SEKIRO: とても性格が悪く、最高に面白いゲームの話

SEKIROというゲームは、“The Game Awards 2019”を獲得していたり、累計出荷本数500万本を超えていたりと、タイトルを知らない人は殆どいないゲームタイトルだろう。

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2019年に最も面白いゲームの称号を得たSEKIRO。一体どんなゲームか説明するのはとても簡単だ。

刀を打ち合い、体幹を削り合い、体幹をMAXまで貯めると確殺(ゲーム内では忍殺)できる、というもの。

簡素(とはいえとても重要)なレベル上げ的な要素はあるものの、メイン武器や防具と言った装備関連や、ステータスにポイントを振り分けて自分好みのキャラ育成するような要素は気持ちいいまでに排除され、あるのは主人から戴いた日本刀・楔丸と、宿敵葦名弦一郎に切り落とされ、恩人仏師殿に戴いたカラクリ義手の左手のみ。

プレイヤーは刀とカラクリ義手(斧や槍、爆竹等、状況により使いこなすサブウェポン)を使い、化物じみた侍や怪異と切り結ぶだけという、非常にシンプルなゲームだ。

しかし、シンプル=簡単と言うわけではない。

ボス、雑魚問わず、敵の攻撃は2、3回食らえば死ぬし、死ねば貯めたスキルポイント(使える技を増やす為のポイント)と銭は減る。

何度も何度も死んで、ボスは倒せず、アイテムは無くなり、自分が過ごしているこの時間は何なんだろうと思えてしまう時もある。そこで挫折してしまう人が多くいるのも事実なのだ。

しかし、このゲームの面白さは、やはりこの挫折しかけた時に現れる。

理不尽に殺され、敵のHP3本の内、1本目の2センチ位しか削れなかった初見の絶望感から、5回くらい挑むと削りは5センチに、10回挑むとHPゲージを1本削り切れたりと、少しずつ前に進んでいる事実を目の当たりにするのだ。

レベルも上がってない。装備も変えられない。だからこそ、この削りは間違いなく、自分のプレイヤースキルが向上していることを意味している。

死に続けていると、積み重ねるものが何もないことに虚無感を感じてしまう時もあるけれど、ゲームでのステータスには現れない"プレイヤー自身の経験値"が、確かに上がっているという実感が得られるのだ。

そう考えると、ゾクゾクとワクワクが止まらなくなる。

死ねば死ぬほど、自分の動きの反省点を明確にすること、相手の動きをよく見ることの重要さが分かる。

最初とにかく連打していた攻撃ボタンは、なるべく的確なタイミングで押すようになり、とにかく相手から離れる為に連打していた回避ボタンは、逆に相手の隙を突く為の、距離を詰める行動に変わる。

自分の中の行動基準が、守りから攻めへ、無謀かな攻めから適切な行動へとブラッシュアップされていく。

無駄が多い行動を晒し、死にまくるダサい姿から、"剣戟アクション"の名に相応しい戦いになった時、脳内快楽物質が大量に分泌され、我々プレイヤーはもうSEKIROのことしか考えられなくなるのだ。

 

分かった分かった。もう分かったよ。

アクションゲームとしての面白さは分かったよ。でもさ、ストーリーも重要でしょう?と思った方、ご安心を。

 

SEKIROはストーリーも最高に面白いのだ。

とは言っても、正直ストーリーを把握し切れているプレイヤーは存在しないと思えるくらいに難しく、明言されないことが多い為、これに関しては本当に自分の目で見てほしい。

龍胤の御子という、特別な血の呪いを持つ主人・九郎に「死なないでくれ」と願われ、不死となった隻腕の狼=隻狼が、九郎の龍胤を悪用し私欲を満たそうとする敵や、大義の為に利用しようとする敵から九郎を守り抜くという動機と、殺しても死なないという脅威=何度死んでもやり直せるプレイヤーという、ストーリーとゲームシステムを繋ぎ合わせる妙は見事と言うほかない。

フロムゲーではよく使われる手法だが、素晴らしいものは素晴らしい。

そして、蘇るたびに周りの人間の生命力を奪ってしまっている事実を知り、龍胤の力を消す方法を探らなければと、少しずつ世界の謎、闇に踏み込んでいき、事実を解明していく知的興奮と、ただの侍達から少しずつ異形の敵へと変化していく恐怖と高揚感が波状攻撃で押し寄せてくる構成。

最ッッッッッッッ高である。

 

しかし、SEKIROの魅力はそれだけではない。

死と絶望に包まれたSEKIROの世界には、不意に心が温かくなってしまう描写も織り込まれており、私はそれがとても愛おしく感じてしまう。

しかもそれは、プレイヤーに押し付けるような御涙頂戴ムービーではなく、アイテム説明画面等にひっそりと添えられたフレーバーテキストであったり、トドメを刺す最後の瞬間の敵の言葉だったりと、ほんの少し匂わせる程度のものだ。

けれど、辛く苦しいことしか無いと思っていた隻狼の周りには、暖かな優しさや慈愛があったんだと思えることや、普段無愛想で無表情の隻狼が無意識に行ってしまう、亡くなった誰かを偲ぶ行動に、目頭が熱くなってしまうのだ。

最初は極悪難易度アクションゲームがやりたい!と飛び込んだ私だったが、過大なストレスと達成感を感じながら、知らず知らずの内に隻狼のことが好きになり、九郎のことが、エマのことが、仏師のことが好きになり、辛く苦しい思いをしながら、宿敵達と剣戟を、信念を交わし合いながら、納得のいく答えに辿り着く。

 

SEKIROは、そう言ったゲームだったと思う。

 

 

私はこのゲームは最高に面白いと思う。

賞を取ったから面白いのでは無いし、皆が面白いと言うから面白いのでは無い。

クリアし終えて、とても寂しく感じる気持ちがあるから。隻狼のことがとても好きだと思うから。

このゲームのことが、大好きになったから。