
良くも悪くもある。ただ、ずっと覚えていたい物語。
『Pokémon LEGENDS Z-A M次元ラッシュ』を遊び終えました。
毎日の楽しみとして少しずつサイドミッションをプレイする日々を送り、最終的にはサイドミッションコンプリートまでプレイしてしまいました。
世間的な評価があまり良くなさそうなことは、なんとなく目に入る情報から察しています。
僕の個人的な感想としても、完成度だけを冷静に採点するなら決して満点に近い作品ではないと思います。
でも、エンディングまで見終わったあとに僕の中に残っていたのは、そういう不満ではなく、ずっと「素敵な物語だったな」という気持ちが大きくて。
レビューを語ろうとすると不満が、感想を語ろうとするとこの作品への愛で胸の中が満たされる。そんな作品でした。
アンシャ:子供らしい少女
M次元ラッシュは、アンシャが母親へのプレゼントとしてレックウザを探すところから始まります。
強いトレーナーである大好きなお母さんに、強いポケモンであるレックウザをプレゼントしたい。
それはずいぶん単純な発想だなぁと思ったりもしたけど、色々と考えているうちに笑顔になってしまった。
僕も子どもの頃、伝説のポケモンや幻のポケモンが大好きだった。
「強い」というだけで特別に見えたし、持っている友達がいれば羨ましかった。
どうしても捕まえられないポケモンがいたら、先に捕まえた友達に捕まえ方を聞いたりしたこともある。
そう考えると、アンシャの発想は妙に懐かしかったんですよね。
子どもって、こういうところがあるよなぁって。
「すごいもの」を手に入れれば、それだけで何かが満たされると思っていて、昔の僕もそうだった。
そして、そんなアンシャを見て「子どもらしいな」と思える自分に気づいたとき、少しだけ寂しくなりました。
ああ、自分はもう、そっち側ではないんだなと。
ポケモンを遊びながら、そんなことを考える年齢になってしまった。
アンシャ:大人びた少女
ただ、アンシャは単純に「幼い子」として描かれているわけではなく、そこがこの子を好きになった理由でもある。
レックウザにはどうしても会いたい。
それなのに、異次元ミアレの問題が大きくなったとき、アンシャは自分の願いよりもミアレの安全を優先する。
あのときの残念そうな、だけど周りに気を遣わせないような笑顔を見て、僕はすごく胸が締め付けられました。
もし、ただ「ミアレのためなら仕方ありません!」と迷いなく切り替えていたら、たぶんここまで心には残っていない。
だって、本当は会いたかったはずだから。
レックウザを探すために、泊っているホテルシュールリッシュから抜け出して、MZ団に飛び込んで。
ずっと楽しみにしていた、あの気持ちがなくなったわけではない。
だから残念そうな顔をする。
それでも、今は自分の願いより大事なものがあると判断する。
欲しくないものを諦めるのは簡単だと思う。
けど、本当に欲しいものを、それでも一度手放せるから、その決断には意味がある。
子どもらしい憧れも持っている。でも、人のことを思いやることもできる。
その二つがアンシャの中にちゃんと同居していた。
僕はそこで、「優しくて素敵な子だな」と、「全部解決して、レックウザを探してあげたい」と素直に思えました。
本当に大切なものに気付けた少女
物語の最後、アンシャは母親にレックウザを贈りませんでした。
贈ったのは、ドーナツと本。
異次元ミアレを調査するために、みんなで何度も作ったドーナツと。
MZ団と一緒に過ごした冒険を自分なりにまとめた本。
僕は、この結末が本当に好きなんですよね。
最初から最後まで、アンシャがお母さんを大好きなことは変わっていない。
変わったのは、
「大好きな人に、何を渡したいのか」
だった。
最初のアンシャは、「強いお母さんには、強いポケモンを贈ろう」と考えていた。
最後のアンシャは、「私がこんな時間を過ごしたことを知ってほしい」という気持ちが芽生えた。
誰と出会ったのか。
どんなことをしたのか。
何を楽しいと思ったのか。
自分がどんな場所を好きになったのか。
そういうもの全部を絵や本にして、母親のところへ持って帰った。
それって、すごく素敵で、子どもらしい。
子どもが旅行から帰ってきて、「ねえ聞いて、こんなことがあったんだよ」と一生懸命話すのと同じだなと。
結局、親が一番嬉しいのは、珍しいお土産なのではなくて、子どもが楽しそうに自分の経験を話してくれることだったりする。
アンシャのお母さんも、きっとそうだったのだと思う。
実際、プレゼントを渡す場面そのものは描かれない。
でも、そのあとアンシャは、お母さまがたくさんのドーナツと「物語の続き」を望んでいるから、これからもMZ団との冒険を続けるのだと話す。
それだけで十分だった。
レックウザではなく、その子が持ち帰ってきた物語をもっと聞きたい。
多分お母さんは心のそこから嬉しい気持ちに満たされたんじゃないかと思う。
MZ団という居場所
そして、僕が一番アンシャを愛おしいと思ったのは、その少し前だった。
レックウザ探しが終われば、もうドーナツを作る必要もなくなるとアンシャが寂しそうに話す。
たぶん本人は、そのとき自分が何を寂しがっているのか、まだよく分かっていなくて。
「ドーナツを作る機会がなくなるから寂しい」と話すその言葉の裏には、MZ団のみんなと一緒にいる理由がなくなることへの不安があったんじゃないかと思う。
レックウザを探す。
そのためにドーナツを作る。
そのためにMZ団のみんなと行動する。
アンシャにとっては、それらが全部つながっていた。
だから旅が終われば、この時間も終わってしまうような気がした。
たぶん、アンシャ自身も気づかないうちに、MZ団のことが好きになっていたんだと思う。
ここにいたい。まだ一緒にいたい。
でも、それを「ここにいたい」と言葉にできるほど、自分の気持ちをまだ理解していない。
そんなアンシャに、主人公たちが笑って「まだまだ作ってよ」と言う。
あの一言が、僕にはとても優しく聞こえたんですよね。
ドーナツが必要だからじゃない。
君とまだまだ一緒にいたいから。
それを直接的ではなく、アンシャの歩みに寄り添って言葉をかける。
その優しさが温かいなと思いました。
最初は、レックウザを探すという目的があったから一緒にいた。
でもいつの間にか、目的がなくても一緒にいたい人たちになっていた。
アンシャにとってMZ団は、
「目的のために一緒にいる仲間」から、「目的が終わっても帰りたくなる居場所」へ変わった。
たぶんM次元ラッシュで僕が一番好きなのは、ここだと思う。
遠回りの中に宝物がある
だから僕は、アンシャが見つけたその居場所そのものが、母親への最高のプレゼントだったんじゃないかと思っています。
娘が、「私はここで大切な人たちに出会ったよ」と帰ってくること。
それ以上に嬉しいものが、親にあるだろうか。
物語の最初、母親はただ「大好きなお母さん」だった。
それが最後には、
「自分がこんなふうに成長したことを見てほしい相手」
にもなっていた。
そしてアンシャは、レックウザにもちゃんと「ありがとう」と言える。
レックウザに会いたいと思ったから、この旅が始まって。
その旅の途中でドーナツを作って。
MZ団と出会った。
たくさんの思い出ができて、居場所までできた。
だから、
「あなたを探したことで、こんな素敵な時間に出会えました」
と言える。
結果だけを見れば、最初に想像した終わりに着地できなかった旅だったのかもしれない。
でも、目的地へ向かう途中で拾ったものが、いつの間にか目的地よりも大切になっている。
僕は、そういう話が好きなんだと思う。
『ポケモンらしさ』が詰まっている
僕は、ポケモンらしさとは「子供が冒険に出て、ポケモンたちと触れ合って、すこし成長して、自分の世界観、価値観をアップデートして、帰ってくる」ことだと思っている。
そして今一度振り返って考えてみれば、M次元ラッシュは、アンシャにとってずっとそういう物語だったのかもしれない。
子どもが家を出る。
ポケモンと出会う。
知らない街へ行く。
知らない人と話す。
時には怖い思いもする。
そして、少しだけ成長して帰ってくる。
旅の目的は確かにある。
でも、本当にその子を変えるのは、目的を達成した瞬間ではなく、その途中で誰かと笑ったり、困ったり、別れたりした時間だったりする。
ZA本編は、個人的にはとてもとても好きで、ただ、物語としてはテーマが過去の贖罪だったりと、少し大人びてもいた。
だからM次元ラッシュでは、主人公自身ではなくアンシャが「冒険をして少し成長する子ども」の役割を担っていたのかもしれない。
そして僕たちは、その成長を隣で見守る側だった。
そう考えたとき、不思議な気持ちになった。
ポケモンを好きだった子どもたちは、もうずいぶん大人になった。
もちろん今でも僕たちはポケモンを遊ぶ。
でも同時に、これから初めてポケモンに触れる子どもたちもいる。
その子たちが、昔の僕たちと同じようにポケモンを好きになって、ポケモンと一緒に少し成長していく。
そうやってポケモンの世界は回っていくんだろうなと思ったし、子供たちがこれからも熱中し続けるコンテンツであり続けてほしいなと、心の底から思った。
相変わらずサイドミッションの完成度が高い
サイドミッションがとてもよくて、むしろM次元ラッシュを買ってよかったと思う理由のかなり大きな部分が、ここにあります。
ZA本編の大きな物語が「贖罪」のようなテーマを描いているとすれば、サイドミッションはもっと生活に近い。
人とポケモンが、一緒に暮らす。
それがどういうことなのかを、小さな物語の積み重ねで見せてくれる。
人間とポケモンは、いつでも理想的な関係を築けるわけではなくて。
すれ違うこともある。迷惑をかけることもある。それでも、互いを好きになることもある。
そういう距離感がすごくよかった。
中でも好きだったのが、フレア団ヌーヴォのグリとグリーズの話。
グリは、自分が犯したわけでもない過去の罪を背負って生きている。
街が大変なときには炊き出しをして、自分の願いを叶えたいときも、正攻法でZAロワイヤルを勝ち進んで。
もう十分じゃないか、もう胸を張って歩いていいんだよ、と僕は思う。
それでも本人は、簡単にはそう思えない。人って、たぶんそういうものなんだろうけれど。
頭では「もういい」と分かっていても、自分だけは自分を許せないことがある。
そんなグリに、グリーズが、
「君もリザードンも、表舞台で輝きなよ。そのほうが似合ってると思うけど」
と声をかける。
優しく抱きしめるわけでもない。
大げさに励ますわけでもない。
ただ、少しぶっきらぼうに、「もう前に出てもいいんじゃない?」と伝える。
その距離感がすごく好きだった。
いつまでも踏み出せないグリも。
そんなグリを急かしすぎず、でもちゃんと背中を押すグリーズも。
二人とも、なんだかとても人間らしくて愛おしかった。
「アオガラスの尋ね人」も忘れられない。
まだココガラだった頃、怪我をしていた自分を助けてくれた男の子。
その子がガラルからミアレへ引っ越したあとも、アオガラスは忘れていなかった。
もう一度会いたくて、遠く離れた地方から飛んでくる。
考えてみれば、それだけの話だ。
でも、その「それだけ」がいい。
助けてもらったことを覚えている。
もう一度会いたいと思う。
会うために自分から、海を越えて飛んでくる。
そして再会した男の子も、本当に驚きながら、これからは一生一緒だと言う。
あの話を見て、改めてポケモンも誰かを好きになるんだよな、と思ってウルっと来た。
人間がポケモンを選ぶだけじゃない。
ポケモンの側にも、「この人がいい」と思う気持ちがある。
会いたい人がいて、帰りたい場所がある。
そんな当たり前のことを、すごく丁寧に見せてもらった気がした。
こういう話が見たかった。
サイドミッションを遊びながら、そう思う瞬間が何度もありました。
メインストーリーのもったいなさが惜しい
だからこそ、メインストーリーのキャラクターの使い方には、もったいなさが残った。
特にカラスバ。
今回のカラスバは、異次元ミアレ調査の案内役としてかなり長い時間、主人公たちと関わる。
でも遊び終えて振り返ると、「なぜこの役をカラスバがやっていたんだろう」という疑問が残ったんですよね。
サビ組には人が多いから人海戦術で調査できる。
カラスバ本人も寝ずに調査している。
そういう説明はある。
でも、その頑張りが物語の中で印象的な場面として見えるわけではない。
結果として、カラスバだからこそできた仕事にはあまり見えなかった。
僕はカラスバの、少し距離を取ったところから主人公たちを見ている感じが好きだった。
全部を見せない。でも必要なときには現れる。
気にかけていることも、露骨には言わない。
そういう、つかず離れずの距離感が格好いい。
今回も格好良さ自体は変わらなかった。
ただ、出番が増えたのに、新しく好きになる部分はあまり増えなかった。
それが惜しかった。
むしろ、ずっと隣にいるより、どうにもならないところで突然助けてくれるほうが似合っていたと思う。
例えば、クエーサー社が「異次元のひずみには近づかないでください」と市民へ呼びかけても、面白半分で近づく人がいて、被害が拡大しそうになる。
正攻法では止められない、そんなときにサビ組が出てきて、少し荒っぽく追い返す。
表の人間にはできないやり方で、結果的に街を守る。
そんな活躍だったら、数分しか出番がなくても、ものすごく格好よかったと思う。
そして、その代わりにもっと前へ出てほしかったのがタウニーだった。
タウニーは本編でクエーサー社の次期社長になった。
MZ団かつクエーサーの次期社長なら、異次元ミアレの調査をMZ団へ依頼するのは、タウニーの役目でよかったんじゃないだろうか。
何より僕は、新社長になったタウニーが、街のために走り回っている姿を見たかった。
異次元ミアレから市民を守るため、クエーサー社としてできることを必死に考える。
タウニーが表のミアレを守って、裏の異次元ミアレで戦う主人公たちを支える。
そういう構図なら、本編からのつながりもすごく綺麗だったと思う。
そして最後には、タウニーがずっと助けてきた街の人たちが、今度はタウニーを助ける展開があったらよかったなと思う。
「いつも助けてもらっているから」、「今度はこっちの番だ」と。
最序盤にバターを貰うところくらいしか、タウニーの人助けが報われるシーンがないのがとても寂しかった。
タウニーだけだと大変な時に、街の人たちが立ち上がって、タウニーを支える。
そんな場面があったらよかったなと妄想してしまいます。
僕もサイドミッションを200個やったからわかるんですけど、めちゃくちゃ大変なんですよ。タウニーの人助けって、言い換えると主人公のサイドミッションと同じことをやっているんですよね。
だからこそ、タウニーは報われてほしかった。
ずっと誰かのために動いてきた人だからこそ、その善意がちゃんと本人のところへ帰ってきてほしかった。
ゲーム部分としての良し悪し
ゲームとしての異次元ミアレは、楽しかったところと、しんどかったところが半分ずつくらいだった。
制限時間の中で、「先にこっちをやろう」、「このミッションなら間に合いそうだ」と考えて走り回るのは楽しかった。
時間制限があるからこそ生まれる忙しさが、ちゃんと遊びになっていた。
異次元ミアレという世界そのものも好きだった。
見慣れたミアレなのに、どこかがおかしい。
何が起きているのか分からない。
少しずつその正体が明らかになっていく。
未知のものを調べている感覚には、しっかりワクワクした。
一方で、ランダム性にはかなり振り回された。
特にボーナスボール。
ミッションを全部クリアすると出現して、壊せば大量のアイテムをもらえる。
でも、どこに出るか分からない。
せっかく全部終わらせたのに、ボーナスボールを探しているうちに時間切れになる。
頑張ったあとに、もう一回運試しをさせられているような感覚だった。
あれは、普通にクリアした瞬間に報酬を渡してくれればよかったと思う。
もっとしんどかったのが、特定のポケモンを要求されるサイドミッションだった。
そのポケモンが出る異次元ミアレが発生するまで、ベンチで時間を進める。
ロードする。確認する。
いない。また時間を進める。
その繰り返し。
途中から僕は、YouTubeやNetflixを見ながら更新していた。
そこまでいくと、もうゲームを遊んでいるというより、ゲームが始まるのを待っている。
自分の工夫でどうにかできるならまだいいのですが、こればっかりは待つしかない。
そこはかなり辛かった。
異次元ミアレは、色違いやオヤブン、サイズを厳選する人にとっては、とても価値のある場所なのだと思う。
ドーナツの効果を調整すれば、そういう個体を現実的に狙える。
実際、そうした遊び方をする人から評価されているのも分かる。
ただ、僕自身はあまり厳選をしなくて、どちらかというと、出会ったポケモンとの一期一会を大切にしたい。
僕がこのDLCで楽しかったのは、異次元ミアレそのものというより、
その場所で誰と出会って、どんな話を見られるのか
だったのだと思う。
だから、このDLCの自分なりの評価が少し面白い。
不満は確かにある。
ランダム性は嫌だし、キャラクターの使い方も、もっとできたのではと思う。
それでも、遊び終えて駄作だ!おもしろくなかった!とはまったく思わなかった。
アンシャの寂しそうな顔を覚えている。
「まだまだ作ってよ」と笑ったMZ団のみんなを覚えている。
グリにかけられた、グリーズのぶっきらぼうな言葉を覚えている。
遠く離れた人に会いたくて飛んできたアオガラスを覚えている。
たぶん何年か経ったとき、細かいゲームシステムの不満は忘れているかもしれない。
でも、こういう場面はずっと覚えている気がする。
そういう作品だった。
そして考えてみれば、それはアンシャの物語と少し似ている。
最初に欲しかったものが、最後に一番大切だったとは限らない。
レックウザを探していたはずなのに、振り返ったときに宝物になっていたのは、その途中で過ごした時間だった。
僕もM次元ラッシュに対して、「ここが良かった」「ここはダメだった」と点数をつけることはできる。
でも結局、自分の中に何が残ったのかと聞かれたら、点数とは少し違う答えになる。
たぶん、欠点のない作品ではなくて、それでも僕は、このDLCを遊んでよかった。
最後まで遊んだからこそ出会えたものが、ちゃんとあった。
だから今は、「素敵な物語だったな」と思っている。
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