光があるという事は闇がある証明であり、逆もまた然り。
今回は二面性がキーワードになっていると思うヴァイオレット・エヴァーガーデン第8話。タイトル無き8話です。
ヴァイオレットが自動手記人形として過ごしてきた1~7話の中で断片的に語られてきた『少佐』しか知らない私たちは、戦時中のヴァイオレットが知り得ない(未熟な心ゆえに理解できない)本物の『ギルベルト・ブーゲンビリア』を、ついに見ることになります。
今回は初めて、彼の『ひととなり』が分かる大切な回でしたね。
ではでは、早速はじめていきたいと思います。
『戦争』と『戦後』
ヴァイオレットは沢山の人を殺めてきたし、沢山の人の「いつかきっと」を奪ってきた。ディートフリートが「人の命を奪ってきたその手で人を結ぶ手紙を書くのか?」と責めるのも理解できる。しかし、それはあの戦争に参加したすべての人に言えることであり、生きて『戦争』をくぐり抜け、『戦後』を生きるためには目を瞑らざるを得なかったのかなとも思う。
生と死が常に隣り合わせな戦場で、多くの人が、自分が生きて帰るために誰かの命を奪っていく。誰もが生きることに必死なんです。しかしそんな中、ギルベルトだけは一人『戦後』も見ているのがとても印象的でした。
もというのが大切で、彼は決して現実逃避として戦後を見ていたわけではなく、戦争という現在進行形の闇と戦火の日々を痛いほど真っすぐ見つつも、その地続きとしての戦後を見ていたように思うのです。
それは、上官から言わせれば「偽善」かもしれません。戦時中は必要ない「嗜好品」の類なのかもしれません。しかし、ギルベルトはその瞬間は無価値なものを、祈りのようにヴァイオレットに与えます。
行商から「きれい」なものを見て心が揺れることを「美しい」と教わり、武装してカチコチに固まった心が一瞬緩んだヴァイオレットの中へ、彼は絵本という物語を贈り、報告書という体裁で字の読み書きの練習を命令する。
「報告書を書け」という『命令』は、戦争中だからこそ、本当の事を言ってもヴァイオレットにはまだ届かないからこその言葉なのだと思う。
彼の本当に言いたかった言葉は、勝手な想像ながら「戦争が終わり、君が武器である必要が無くなった時、いつかきっと必要になる。その時の為に字の読み書きを覚えるんだ」という祈りなのだと思うのです。
それを思うと、ヴァイオレットが頑なに報告書を書き続けた1話や3話の姿は、とても痛々しく、とても切なく、涙がこぼれてしまうのです。
周りに自分の信念を踏みにじられながらもギルベルトがヴァイオレットへ渡した杖で、みちしるべで、彼女は戦後の今を自分の足で歩いている。
ただそれだけの事が、こんなにも嬉しいのです。
『緑』と『オレンジ』の二面性
今までの1~7話のヴァイオレット・エヴァーガーデンでは、色によって伝わる印象が決まっていたように思います。
例えは『緑』。緑色はギルベルト少佐の瞳の色ですね。ヴァイオレットは迷う時、寂しい時、苦しい時、嬉しい時に自分の心のど真ん中に着けている緑のブローチを触ります。その行為は救済でも贖罪でもなく、単なる存在の実感だと思うのです。自分はどういう人間で、大切な人は誰なのか。それを実感するための儀式のように見えるのです。言い換えると、『緑色』ひいては『エメラルドのブローチ』はヴァイオレットという人間の『みちしるべ』なのだと思います。
しかし、8話は違います。いや、ヴァイオレットにとっては変わらず『みちしるべ』なんだけども、ギルベルトにとっては違うのです。
8話は、明らかにギルベルトの瞳のアップが多かったです。
7話まではヴァイオレットが依頼人の心に触れ、自身の心が揺れた時、一緒に揺れる彼女の瞳を画面は逃さず捉えてきました。彼女の心が揺れることは、プラスにしろマイナスにしろ、喜ばしいことだから。
しかし、だからこそ今回は彼の『迷い続ける緑の瞳』がより印象に残る。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』においての『みちしるべ』の色は、『ギルベルト・ブーゲンビリア』にとって、『迷い、悩み、苦しみ』の色なのです。
迷いや悩み、苦しみはネガティブなことと囚われがちですが、それは違います。彼(とホッジンズ)だけは、どうしようもないほどに『戦後』を見ているからこそ、皆が心を麻痺させて行う全てに対して苦しんでいるのです。
他の兵士が悪いと言っているわけではありません。
当然、彼らは死にたくない。愛する人や大切な人達に会いたい。ならばまずは『生きて戦争から帰らなければならない』。むしろそれが戦争中の当たり前であり、仕方のないことなのだと思います。
だからこそ、ヴァイオレットの武器的価値は跳ね上がっていく。とてつもない戦果を上げ、戦争を勝利へ導く彼女を、多くの人は利用する。
ギルベルトもまたその一人です。ヴァイオレットが明るい陽の元で、ただの少女として生きるためには、戦争が終わらねばならない。仲間のだれ一人だって死なせたくはない。しかし、その為の最短・最速・最安定の方法こそが『ヴァイオレットの武器としての戦線投入』なのです。
軍人のギルベルトと、ヴァイオレットの保護者としてのギルベルトの二つの顔が、8話ではずっとせめぎ合う。
綺麗な答えは出せない。偽善かもしれない。
けれど。
そんな、彼女の命(=彼女の未来)を何よりも守りたかったギルベルトが迷いのなかで藻掻き苦しんだ結果が、繋がっているのです。
今のヴァイオレットへと、繋がっているのです。
同僚の夢への熱量を取り戻させることができた。
陰で苦しんでいた兄妹が陽の光を浴びるように支えることが出来た。
失恋の悩みを、仕事への前向きな原動力にするお手伝いが出来た。
心からの言葉で、王子と王女を、王女と養母を繋ぐことが出来た。
母への愛憎で苦しむ青年の、夢への一歩を踏み出させることが出来た。
病魔によって離ればなれになった父子に、再会と最後のお別れを言える場を渡すことが出来た。
ギルベルトがもたらした祈りは戦争を超えた先、『戦後』の世界で、小さな奇跡を何度も起こしているのです。その奇跡は巡り巡ってヴァイオレットへと回帰していく。心の傷を快復させていく。
少佐の瞳は、出会った時から、美しい、です。
ヴァイオレットの言葉は、まったくもってその通りだと思いました。
続いてはオレンジ色です。
電気の無いこの世界で、オレンジ色は暖かさの象徴でした。
スペンサーが手紙を読む時も、アイリスの手紙を両親が読む時も、オレンジ色です。彼女たちが紡いだ文字を読むとき、読んで心が揺れたとき、いつもそばには文字や依頼人たちを照らす暖かな光がありました。
しかし、今回の8話に暖かなオレンジは登場しません。全てを焼き、火傷を負わせる戦火の炎が画面を覆いつくします。
いつもヴァイオレットを導いた緑色は迷いに揺れ、暖かさを思わせていたオレンジ色は心と体を焼き尽くす戦火として画面いっぱいに描かれる。そしてなにより、むせ返るような、濃密な香りを思わせる花の描写もありません。(過去のほぼすべての話で花、もしくは落ち葉の丁寧な描写がありました。)
それは、すべて『戦争中』の世界の話だから。
身を取り巻く世界が変われば、言葉や風景、心や感情は表情を変える。その豹変ともいえる変化、自分たちの暮らす世界とは想像を絶する景色に、立ち方や息の仕方が分からなくなる。
ヴァイオレットは今まで『戦争』にチューニングされていた少女でした。私たちがこの8話を見て感じる「土台が崩れる」ような気持ちこそ、ヴァイオレットが1話から感じて苦しんでいた気持ちに近いのかもしれません。
ディートフリートの陰と光
ここからは少し話を戻して、ディートフリートのことを書きたいと思います。
8話の序盤では、ディートフリートとのやりとりがありますが、彼の怒り方に少々違和感のようなものを感じています。
あいつにとってただの道具だった貴様が
感情の無いただの道具だった貴様が
悲しいはずはないだろ。
はじめて5話のラストでディートフリートを見た時、彼は「人を殺めてきたヴァイオレットが、のうのうと自動手記人形として生きなおしていること」に怒りを見せていると思っていました。
ヴァイオレットが手にかけた者の中にはディートフリートの部下もいたようですし、そういった被害者への贖罪無しに立ち直っている事に怒っていたのだと思っていました。
しかし、あの一言は僕の思っていたディートフリート像を壊しました。
もしかしたら僕が思っていた以上に、ディートフリートはギルベルトの事を大切に思っていたのかもしれない。
ギルベルトに死んでほしくなくて、戦闘能力の高いヴァイオレットを拾って、ギルベルトの側に置かせたのかもしれない。
そして、もしかしたら。ギルベルトにヴァイオレットを保護させるために、ディートフリートはわざとヴァイオレットにきつく当たっていたのかもしれない。
と思ってしまいました。
彼の怒りの矛先は、『ヴァイオレットが人を殺めたかどうか』ではなく『ギルベルトを守り切れなかった』という一点に向いているような印象を受けたのです。
5話の「多くの命を奪ったその手で、人を結ぶ手紙を書くのか?」という言葉は、もちろん言葉通りの意味も込められていると思いますが、なによりも『弟を守るためにそばに置かせた武器が、弟を守れずのこのこと戻ってきて、弟の死を悼む様子もなく自動手記人形をやっていること』に対して怒っていたのではないかなと思ってしまいます。
もしかしたら僕はディートフリートが悪人だと思いたくなくて屁理屈をこねくり回しているだけかもしれません。ですが、ディートフリートもまたギルベルトを亡くした戦争の被害者であり、海軍大佐という戦争の加害者なのです。ヴァイオレットと同じなのです。
だから、彼は陽の下へ出ないんだと思うのです。
僕はまだヴァイオレットが少佐の死(僕は死んでいないと思っていますが)から立ち直るかどうか知りませんが、もし彼女が立ち直る時が来たら、ディートフリートにも立ち直ってほしいと思うのです。ヴァイオレットと共に、陽の下で、笑いあってほしいのです。ギルベルトの瞳が美しいなら、きっと、ディートフリートの瞳も美しいと思うのです。
ヴァイオレットとギルベルトの過去編である8話を見て、僕はそんなことばかりを考えてしまうのです。
「」さえもない終幕
今までのヴァイオレット・エヴァーガーデンは、サブタイトルすべてに「」がありました。
それぞれの言の葉の意味を覚え始め、色々な人の事情、心の傷やトラウマにゆっくりと触れ、痛みを共有し、共感し、紡いできた『言葉』 。彼女や彼女の周りにいる人が紡いだ言葉で、今まで物語は閉じられてきました。
しかし、今回は唐突な終わりを迎えてしまいます。
今まで散々『戦争』と『戦後』の話をしてきましたが、この「」がないということが、その最たるものなのだと思うのです。
唐突と言えば、7話もそうではあります。病魔によって引き裂かれた父子や、生きていると思っていた『世界そのもの』がもう失われたものだと知らされたヴァイオレットは、唐突に世界から奪われてしまったからこそ、『言葉が見つからない』という意味で「」(空白)でした。それは言葉を紡いできたからこその『無の証明』なのです。
しかし、今回。
多数の犠牲を出しつつも作戦は成功し、ギルベルトは緑の信号弾を打ち上げます。
緑。ここでも緑なんです。それはギルベルトの瞳の色であり、ヴァイオレットのブローチの色であり、平和の象徴の色。ギルベルトはその光の中に、もしかしたらこの先の『戦後』を見たのかもしれません。
しかし、あの瞬間はまだ『戦争』なのです。戦争の中で戦後を夢見る行為、それは隙以外の何物でもありません。だから、少佐の美しい瞳は銃弾によって撃ち抜かれてしまう。
散々アップで映し、美しい色だと言ってきたその瞳が、戦争によって唐突に奪われてしまう。
嬉しいこと、悲しいことを言葉という形に変換し、宝物のように大切にしたり、心のトラウマを乗り越えたり。そういったものは挟み込まれる余地などなく、ただ唐突に奪われていく。
「それこそが戦争なんだ」と、画面から訴えかけてくるような、ヴァイオレット・エヴァーガーデン第8話でした。
ここからが本当のはじまり?
しかし、 彼女は奪われるだけの人形ではありません。
彼女は、同じく戦争で親を失い、陰の中で苦しむスペンサーを救いました。死で引き剥がされた親子をもう一度再開させ、きちんとお別れをさせることが出来ました。
彼女は、沢山の依頼人の心を不器用ながらも照らしてきました。
ならば、必ずそれらは彼女の元へ回帰する。これだけは言い切れます。
なぜなら、ヴァイオレット・エヴァーガーデンはそういう物語だからです。
照らしたつもりが照らされていたり。
くどいほど、各話の始まりと終わりは同じシーンを描いていたり。
物語の内容も、こういった演出も、すべてはヴァイオレットへと希望が巡り戻ってくる予感を感じさせる為だと思うのです。
だから、どんなに絶望的な幕引きだろうと、私はヴァイオレットの未来は素晴らしいものになると信じています。
これから見る第9話も、心から楽しみです。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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