目指している。

そしてその物語に関わった僕たちもまた、自分自身の“未体験”へと一歩ずつ歩み出している。

金色の蝶が教えてくれた。

終わりは、いつだって始まりの姿をしている。

あの羽根が、蝶がどこかで、誰かの心に残っているのなら。

Aqoursの歌は、これからもずっと、生き続けていく。

それがAqoursが永久になる一つの形なのかもしれない。

 

Aqoursから受け取った羽根がいま、僕の中で“言葉”という形に変わりつつあるのなら、こんなに嬉しいことはない。

出会いと別れが交差するメロディ

今回のフィナーレライブを通して感じたのは、「出会いと別れ」が全体の大きなテーマだったということ。
中でもとりわけ印象に残ったのは『Brightest Melody』だった。

「出会いと別れを繰り返すけど、笑顔でまた会おうといってみよう」

このフレーズが、こんなにも実感を伴って心に刺さってくる日が来るとは思っていなかった。

Aqoursの姿を追いかけてきた年月だけではない。

ライブ当日に交差したたくさんの出会いが、心に温かさを残していた。

久しぶりに顔を合わせた人。

ライブの前に交わした何気ない言葉。

遠方の友人たちとの再会。

そのひとつひとつが、奇跡のように嬉しかった。

 

とはいえ、やはり絆にはグラデーションがある。

ライブ前に「また会おうね」と手を振るのは少し気後れした。

自分のことをどう思われているのか。

向こうは本当にまた会いたいと思ってくれているのか。

次にまた同じくらいの熱量で遠征ができるかどうか、自信がなかった。

でも、「会えてよかった!」という言葉だけは、心から言うことができた。

その一言が、自分にとってはとても大切で、十分すぎるほどの喜びだった。

ライブは、音楽を聴くだけの場所ではない。

むしろ人生の“交差点”のような場所だと、あの日強く感じた。

夢がある。思い出がある。別れがある。出会いがある。

そして、再会がある。

いつかまた、笑顔で「久しぶり」と言える日が来ることを、心から願っている。

そんな思いを『Brightest Melody』が優しく後押ししてくれた。

桜が思い出になるとき、寂しくないように

『SAKURA-saku KOKORO-saku』は、和テイストな楽曲の一つとして、好んで聞いていた。

桜というモチーフは、出会いと別れ、散りゆくはかなさの中に希望が宿っていて、歌詞の素晴らしさも納得だなと思っていた。

けれど、ライブでこの曲を聴いた瞬間、自分の中に深く刺さるものがあって、全身が震えた。

消えないユメの桜

ひらりひらり舞うよ

バックモニターに映された校舎と満開の桜は、どこか見覚えがあった。

決めたよHand in Hand』で二年生三人が歌っていたあの場所だ。

千歌ちゃんの夢が芽吹いた瞬間の象徴としての桜。

その記憶を前に、Aqours9人の一糸乱れぬパフォーマンス。

始まりのトキメキと、駆け抜けたAqoursの対比が美しかった。

本当にすごいところまで来たなと、胸が熱くなった。

いつか思い出に変わるってことがわかんないままで

と歌う彼女たちが、それでも

いつか思い出に変わった時もさみしくないね

と続ける。その言葉が、どうしようもなく愛おしい。

桜が散ることは当たり前。今が過去に変わることも当たり前。

けれど、「過去」がただ流れていく時間ではなく、「思い出」になるためには、当たり前では済ませない何かが必要で。

その何かは、時間を共にした仲間たちとの、絆の蓄積なのだと思う。

一緒に笑い、一緒に泣いて、過ごした時間があるからこそ、桜が散っても、その香りが心に残る。いや、香りすらも幻になるほどの時間が経っても、思い出として残る。

あのとき感じたベルーナドームの暑さ。

再会した友人と交わした握手。

そして、Aqoursの美しく息の合ったダンス。

どれも忘れたくない、忘れられない記憶だった。

僕にはさみしくないなんて言えない。でも、さみしさ以上に「楽しかった」という時間を、確かにここに積み重ねてきた。

それが嬉しい。

夢が終わらない町

フィナーレのテーマソングである永久hoursは、楽しさ、軽やかさが、ラストを象徴する曲という感じがしない。観客の笑顔を誘う曲だ。

コールも楽しい。

「1,2,サンシャイン!」も「はーい!はーい!はいはいはいはい!」も楽しくて、どこを切り取っても笑顔になる。

でも、最後の「いぇーい!!」は、涙で声が震えた。

楽しくて楽しくて、胸の奥がじんと温かく痛んだ。

ユメは終わんないよ

ユメ見たままさ

この言葉が、何度も繰り返される。

そのたびに、感情の波が寄せては返し、じわじわと押し寄せてくる。

前向きなはずの言葉が、なぜこんなにも刺さるのか。

それは、「終わらないユメ」という願いが、もう終わりに手をかけていることを知ってしまっているから。

希望の言葉が、別れの影を逆照射して、浮き彫りにするからだろう。

だから、楽しくて、寂しくて、泣いてしまうんだろう。

 

映像に映し出されたのは、見慣れた沼津の風景だった。

Aqoursと出会ってから、何度か足を運んだあの街の、静かで温かい表情がそこにあった。

Aqoursは何度も言っていた。

「会いたくなったら、沼津に来てください」と。

実際、沼津駅からバスに揺られていると、ふとした瞬間に思う。

この角を曲がったら、千歌ちゃんと曜ちゃんが笑いながら話していそうだな、と。

人見知りの自分が、青森から来て、沼津駅で「また来るね」とツイートを呟いた時、「お帰りを言いたいからまた来てね」とリプライをもらって、帰りの新幹線で大泣きしたあの日のことを、今でも忘れていない。

温かいお店の人に、新作のお菓子の試食を勧められて、嬉しくなった記憶も大切な思い出だ。

のびのびと自由なAqoursが、この町で生まれた理由が、少しだけわかった気がした。

Aqoursが生きた町。Aqoursが愛された町。

そして、観客ひとりひとりが「その町を知っている」と実感してしまうこと自体が奇跡だと思った。

遠く離れた見知らぬ土地ではない。

自分の感情が根を張った場所だった。

今は、たしかに寂しい。

でも、その寂しさすら、徐々に輪郭がやわらいでいくのだろう。

きっと、強烈に焦がれるような想いは、少しずつ静かになっていく。

けれど、「沼津」という文字を見るだけで、胸がふわりと高鳴る気がする。

テレビで特集されていれば、きっとチャンネルを変えずに見てしまう。

アイスの味に迷ったら、なんとなくオレンジやミカンを選んでしまう。

そんなふうにして、Aqoursが、沼津が、日常のどこかに溶け込んでいく。

今も頭の中では『永久hours』が流れている。

仕事中の鼻歌になっている。

砂時計をくるくる回しながら、Aqoursについて何時間もブログに想いを詰め込んでいる。

たぶん、これが僕の「永久hours」なんだと思う。

忘れないよ、忘れない!

輝きのありかと、10年分の答え

何度も何度も聴いてきた『君のこころは輝いてるかい?』。

その楽曲が、ついに「節目の一曲」として響いた瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。

あの曲を初めて聴いたときの衝撃。そこから約10年、嬉しい時も、落ち込んだ時も、背中を押してくれたのは、いつだってこの歌だった。

「10!」と叫ぶ声は、自分でも驚くほど大きくて。

「サンシャイン!」のコールには、感情を全部詰め込んだ。

染みついたコールを全力で届けながら、会場全体が光の波に包まれていくのを感じた。

すべてがスローモーションのようだったのに、体感時間は信じられないほど短くて、最高に楽しくて、でも、どうしようもなく切なかった。

心って、ずっと輝き続けるものじゃないのかもしれない。

一瞬の情熱や、短期間の全力で「いま輝いてる」と感じられることはあるけれど、やがて落ち着いて、日常に戻っていく。

でも、それでいい。

紙飛行機は落ちても、また拾って投げればいい。

砂時計の砂がすべて落ちたら、また手を伸ばして、くるりとひっくり返せばいい。

「輝きたい」と思う気持ちを何度でも取り戻せること。

それこそが、人生で何より大切な“輝き”なんじゃないか。

この10年で、自分なりの答えを見つけた。

だから、今は胸を張って「Yes!!」と叫ぶことができる。

それが、またひとつの成長だと信じている。

声を重ねて、想いを重ねて、楔を打ち込もう

最後の曲は、アニメEDテーマ『ユメ語るよりユメ歌おう』、そして『勇気はどこに?君の胸に!』だった。

『ユメユメ』は、連番した友人の大好きな曲。ラストにこの曲が来て、心から喜んでいた姿が嬉しかった。

『勇君』は僕にとって特別な曲で、友人に「肩組んで歌うぞ」と声をかけてもらった瞬間、その言葉だけで胸がいっぱいになった。

もう逃げないで君と僕とで

進む時だよ あたらしい場所へ

笑顔で、楽しそうな、キラキラしたAqoursは、いつだって僕らに手を差し出して、一緒に行こうと言ってくれる。

何度だって追いかけようよ 負けないで

失敗なんて誰でもあるよ 夢は消えない

汗だくで、少し寂しそうで、それでも熱いAqoursは、いつだって僕らの背中を押してくれる。走り続ける背中を見せてくれる。

その姿が、どこまでも美しかった。

ユメを語るよりユメを歌うように、僕は自分の想いを言葉にして、届けられる人間でいたい。

「勇気はどこに?」と問われた時に、「僕の心の中にあるよ」と言える人間でありたい。

 

あの時のAqoursを見て、強く思ったことがある。

「やり残したことなどない」と言える瞬間は、人生でもそう多くない。多分、相当難しい。

けれど、あの夜、あのステージにいたAqoursも、僕ら観客も、声と想いを全力でぶつけ合えた。あの瞬間だけは、迷いなく「やり残したことなどない」と言い切れる。

振り返れば、人生には沢山の「やり残し」がある。でも、そうした‟最高の瞬間”を、過ぎ行く時間の流れに楔のように打ち込んでいくことで、人はそれを一生消えない思い出に変えられる。

そんな思い出が一つ、また一つと増えていくほど、きっと僕たちは豊かな人間になれるし、前を向いて歩いて行ける。

あの日の僕らは、これからの僕らをきっと強く、優しく、前向きにする。

これからも、頑張っていこう。

あの日のライブは、そう思わせてくれる最高のフィナーレでした。

終わりに 

あいにゃがMCで言っていた「あまり青春を送れなかった学生生活、Aqoursのおかげで青春を送れた」。
その言葉に、思わず胸がぎゅっとなった。

自分のことのように感じたから。

僕も、友達は多くなかった。人付き合いも得意じゃなかった。

中学時代には少しだけいじめられた経験がある。

高校でようやく、気兼ねなく笑い合える友人に出会ったけれど、みんな勉強や部活で忙しくて、青春らしい青春を過ごせたかと言われると、うまく頷けなかった。

先輩や後輩との縦の関係も築けず、どこか寂しさがあった。

そして、卒業してからAqoursと出会った。

少しずつ時間に余裕ができ、友人Aと一緒にAqoursを追いかけるようになった。気づけば彼は、胸を張って“親友”と呼べる存在になっていた。

関東へ遠征するたび、友人Bの家に泊まった。夜中まで語り合って、好きなものを分かち合って、笑い合った。彼もまた、大切な親友だと心から思える。

その頃、友人の後輩もAqoursに惹かれ、一緒にライブやイベントに参加するようになった。

学生時代にはできなかった“後輩との関係”が、卒業後に生まれた。僕にとって、初めての可愛い後輩だった。

あの時深めきれなかった関係を、出会えなかった関係を、Aqoursという存在が繋いでくれた。

その時間は確かに、「青春」と呼べるものになった。

コロナ禍を越えた日々の穏やかさも心地よかったけれど、今回のライブ、そして久しぶりに四人で遊べたあの時間は、何にも代えがたい宝物だった。本当に愛おしかった。

それぞれ違う場所で、違う毎日を歩いているから、頻繁に会うことはできない。けれど、距離や時間を超えて、この関係を大切にしていきたい。

みんなみんな、楽しいことを探して旅の途中にいるけれど、会えたときは、それだけで最高に楽しい。

だから、次の約束はもう決まっている。

沼津の謎解きで、また会おう。

そして四人で、美味しいご飯を食べて、街を散策して。

あの砂浜にAqoursという名前を刻みたい。

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Aqoursの好きな曲と一口感想

Aqoursのフィナーレが目前に迫ってきている。

聴きたい曲はたくさんある。

大好きな曲もたくさんある。

セトリ予想も楽しいけど、改めて僕の好きな曲について、自分なりに振り返ることで、Aqoursとの時間を楽しむ準備としたい。

早速行きましょう!

 

「Jump up HIGH!!」がくれる、青空のような勇気。

Aqoursの「Jump up HIGH!!」が好きだ。

理由はいくつもあるけど、ひとことで言うなら、静かな熱さが、だんだんとスケールアップして、最後には空に響き渡るようなこの曲に、心を掴まれている。

最初は優しく語りかけるように、でも少しずつ、歌声にもメロディにも熱が宿っていって、

やがてそれは空に向かって「未来へ」と手を伸ばすような高まりになる。

「今だからできることを始めよう」

「小さい大きい気にしない」

「楽しいなら○だ」


Aqoursがずっと歌ってきたことは、変わらない。

どんな時も“今を全力で楽しむ”こと、“好きなことにまっすぐ向かう”こと。

この曲でも、そんなメッセージが真っ直ぐに、でも暖かく届いてくる。


僕は空高く舞う鳥にはなれない。

でも、その鳥を見上げることはできる。

青空に目を細めながら、自分なりのペースで、やりたいことに挑戦して、楽しんで生きていく。


この曲を聴くと、そんなふうに思えるんだ。

心の底から、清々しく、前向きになれる。

だから、僕はこの曲が好きだ。


「Marine Border Parasol」と、過ぎゆく夏の奇跡

Aqoursの「Marine Border Parasol」。

さわやかで、まぶしくて、夏の海辺が似合う曲…だけど、それだけじゃない。

どこか切なさを纏っているのが、この曲の一番好きなところ。

たぶんそれは、聴いている側もどこかで分かっているから。

「夏は、終わってしまうもの」だって。


海風のように軽やかで、笑い声が波に混じって消えていくような心地よさの中で、ふと胸に差し込むものがある。

「今、この瞬間が愛おしい」

それは、過ぎゆくことを知っているからこそ感じる尊さ。

この関係は、当たり前じゃない。

沢山の偶然が積み重なって、やっと出会えた「奇跡」だ。

もし何か一つでも違っていたら、このメンバーで、今ここにはいなかったかもしれない。

それが分かっているから、余計に愛おしくなる。

こんなに大切で、こんなに楽しい時間が、過ぎていくこともちゃんと分かっている。

だからこそ、ただ明るいだけじゃない。

ほんの少しの切なさが、この曲の中には確かにある。

この曲を聴くと、自然と思う。

「僕らも、大切な人を大切にしたいな」って。

言葉じゃなくて、感覚で沁みてくる曲。

笑顔の裏にある一瞬のまなざし、風に流れてしまいそうな記憶のきらめき。

そういうものを、ぎゅっと抱きしめたくなる。

そんな1曲だと思う。

 

「Brightest Melody」がくれた、また会おうの勇気

Aqoursの「Brightest Melody」。

この曲を聴くたびに、本当にタイトル通り、キラキラしてるなと思う。

でもそれはただ眩しいだけじゃなくて、出会いと別れを乗り越えた先にある、本物の輝きだ。

「でも笑顔でね、また会おうと言ってみよう」この歌詞に、何度泣きそうになったか分からない。

人は生きていく中で、何度も別れを経験する。

卒業、転勤、疎遠、距離、タイミング。

いろんな理由で、誰かと離れていく。

でも、「また会おう」と言える関係でいられること。

それはとても誇らしくて、嬉しくて、大切なものだ。

迷っている人がいたら、 「また会おうね」って言ってほしい。

それだけで救われることが、きっとある。

それだけで前を向けることが、確かにある。

 

「さぁ、明日に向けてまた始めたい とびきりの何か。」

その「何か」は、なんだっていい。

ゲームでも、旅でも、勉強でも、創作でも、何気ない日常でも。

一人ひとりが「楽しい」と思えることに飛び込んで、キラキラしていたらいい。

僕に関わってくれたすべての人たちに、そんな未来があることを願ってる。

そして僕も、自分の「とびきりの何か」を探しながら、キラキラしていたい。

 

「別れは終わりじゃない」

そう思えるだけで、どんなに救われるか。

「Brightest Melody」は、そんな気持ちを静かに、でも確かに教えてくれる。

 

「DREAMY COLOR」と、僕の心の色のこと。

Aqoursの「DREAMY COLOR」は、透き通るような鼓動と、祈りのようなまなざしが、青空のもっと先を見つめているような、そんな歌だと思う。

まっすぐで、優しくて、でも決して甘くない。

この曲には、Aqoursがずっと向き合ってきた“本当の気持ち”が詰まっている。

 

「目があったらとにかく笑おう 寂しさなんて消えちゃうよ」

その言葉の裏には、ちゃんと“寂しさを知ってる人の優しさ”がある。

わかっているから、笑おうって言える。

その強さが、静かに胸に響く。

 

「手を伸ばす君が好きなんだ」

この一言に、全部詰まってる気がした。

僕はAqoursにもらったものでできている。

Aqoursの歌に手を伸ばしたからこそ、出会えた景色がたくさんある。

ライブで流した涙。

映像越しに感じたあたたかさ。

勇気を出して踏み出した一歩。

がむしゃらになれた時間。

どれもこれも、Aqoursがくれたものだ。

そして今、思う。

今度は、Aqoursに照らされた僕じゃなくて、Aqoursから教わった“輝き方”で、誰かを照らしてみたい。

それが、ほんの小さな光でも、誰かの心に残るような色になれたらそれはとても素敵なことだと思う。

 

「頑張っちゃう心ってどんな色だろう」

「ユメ見る僕らってどんな色だろう」

僕の心は、何色なんだろう。

まだ答えはわからない。

でも、いつか胸を張って言えるようになりたい。

「こんな色になったよ」って、自分の色を誇れるような自分でいたい。

「DREAMY COLOR」は、そんな未来の自分を、そっと見守ってくれているような曲だ。

優しく、でも確かに背中を押してくれる。

聴き終えたあと、空を見上げて深呼吸したくなる。

 

「キセキヒカル」と、僕が走る理由

「キセキヒカル」には、ラブライブ!サンシャイン!!のすべてが詰まっている。

メロディは、僕らがずっと聴いてきた大好きな音たち。

歌詞は、Aqoursが何度も伝えてきたメッセージそのもの。

だからこそ、胸を打たれる。

「やまない雨はない」

そう言いながら、Aqoursは何度も土砂降りの中を走ってきた。

それは決して綺麗ごとじゃなくて、本当に泥だらけになりながら、もがきながらの道のりだった。

その姿を見ていたからこそ、今この曲がここにあることが、奇跡のように感じる。

雨雲の中でも彼女たちは、輝いて見えた。

そして今、そんな彼女たちが歌うこの言葉が、僕の希望になる。

「見上げれば熱い太陽」

困難の先には、きっと晴れがある。

その確信をくれるのが、Aqoursの歌だ。

だから僕も、走らなくちゃって思える。

焦りじゃない。強迫観念でもない。

ワクワクするような気持ちが、僕を前に進ませる。

「動いてないと探せない 休んでも止まらないで」

この一節が、心に刺さる。

「休む」ことと「止まる」ことは違う。

もし体が動かないなら、手を動かせばいい。

手も動かないなら、頭と心だけでも動かしてみればいい。

そんなふうにして、僕たちはまた一歩ずつ進めるんだと教えてくれる。

僕はAqoursにもらった熱で走り始めて、だけどまだまだ未熟な人間だ。

でもそれをネガティブだとは思っていない。

 

「頑張ることを続けていたい」

「僕なりの“楽しい”を追いかけていたい」

それが、今の僕の“走る理由”。

「キセキヒカル」は、Aqoursが僕たちに手渡してくれた物語の集大成。

でも、それは“終わりの歌”じゃない。

「ここからも続いていく」ことを、そっと背中で示してくれる曲。

僕らも、それぞれの道で輝けるように。

今度は僕らが、自分の色で、誰かに光を渡していく番なんだと思う。

 

「僕らの海でまた会おう」旅路の途中で、また笑い合えるように。

Aqoursの「僕らの海でまた会おう」は、成長と再会を願う歌だ。

「みんな楽しいことを探す旅の途中」

「たくさん冒険して 次に語り合える時が待ち遠しいよ」

なんて、なんて素敵なメッセージだろう。

 

人生は、それぞれの旅だ。

どこに行くかも、何をするかも、一人ひとり違っていて当然。

好きなものも、嫌いなものも、大切にしてるものも、バラバラ。

それでも、たまたまAqoursが好きで、ラブライブ!サンシャイン!!という作品に出会って、交差したこの瞬間。

それは偶然の積み重ねでできた、小さな奇跡だと思う。

旅の途中、道が分かれることもある。

それはやっぱり、少し寂しい。

でもこの曲は、その寂しさを抱きしめながら、前を向いて歌ってくれる。

「また会える時が待ち遠しいよ」

その言葉に、どれだけ救われるだろう。

別れは終わりじゃなくて、次の再会へのワンシーン。

そう思えたら、また頑張れる。

もし、今会えない人がいるなら、心の中で呼びかけたい。

「会えなかった期間、君は元気してた?」

「最近、調子どう?」

そう聞ける関係でいられたら、それだけでもう充分に奇跡だと思う。

また会おうね。

またおしゃべりしようね。

そう言える優しさを、僕も持っていたい。

そして、次に会えるその日まで、僕は僕の旅をちゃんと続けていたい。

Aqoursがくれたこの歌のように、希望を持って。

 

 


勇気はどこに?君の胸に!」夢が破れても、夢は消えない。

Aqoursの「勇気はどこに?君の胸に!」。

この曲は、僕の人生における大切な“生き方”そのものを作ってくれたと思う。

「何度だって追いかけようよ 負けないで」

「失敗なんて誰でもあるよ、夢は消えない。」

夢って本当に美しい。

でもそのぶん、破れたときの痛みは、信じられないくらい深い。

あんなに頑張ったのに。

あんなに願っていたのに。

叶わなかったその現実に、心が折れそうになる。

「夢なんて見なければよかった」

「こんなに苦しいのに、楽しめるはずがない」

そんなふうに思ってしまう日だって、確かにある。

でも、そんな時に、僕の胸の中で必ず流れるのがこの曲。

「夢は消えない、夢は消えない」

「夢がたくさん、夢がたくさん」

この力強いメロディと、真っすぐなメッセージが、諦めかけた心に、もう一度火を灯してくれる。

「踏み出せない」「頑張れない」

そう感じる時の一歩って、本当に大事で、本当に難しい。

けれど、その一歩の積み重ねでしか、夢には近づけない。

僕はまだ、何者にもなれていない。

失敗も、遠回りも、たくさんしている。

それでも、前に進みたいと願っている。

そして、そんな僕を、もう一歩だけ前へ押してくれるのがAqoursの曲だと思う。

 

「勇気はどこに?」

「この曲を聴いた、僕の胸の中に!」

そう言い切れるだけの力を、この曲は持っている。

それがどんなに小さくても、たった一歩でも、

また歩き出す勇気をくれる。

夢が破れても、夢は消えない。

その言葉を信じて、これからも。

 Aqoursが教えてくれた“勇気の居場所”を、胸に抱きしめながら、少しずつでも、ちゃんと自分の足で歩いていきたい。

 

 


「Thank you, FRIENDS!!」涙が教えてくれた、あの時の奇跡

Aqoursの「Thank you, FRIENDS!!」は、人生で一番泣いた曲だと、胸を張って言える。

Aqoursとのたくさんの思い出。

でもそれ以上に、この曲を初めて聴いた時、僕はAqoursを一緒に追いかけてきた友人たちのことを思い出して、涙が止まらなかった。

不意に思い出が押し寄せて、心が震えて、今でも車の中でこの曲を歌うと、不覚にも涙がこぼれることがある。

「会えてよかったな」

「大好きだよってさ」

こんなふうに素直に言える相手がいることは、本当に、人生に時々だけ訪れるびっくりなプレゼントだと思う。

この曲には、そんな大切な人たちに伝えたい気持ちが、全部詰まっている。

 

夏が過ぎていくこと。

どんなに大事な関係も、時間と共に変わっていくこと。

Aqoursはそれを、ちゃんとわかってる。

だからこそ、そんな彼女たちが歌うこの一節が、たまらなく愛おしい。

「永遠って言葉が出てきたよ 不思議と」

本当は儚いことを知ってるからこそ、その言葉に、嘘がない。

この曲があるから、僕は聴くたびに、歌うたびに、あの時の涙と、あの時の心の重なりを思い出せる。

時間が経って、形がなくなっても、あの涙は、確かに誰かと心を重ねられた証だったんだと信じられる。

「Thank you, FRIENDS!!」は、僕にとって、そういう曲。

そしてこれからもずっと、あの時間がたしかに存在した証として、僕の中で輝き続ける。

 

🌈最後に✨

Aqoursがくれた沢山の曲のおかげで、また明日を楽しみにできます。

僕も、僕なりの色で輝いていけたらいいな。

そんな気持ちで、今日も「僕の海」を歩いていきます。

みんなも、元気に、楽しく。

素敵な今日を、また明日を、過ごしてください。

ここまで読んでくれて、ありがとう。

ネモ・ペパー・ボタンと歩いた旅。ポケモンSVが宝物になった理由。

こんにちは、ときおです。

先日、ようやくポケモン スカーレットをクリアしました。

本当に素晴らしい物語だったと心震えまして、この感動を、僕なりの言葉で形にしておきたい!という熱意だけで、原稿を書き始めました。

熱意とパッションと勢いは込めましたので、良ければお付き合いください。

 

ポケモンSVには、自由な世界や楽しい冒険が待ち受けていますが、それだけではなく、3つのルートを通して出会う「仲間たち」との物語がありました。

バトルが大好きなネモ。

大切なポケモンが怪我してしまったペパー。

過去に傷を抱えたボタン。

それぞれがそれぞれの痛みを持ちながら、僕たちと一緒に歩いてくれたこと。

ただの「ポケモンのゲーム」としてじゃなく、

ひとつの人生の物語をプレイしていたような感覚が、今も心に残っています。

 

ネモについて感じたこと

最初に出会ったネモは、バトルが好きすぎる不思議な子でした。
でも彼女は、ただ勝ちたいわけじゃなかった。

本気をぶつけ合える相手を探していた。
勝っても、負けても、全力で挑んでくれる人を。

ネモはずっと、自分の気持ちに素直でまっすぐで、その姿は少し怖くもあり、でも見ていて眩しくもありました。

振り返って感慨深いなと感じるのは、旅の中で、彼女に対する思いが変わり続けたことです。

最初はバトルジャンキーなネモに笑いながら挑んでいましたが、後半は、ネモに最高の勝負をさせてあげたい、彼女の心が満たされる時間を与えてあげたい、そう思うようになりました。

そして最後、全力でぶつかったチャンピオンバトル。

あの時のネモの顔は、本当に嬉しそうで…戦い終わった後のすがすがしい顔は、見ているこっちが泣けるくらい、さわやかな笑顔でした。

最高の勝負は、最高のトレーナー1人では生まれず、二人いて初めて生まれるもの。

だからこそ、僕がネモと対等な存在までなれて、本当に良かったなと、心から思いました。

ラストバトルのネモ(自分の実況動画より抜粋)

あのネモの笑顔、最高に素敵でしたね。

 

ペパーについて感じたこと

ペパーとの旅も、また特別でした。

初めは少しクセのある青年だなって思ってたけど、その裏にある必死な願いを知って、印象が一変しました。

最初は、料理好きだから秘伝スパイスという珍しい食材が欲しいんだなと思っていましたが、彼が本当に探していたのは、秘伝スパイスではなく、傷ついたマフィティフを救うための希望で、その希望を手にするには、大きな敵に立ち向かう必要があった。

だからこそ、僕に声をかけてきました。

誰だって本心でいれたらそれが一番よくて、わざわざ嘘をつきたい人はいないと思うんです。けど、ペパーはマフィティフのことを隠して、僕に嘘をついて、スパイス探しを提案してきました。

優しい彼が、周りのことを気にしてられないくらい必死に行動し続けていた、あの時の気持ちを考えると、胸が苦しくなります。

 

ペパーのルートはどこも名シーンですが、中でも印象的だったのが、
サンドイッチをちぎって、ゆっくりマフィティフに食べさせるシーン。

サンドイッチを渡すペパー(自分の実況動画より抜粋)

大げさな演出もないのに、その手つきに、大きな愛情が詰まっていた気がします。

 

僕は、いわゆる「無償の愛」って言葉が、少し苦手です。
「何もしなくても愛される」って思ってしまうと、相手を大切に思う心が、薄れてしまいそうな気がして。

お互いに大切な存在でい続ける努力をしたいし、そういう思いやりを丁寧に積み重ねて、関係は築いていくものだと思ってるから。

でも、家族については例外なのかなと、ペパーを見て思いました。

ペパーにとって、マフィティフは家族で、何が何でも、元気になってほしくて、昔みたいに笑って駆け回ってほしくて。

そんな切実な想いを見たら、手伝わずにはいらませんよね。

誰よりも愛に不器用で、でも誰よりもまっすぐに愛せるペパーが、僕は本当に大好きです。

 

ボタンについて感じたこと

ボタンは、最初ちょっとミステリアスで、頼りになるけど、どこか壁を感じる、距離感がある子でした。

でも、それは仕方のないことだったんだと思います。

スター団は一見すると、不良の集まりみたいに見えるけど、実はそこには、傷ついた子たちが集まって、支え合って、居場所をつくっていて、ボタンは、ボスとして、そのチームを何よりも大切に思っていたから。

リーダーとして名乗らず、仲間たちの前にも現れず、でも、誰よりも彼らのことを見ていて、考えていて、動いていた。

強がってばかりだったけど、本当はずっと、寂しかったんだと思うし、心から安心してただ「あなたのことが大事だよ」と言える、言ってもらえる関係を、どこかでずっと求めてた。

 

そんな彼女を僕は見ていたから、バラバラだった彼らが、「会えてよかった」、「元気してた?」って言い合える関係でいられたことがわかって、本当に嬉しかったですね。

ボタンは【皆の幸せ】を守りたかったけど、多分青の時のボタンの頭の中には、自分が入っていなくて。けど、スター団の皆は、ずっとボタンのことを大切に思い続けていて。

スター団が守りたかったものは、過去の絆じゃなく、今も生きてる関係だったんだって、あの時分かった気がします。

不揃いだけど愛おしいお疲れ様でスター!(自分の実況動画より抜粋)

そして時折、主人公やペパー、ネモに見せてくれた“ちょっとした素の表情”が嬉しかったです。

悪態をついたり、照れながら礼を言ったり、悩みを打ち明けたり、他の誰にも見せていなかった、本当のボタンが少しずつ出てくる。

孤独に耐えていたボタンが、少しずつでも、ようやく「一人じゃない」って思えたのなら、こんなに嬉しいことはないですね。

“信頼”って、言葉じゃなくて、少しずつ重ねた時間の中でしか生まれないものだから、その時間を、ちゃんと一緒に過ごせていたことがわかって、心から嬉しかったです。

 

エリアゼロ編ラストについて感じたこと

そして、物語のラストは、ネモ、ペパー、ボタンの、それぞれ違う旅をしてきた3人が、一緒にエリアゼロに向かってくれる。

これまでとはまったく違う、静かな、でも不思議とあたたかい空気の中で、4人で歩くその時間が、なんだかすごく心地よかったです。

エリアゼロという危険な場所へ挑む、大きな期待と、それ以上に大きな不安。

だけど、ネモは前を照らしてくれる。

ペパーは歩調を合わせてくれる。

ボタンは後ろから静かに背中を押してくれる。

3人と一緒に進んだあの時間は、ただの最終ルートじゃなくて、僕が歩いてきた物語の“答え合わせ”だった気がします。

誰かと出会って、傷ついて、支え合って、そしてまた新しい未来に向かって歩いていく。

ポケモンSVって、そういう物語だったんだなって、あのとき、ストンと腑に落ちました。

エリアゼロへ挑む仲間(自分の実況動画より抜粋)

そして到達したエリアゼロの最深部。

そこで待っていたのは、僕たちにとっても、ペパーにとっても、ひとつの別れでした。

AIとなったオーリムとの対話は、子供向けの作品とは思えないほど、感情の整理が難しいものでした。

機械であるはずのオーリムAIが最後に見せた、まるで「親」のような眼差し。

"本当の親"ではない、でも思い出と思考回路は同じ存在がいて。

"本当の親"も、瓜二つの機械も、等しくペパーを愛していたことが分かって。

でも、"本当の親"はもういないことも、瓜二つの機械がもういなくなることもわかって。く

あの別れの時にペパーが見せた表情は、いろんな感情が溶けあって、言葉にできないものがありました。

お別れ後のペパー(自分の実況動画より抜粋)

言葉にするのが難しい感情ってたまにありますよね。

今では全部エモいで片付けられていますが、僕は感じたことを言葉にできるということが、自分の中で消化できた、ということだと思っています。

僕は大の大人ですが、あの時のペパーの感情を消化できません。

ずっと心に残り続けて、考えては胸が苦しくなって、ため息をついて、あの時のペパーのことを考えています。

そして、いつも本当に素晴らしいものを見たという感情だけが残ります。

 

それくらい、素晴らしい一つの結末でした。

 

それから、長かった旅がようやく終わって、地上に戻る道すがら、4人で歩いたあの時間。
ほんの数分だったけど、あの時間は、物語の中でいちばんあたたかかったです。

かえりみち(自分の実況動画より抜粋)

ネモも、ボタンも、ペパーも、この冒険を経て、大切なものを守り抜いて、少しだけ辛い別れをして、そんな三人の隣にはずっと、僕がいた。

三人の物語に関わり、誰かの背中を押せたこと、その結果、傷を負ったかもしれないけれど、確かに幸せをつかみ取って、少し成長した彼らが見れたこと。

それが本当に嬉しかったです。

 

終わりに

この作品は、「人と関わることの意味」を、「誰かと一緒に進むことの価値」を、そっと教えてくれました。

別れはあったけれど、それでもこの旅は、悲しい結末じゃなかった。

むしろ、ここからが始まりなんだと感じられるラストでした。

あの場所で過ごした時間、や出会った仲間たち。

きっと、これから先もふと思い出すことと思います。

そして、思い出すたびに、また少しだけ優しくなれる。

きっとそれは、ただ画面越しにプレイしていたんじゃなくて、本当に、心からあの旅を楽しんだからなんだと思います。

ネモ、ペパー、ボタンと、笑って、泣いて、ぶつかって、また歩き出して。

その全部が、僕にとって宝物のような時間でした。

ポケモンSVという物語に出会えて、本当に良かったです。

 

DLCはSwitch2が出たらやろうかなと思っているのですが、今すぐにでもやりたいくらいです。
Switch2、早く手に入らないかな…(笑)

スター団という、僕にとってのヒーローの話をさせてください。

スター団。

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最初に彼らを見たとき、正直「迷惑な連中だな」って思った。

道をふさいで騒いだり、ポケモン勝負を仕掛けてきたり、まわりに迷惑をかける存在でしかないって。


でも、それはきっと、“見えてる一面”でしかなかったんだと思う。

ストーリーを進めていくうちに、スター団の幹部たちが見せる表情や、

その背後にある過去、そして仲間とのつながりを知っていく中で、

だんだんと、最初に持っていた印象が静かに、でも確実に変わっていった。


傷ついた人たちが、傷ついた人を守ろうとして作った居場所。それがスター団だった。

ただの「悪役」なんかじゃなくて、むしろ、誰よりも優しくて、強くて、仲間想いな子たちの集まりだったんだって、知れば知るほど、胸が締めつけられた。


今回の感想では、そんなスター団の物語を通して、僕が感じたこと、大切にしたいと思ったことを、言葉にして残しておきたいと思います。

ゆっくり、丁寧にお話ししていくので、よければ最後まで、見ていただけたら嬉しいです。

 

印象に残ったキャラたち

スター団のことをもっと深く知っていく中で、

特に印象に残っているのは、メロコ、ビワ、そしてカシオペアの3人です。


まず、メロコ。

メロコは、ひがみやヤキモチでいじめられないために周りに悪態を吐いて強く見せていた。

でも、そんな彼女を一人にさせまいと寄り添っていたのが、アカデミーでよく遊んでいたカルボウのボウジロウだったんですよね。

人が人を見るうえでは、肩書きや態度が色眼鏡になって邪魔をすることがあるけど、ポケモンは、ただただその人の“本質”を見てくれてるのかもしれないなって。

メロコが背を向けて離れようとしても、回り込んで語り掛けるボウジロウの姿。

炎の揺らめきで何を伝えたいかがわかるメロコ。

あの絆を見たとき、なんだか胸が温かくなりました。


そしてビワ。

ビワのすごいところは、自分をいじめていた相手が困っていたとき、迷いなく、手を差し伸べたところです。

正直、すごく難しいことだと思う。

過去のことを思えば、拒絶することだってできたはずなのに、それでも「困っている人は助ける」っていう優しさを、彼女は貫いていた。


スター団は、いじめられてきた子たちの集まりかもしれないけど、単なる被害者のままじゃ終わらない。

傷ついたからこそ、誰よりも優しくなれた。

そんな強さをビワから感じました。


そして、何よりも心を動かされたのは、カシオペア

カシオペアにとって、スター団のみんなは“宝物”だったと思うんです。

誰よりも仲間想いで、だからこそ、守るためにあえて壊す決断をした。

あの覚悟は、本当に苦しかったはず。

誰にも相談できず、一人で考え続けて、一人で動いていた。


もっと上手くやれたかもしれない。

違う方法があったかもしれない。

でも、彼女の選んだ道は、きっと本気だったからこそ、あんなに切なかった。

僕はあのとき、本当に泣きました。

宝物を守るために、宝物を失う覚悟をしたその姿に、ただただ胸がいっぱいになって。

そして最後、守りきれたことが、心から嬉しくて。

きっとカシオペアも、みんなも、これからもっと“本当の笑顔”になっていける。

そう信じたくなるような結末でした。

 

自分と重なった想い

スター団の物語を追っていくうちに、僕は、どこかで自分のことを重ねて見ていたのかもしれません。

周りからどう見られていようと関係なく、彼らは彼らなりに、大切な“居場所”を見つけて、守ろうとしていた。

その姿に、すごく共感しました。

僕も、自分の人生の中で出会ってきた大切な友人たちとの思い出が、今の自分にとって本当にかけがえのないものだと思っています。

その関係性が、カシオペアにとってのスター団だったのかなって。

だからこそ、あの結末にたどり着くまでの彼女の苦しみも、決断の重さも、すごく胸に響きました。

壊してでも守りたかった“宝物”。

その覚悟を知った時、自然と涙が出てきて。

でも、最後にそれを「守りきれた」と感じられた瞬間、同じくらい、心から嬉しくて、また泣いてしまっていました。

きっと誰にでも、自分だけの「居場所」や「大切な人たち」があると思うんです。

その存在を思い出させてくれるような、そんな優しくて、あたたかい物語でした。

 

最後に

僕は、誰かがつらいとき、少しでも「ここにいていいんだ」って思えるような、そんな“居場所”になれたらいいなって、いつも思っています。

それは、僕のまわりの人に対しても、

この文章を見てくれるあなたに対しても、同じです。

スター団の物語には、傷ついた誰かが傷ついた誰かを守って、互いに手を取り合って、前に進もうとする姿が描かれていました。

その優しさが、とても強くて、美しくて、「自分も、誰かにそうありたい」と、心から思えました。

だからこの文章が、ほんの少しでも、あなたの心をあたためる時間になっていたら嬉しいです。

そして、もしあなたが今、何かに悩んでいたり、誰にも言えない気持ちを抱えていたとしても、ほんの少しでもあなたに癒しや安心感を与えられる“味方”であれたらいいな。

そんな願いを込めて、今回の感想を書き殴りました。

見てくださって、本当にありがとうございました!

僕にとっての『永久hours』


www.youtube.com

Aqoursの『永久hours』を聴いて以降、ずっと頭の中がAqoursや沼津、ラブライブ!サンシャイン‼︎への想いで溢れてる。

当時好きだった曲を聴いて、胸がいっぱいになった。

昔に書いたブログを読んで、目頭が熱くなった。

人生の約1/3の時間を、Aqoursラブライブ!サンシャイン‼︎を追いかけることに使ったけど、何よりも濃くて、暖かくて、大切な時間だったなと思う。

 

僕を作るのは、僕が出会って受け取ったすべてのものだけど、ラブライブ!サンシャイン‼︎のお陰で、様々なものの見方、受け取り方が変わった。

大袈裟だけど、僕は生きる上で大切なことを教えてもらったと思ってる。

それは、何かを始めるのに大それた理由なんか要らないことだったり。

心からの全力は最高に楽しいことだったり。

一生懸命に頑張ることは絶対に格好悪くないことだったり。

待っててもやってくる未来に、自分から飛び込んでいく素晴らしさだったり。

自分の1番大切な芯の部分は、千歌ちゃんたちに教えてもらったことばっかりだ。

 

あの日、ラブライブ!サンシャイン‼︎を見ていなかったらどんな未来になっていただろう。

あの日、Aqours1stのライブビューイングに行かなかったらどうだろう。

あの日、はてなブログを開設しなかったら。

あの日、μ'sのライブビューイングに友達を誘わなかったら。

全部が奇跡みたいな、選択肢の連続だったかもしれない。

Aqoursと出会う前の僕らには、多分多くの選択肢があって、その一つひとつの積み重ねの先で出会ったものが、本当に愛おしくて、手放したくなくて。

違う世界線にはもしかしたら、今の僕よりお金を稼げる僕だったり、人から好かれる僕だったり、みんなに誇れる何かを成し遂げた僕だったりしているのかも知れないけれど、それでも僕は、今の僕を抱きしめていたい。

 

本気で何かをやったことがない僕が、 文章で感情を吐き出すことを始めた。

心から誰かに褒められた事がない僕に、 僕の文章を好きだと言ってくれる人たちがいた。

薄い関係しか築けなかった僕が、今では心から親友と呼べるヤツらと互いの人生について語って、バカ笑いして、たまにちょっとグッときたりしてる。

こんな未来を、Aqoursと出会った頃の僕は想像すらしなかったなぁ。

青空を見て泣きそうになるし、雨上がりの虹を見て泣きそうになるしで、知らない人から見たら多分情緒不安定な変な人かも知れないけど、ラブライブ!サンシャイン‼︎が好きな人からしたらあるあるネタかも知れないね。

沼津で食べたアジフライが有り得ないぐらい美味しすぎて、苦手だった青魚が好きになったんだよな。

たくさんのフルーツが並んでいても、なんだかみかんに目が止まるんだよな。

 

Aqoursが見せてくれた夢のような日々は、僕にたくさんのものをくれた。

それは形があったり、なかったり様々だけど、全部が僕の宝物で、これからも宝物であり続けるんだろう。

だけど僕は、僕の中だけでその宝物を仕舞い続けることはしたくないんだ。

この輝きはとっても素敵なものだから、僕もいつか誰かの背中を押せるような人になって、その人の心に輝きを手渡せるような人間になりたいんだ。

Aqoursからもらった輝きで、僕も誰かを照らしたい。そうやって輝きを繋いでいくことが、僕にとっての永久hoursなのかもしれないって思うから。

 

これからも楽しいことや辛いことは起こっていくけれど、最高の笑顔も悔しい涙も落ち込む日々も、全部を誇れるように頑張っていくよ。

 

ありがとう。

これからもずっとよろしくね。

YouTubeでゲーム実況を始めて3ヶ月経っての所感

PS5を購入し、楽しみにしていたホグワーツレガシーをプレイするにあたって、ゲーム実況をやってみようと思い立った。

昔から弟者やキヨ、最近では笑顔の時間(敬称略)などをよく見ており、どこか別世界の話だなぁと感じながら、自分に関係ないものと思っていた。

しかし、PS5を色々いじってみると、割と気軽に動画を撮ってアップできることに気がついた。編集する機能までついていやがる…。

ちょっと恥ずかしいけど、憧れていたこともあって、ええいままよ!とゲーム実況の世界に飛び込んでみた。

 

大体3ヶ月ほど投稿し続けてみて分かったことがいくつかあったので、それを書いていく。

 

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ちなみに3ヶ月で25名様くらい…。

 

①楽しい

これに尽きる。ゲームはやって楽しい、見て楽しい。

しかも、編集中やアップロード前の最終確認で自分のプレイを見返すのだが、それが復習にもなっているためかストーリーが頭に入ってきやすく、次のプレイの時にはより没入できる。

そして、編集も意外と難しくないことに気がついた。

つい最近まではPS5内のシェアファクトリーという機能で編集していたが、最近はMacBook Airで Power Directorというアプリを使って編集している。

今までYouTubeを再生するか、配信ライブを見るかでしか使っていなかったのに、急に負荷の高い作業で唸りまくるMacBook Airちゃんが可愛い。ようやく僕を使ってくれるんだね…!と嬉しがっているように見える(?)。

編集と言っても、いらないところはカットして繋げるだけなのだけれど、それでも楽しい〜!!!!と自己満に浸りながら楽しさに溺れている。

外から見て痛々しいかも?と思う時もあるけど、初めてブログを書いた時と同じくらい楽しさを感じているので、僕が求めていた趣味はこれなのかも!と感じている。

ゲーム実況は楽しい。

②チャンネル登録って難しい

当たり前だが、ぜんっっっっぜんチャンネル登録者が増えない。実際、僕もチャンネル登録する時は本当に継続して見たいものだけ登録するようにしているので、まぁ…確かにな…と納得している。

やはり勢いのあるゲームを実況するとチャンネル登録も伸びるのだろうけれど、僕が上で書いた心の底から湧き上がる楽しさは、本当にやりたいゲームだけやっているからなんだろうな〜と感じているので、多分やらないと思う。

別に流行りのゲームをやっている人を悪く言うとか、そういう意図はない。やっぱり面白いしね!(僕はapexもマインクラフトも絶望的にセンスがない)

実際に実況をしてみて分かったのは、チャンネル登録が1増えるのも、再生数が1増えるのも、死ぬほど嬉しいということ。

見ている側の時はなんてことない1クリックだけど、実際にアップしてみると本当に嬉しくて舞い上がってしまう。(バカ)

登録者も、再生数も、これからもコツコツと増やしていきたいし、自己満動画ではあるけど、登録してくれた人が少しでも楽しくなるような動画にしていきたい。

③終わりに

とりあえず3ヶ月、好きなゲームを好きなように実況してみました。

最初は撮りっぱなしの1時間の動画をただアップしていましたが、いらないところはカットしてみよう、カットした繋ぎ目はフェードで自然になるようにしてみよう、サムネを変えてみよう、マイクを変えてみよう、編集ソフトを使ってみよう、とトライアンドエラーを繰り返し続けています。

本当に、少しずつではありますが、見やすくなってきていると思います。

今は大逆転裁判逆転裁判シリーズを知らなくても楽しめます。アクションゲームよりノベル系や謎解きが好きな人はこちら!)と、Horizon Zero Dawn(Horizonシリーズの第1作目なので初見でも楽しめます。広大な自然の中で蔓延る超強い機械獣たちという世界観の中で戦う女戦士のアクションゲームです。めちゃくちゃ面白いです!)をプレイしております。

全部見なくても良いので、気が向いた時に、ふーん、こいつ今このゲームやってんだ〜程度に覗きに来てくれるととても嬉しいです。

やりたいゲームを、愛情持って、じっくり丁寧に。そして、自分が感じた楽しさを隠さず発信して、誰かの楽しい!に繋がったり、自分もプレイしてみようかな…と思ってもらえるように。

これからもマイペースに頑張りますので…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしよろしければ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チャンネル登録をお願いします!!!!!!!!!!!!!!(クソデカ私利私欲)

 

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ときお - YouTube

 

以上、ダイレクトマーケティングでした!!!!!

ユメ+ミライ=無限大めっちゃいい

どこか暖かくて、だけど切ないメロディがとても心地よい。

一昔前のアニメのEDのようで、胸がきゅっと苦しくなる。登場人物みんなが笑顔でトコトコ歩く系のED大好き侍としては最大限の褒め言葉である。

踊りたくなるんだ

いつまでもユメを語りたいんだ

といった希望に満ちた歌詞を、音階を上げるのではなく少し下げることで、自分の内側で噛み締めるように歌っているのが、とても良いと思うし、

一緒にね抱きしめようずっと!

では下がらず上がっていくのが、こちらに問いかけている感じがしてすごく良い。

ゆったりと、だけと遅すぎないテンポで進むこの曲の、美しい情景と、止まることのない時間の流れを感じて愛おしくなる。

僕にとってAqoursは好きの根底を作った大切な土台で、その上に沢山の色々な『好き』が積み上がっているけれど、その土台がたしかに、じんわりと暖かくなったのを感じた。

 

やっぱ好きなんだよなぁって。

みんなみたいに全速力で走り続けられはしないけど、こうして良いと感じたものはやっぱいいよね〜と言える距離感でいたい。