斉藤朱夏とハヤシケイの魅力について全力で語ってみた。【手つかずの明日へ、未来に向けた約束】

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斉藤朱夏の魅力

斉藤朱夏というアーティストの一番の武器は、素直で伸びやかな、真っ直ぐな歌声だと思っている。

滑舌が良くハッキリと聞こえる言葉、力強さを抑えつつもか細くならないファルセット、顔やミュージックビデオを見なくても伝わる感情表現(見なくても伝わるけどMVはマジで見て)。

彼女の歌声は、他のどんなものよりも彼女自身を表しているように思う。

それくらいに僕は彼女の歌声に絆されている。

ハヤシケイの魅力

ハヤシケイというアーティストの一番の武器は、壁にぶつかった時の苦悩、後ろから追い抜かれた時の苦しさや焦りを感じて挫けそうになる弱さと、それでも立ち上がり、また走り出そうとする優しくも力強い歌詞を書くところだと思っている。

しかしハヤシケイの魅力は作詞だけではない。ほろ苦くも胸が熱くなる歌詞を乗せるバンドサウンドが、とても、とても爽やかで疾走感があるのだ。

彼がどんな気持ちで、何を感じて楽曲の作詞をしているかは僕には分かりようもないけれど、それでも、心の弱さを歌う彼の楽曲は僕の弱さに寄り添ってくれて、そして弱さを受け入れて走り出す歌詞によって、僕の心の手を引いて、一緒に走ってくれる。

僕は学生時代に何度も彼の楽曲で心を奮い立たせてきた。

僕は、彼の音楽が大好きだ。

 

おススメ曲を聴いてくれ

ハヤシケイの『素敵な歌詞』を、『爽やかで疾走感のある曲』に乗せて、斉藤朱夏が『素直で伸びやか』な歌声で、真っ直ぐ聞き手に『感情』を届ける。

斉藤朱夏とハヤシケイ』は『鬼と金棒』…否、『鬼と鬼』なんですよね…。

ここからは『アーティスト・斉藤朱夏』の楽曲の中でも特にお気に入りのものを数曲ピックアップし、感想をつらつらと書いていきます。

ただ、これだけは本気で言いたいのですが

彼女の楽曲はマジで全部良い。

レビューを読んで、気になる楽曲があったら聴いてみてほしい。

そして、興味が出たら是非とも他の楽曲にも手を伸ばしてみてほしい。

彼女の楽曲は全て、AppleMusicで聴くことが出来ます。

 

斉藤朱夏のおススメ曲

※歌詞は引用部分に、アンダーライン、斜体で表記しています。

ことばの魔法

作詞:ハヤシケイ(LIVE LAB.)

作曲:ハヤシケイ(LIVE LAB.)

この楽曲は、『斉藤朱夏の力強さ』、そして『斉藤朱夏の真っすぐな感情』を感じることが出来ます。正直、僕はこの楽曲が『くつひも』の中で一番好きです。

優しく、ゆったりと始まるこの曲は、どんどんと力強くなっていく。

聞き手にこの曲のメッセージが『伝われ』と、『届け』と、胸の奥を鷲掴みにされて揺さぶられるような感覚に陥ってしまう。それくらいにメッセージ性が強い楽曲となっています。

 

斉藤朱夏が、そしてハヤシケイがこの曲で伝えたいメッセージ、それは

「『ことばの魔法』とは何なのか」

ということ。

 

三回あるサビの後半で、斉藤朱夏は力強く、優しく、自分自身も噛み締めるように、私達に教えてくれます。そしてそのメッセージの一番の核になる部分は、この曲の『最後の一行』に集約されていくのです。

 

『ことばの魔法』とは、

溢れ出す喜びも 押し寄せる悲しみも

ひとりきりじゃ抱えきれないくらい増えてく

そういうものを分かち合う魔法

であり、

空の果てより広く 海の底より深い

ドアの向こう側 見たこともない景色

そういうものに出会う鍵

であり、

特別なチカラは要らないよ

誰もが持ってる 言葉の魔法

なのだと。

 

嬉しいことがあったり、悲しいことがあったり。

生きていれば、沢山の出来事が起こります。

想いが溢れて止まらなくなった時、その人は大事な人に『伝えたい』と思うのでしょう。

そして、思うだけでは伝わらないから、『言葉にしたい』と思うのでしょう。

 

本当に素敵な楽曲です。

是非、一度聴いてみてください。

ことばの魔法

ことばの魔法

  • provided courtesy of iTunes

 

リフレクライト

作詞:ハヤシケイ(LIVE LAB.)

作曲:ハヤシケイ(LIVE LAB.)

斉藤朱夏とハヤシケイが噛み合う二つ目のポイントがこの曲でよく表れているなと思い、ピックアップします。

ハヤシケイは爽やかで疾走感のあるバンドサウンドが良いと書きましたが、彼のボカロ曲である『アイラビューアイニジュー』のような、ボーカルの可愛いメロディラインとノリの良いバンドサウンドの組み合わせも凄く良いなと思っていて、それがまた斉藤朱夏に合うんですよ。

だけど、曲の雰囲気だけではなくて。

斉藤朱夏の笑顔溢れる明るい性格と、その笑顔の裏で沢山悩んだり考え込んだりする性格と、でもやっぱり明るくいようとする彼女のスタンスが、このリフレクライトとばっちり噛み合っているんです。

僕ら生まれた時から泣いていたから

その分笑いたいと思うのかなあ

背中に羽根が最初から生えてたら

空に憧れたりなんかしないでしょう

のように、少しビターな味わいの歌詞を明るいサウンドの中で歌いあげつつ、サビは

君を照らし『たい』 願い込めた『ライ』ト

だけどひとりじゃ自分の色も分から『ない』

だからそばにい『たい』

『太』陽と月み『たい』に

君がいるから僕も輝けるとか

ねえ 君もそんな風に思ってくれたなら

ああ 世『界』は素晴らしい!

と軽く韻で遊ぶんです。

素晴らしいのはあなた達です。まったく。

 

しゅかしゅーの楽しい一面、そして斉藤朱夏の真剣な一面。それらを過不足なく、丁度良く、鼻歌を歌いたくなるような楽しい音楽にのせて届けてくれる。

ああ、この曲は素晴らしい!

是非、一度聞いてみてください。

 

リフレクライト

リフレクライト

  • provided courtesy of iTunes

 

パパパ

PVを見てくれ。超かわいい。しゅか・・・。

※マジモンのオタク語りになるから注意してくれ!


斉藤朱夏 『パパパ』-Music Video-

パ行の法則(名前を勝手につけました)をご存じだろうか。

『パ・ピ・プ・ペ・ポ』は歯切れが良く、耳にも残りやすい音なのです。

グリコはそれを狙ってパピコプリッツ、ポッキー、カプリコ等々、パ行を気に入って使っているそうな。

つまり何が言いたいかと言うと、『パパパ』は最強という事です。(?)

 

信じるか信じないかはあなた次第

 

 

 

 

作詞:ハヤシケイ(LIVE LAB.)

作曲:ハヤシケイ(LIVE LAB.)

パパパのバンドサウンドはとてもバランスが良くて、斉藤朱夏の歌声がとても良く映える。だけど、バランスがいい=お行儀がいいというわけではなくて。どの楽器も遊び心に溢れていて、それがパパパに彩りを与えているように思います。

斉藤朱夏とハヤシケイだけでもカラフルなのですが、各楽器が生き生きと演奏することによって、楽曲に『つや』が出ているように感じるのです。

曲が始まった瞬間のパッパッパードゥビドゥパッパーの直後に滑り込んでくるベースの存在感と遊び心はもちろん、トランペットの音はまるでトランペット自身が『パッ』と喋っているようだし、個人的に一番好きなのはピアノ!

ベースやトランペットの音に隠れがちなのですが、ピアノはダンスのステップのような軽やかな音を奏でながら、しかしそれでもパパパをきちんと支えつつ、あるポイントで遊ぶように跳ねるのです!

僕的聴きポイントは

Mm(ミリメートル)単位だって枝葉伸ばしてこう

の「枝葉」のところ。

本当に葉っぱが芽吹くような音がするんです。

ぴょろーんって。(語彙無しwww)

聴けばわかる!今すぐ聴いてくれ!頼む!

そして何て表現すれば良かったか教えてくださいwwww

 

まだまだ好きなところがあります。

斉藤朱夏のくつひも収録曲「あと1メートル」で、彼女は

あと1メートル 君の家が遠ければ

そんなことを願ってしまう帰り道

話したい事全部話すには

短すぎる夕暮れ

あと数センチ 例えば背丈が伸びたら

君が見ている世界が少しは少しは知れるかな

背伸びすれば近づける距離がどんな壁より高い

と歌っていますが、この曲の女の子が

Mm(ミリメートル)単位だって枝葉伸ばしていこう

何千km(キロ)先からでも分かるくらい

そしたら見て見ぬふりなんてさせない

って歌っているとしたらめちゃめちゃ可愛くないですか?!

いや、『あと1メートル』と『パパパ』が同じ世界という確証はないのですが(笑)

 

あとはPVについて語っておきたいですね。

個人的PVの見どころは『ダンサーの中にあっても動きがキレキレでつい目が追ってしまう本ダンスのしゅかしゅー』と『ラストの方でダンサーと微妙にハイタッチがずれているしゅかしゅー』です。どっちもめちゃめちゃしゅかしゅーっぽくて『最かわ(最高に可愛い)』です。対戦お願いします。

 

パパパについて書くと、内なるオタク(微塵も隠れてない)が荒ぶってしまうのですが、それは

あふれ出す気持ちは抑えようもないんです

最初からそもそも抑える気が無いんです

それもこれも全部君の仕業だし

ということです。

是非、一度聴いてみてください。

パパパ

パパパ

  • 斉藤 朱夏
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

ハイタッチ

作詞:ハヤシケイ(LIVE LAB.)

作曲:ハヤシケイ(LIVE LAB.)

アーティスト・斉藤朱夏の楽曲の中で、一番大好きな曲です。

初めてこの曲を聴いた時、「あぁ、僕の大好きなハヤシケイの楽曲を、大好きな斉藤朱夏が歌ってる」と思って、不意に目頭が熱くなったのを今でも覚えています。

 

僕らが触れる事が出来るのは、僕らだけの手つかずの明日。

誰かが僕を明日へ連れていってくれるわけでも無ければ、逆に明日へ向かう誰かの手助けをできる訳でもない。

それは当然の話です。

だけれど、僕だけが僕の明日に行けるとして、貴方だけが貴方の明日に行けるとして、それでも今この瞬間に、僕らはいます。

だからこそ僕らは、明日に向かう今この瞬間に『高くハイタッチ』をするのでしょう。

皆が一人ひとりの手つかずの明日に向かうために。

たくさんの明日を積み重ねて、いつか笑顔で出会う日を目指しながら。

 

立ち止まってしまってもいいんです。

歩き出すためのスタートピストルを、何度でも鳴らしていきましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ僕チケット無いんですけどwwwwww(泣)

コロナで引きこもるお供に勧めたいゲーム

不要不急の外出を自粛している昨今、是非とも皆さんに勧めたいゲームがあります。

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それが、このウィッチャー3というバケモン級に面白いゲームです。

このゲームは2015年にゲーム・オブ・ザ・イヤーを受賞しており、かなり有名な作品ではありますが、重厚なストーリー、膨大なサブクエスト、一見難解なゲームシステムと、気軽には手が出にくい要因と魅力がほぼイコールになってまして、気になってはいたけど買わない人、買ったけどやらずに積んでいる人がかなり多い作品でもあると思われます。

時間を持て余している方や、せっかくだし何か面白いゲームやりたいなと思っている方、そして、なんとなく手が出ない方に、ウィッチャー3の魅力をお伝え出来ればと思います。

よろしくお願いします。

世界観・メインストーリー

舞台はキモくてグロい怪物が蔓延る中世ヨーロッパのような世界。

主人公のゲラルトというイケおじ(パッケージの人)は、ウィッチャーというモンスタースレイヤーとして、怪物退治や探し物捜索といった依頼で金を稼ぎながら、血の繋がらない娘・シリを探す旅を続けます。

シリは"古き血脈"として特別な力を受け継いでおり、その力目当てで悪の軍団から追われていて……というストーリー。

ゲラルトはシリが敵に捕まる前に保護しようと、旧友や恋人、元恋人、因縁のある相手など、たくさんの人の力を借りて、全力でシリを追いかけます。(シリ自身もまた敵に見つからぬよう、あっちこっち移動します。スイクンみたい(?))

ゲラルト側、敵側、双方がシリを追いかけるデッドヒートは手に汗握る程に興奮すること間違いなしでしょう。

サブクエストがサブではない

サブクエストがまじでヤバい。

質と量がヤバい。

サブクエストは大きく分けて以下の3つがあります。

  1. サイドクエス
  2. ウィッチャーへの依頼
  3. トレジャーハント(割愛)

1.サイドクエス

サイドクエストは、主にゲラルトと元々親交があった重要キャラクター達からの『メインストーリーの縦軸にはないけれど、あながち無関係とも言えない』依頼が該当します。

依頼の達成内容、会話の選択肢によっては、メインに関わってくるような重要な人が簡単に死亡します。そして、死によってメインストーリーが微妙に変化していきます。

ストーリーにのめり込む程、好きなキャラができる程、選択肢ひとつひとつや、自分のプレイ内容に真剣になってしまいます。

そしてなにより、大筋は似ていても全く同じ物語にはならない、というポイントはとても大きな魅力だと思います。

2.ウィッチャーへの依頼

ウィッチャーへの依頼は、主に一般人からの怪物退治依頼です。

家族が帰ってこない。毎夜家畜が攫われてしまう。仕事場に怪物が住み着いてしまった。だから助けてほしい、と沢山の依頼がゲラルトの元に舞い込んできます。

しかしただのサブクエストだと侮るなかれ。こういったプチクエストも、中々味わい深い魅力があるのです。

多くのクエストの流れとしては以下のようになります。

  1. 依頼者の話を聞く
  2. 状況を確認する
  3. モンスターの痕跡を集める
  4. 追跡し、討伐
  5. 報酬を受け取る

調査していくうちに見えてくるのは、どんな小さなクエストにも依頼者の思惑、もしくは願いがあるということ。

ウィッチャーという強すぎる力を持った存在を、どのように使いたいのか。この一点によって、依頼者がどのような人間かが見えてきます。ここが面白いのです。

依頼者は普通な顔で嘘をついてきます。長々と身の上話を聞かせ、それは退治しなければと誘導し、ウィッチャーに剣を振るわせた後で、実は殺した相手が悪くないことを知らされる、なんて事がざらにあるのです。(それはメインクエスト、サイドクエストにも言えることですが)

 

世界はゲラルトのためにある訳ではありません。やる事なす事全てがいい方向へ向かう訳でもありません。

世界は悪意で満ちていて、例えどんな強い怪物を倒せる力を持つウィッチャーでさえ、大きなうねりに翻弄されるのです。

このゲームには無限と思える程の選択肢があり、善意で選んだその選択が悲しい結果を引き起こすことも多くあります。

 

知人も、敵も、一般人も、皆がゲラルトを騙そうとしてきます。どうせ騙すんでしょと依頼を切り捨てると、本当に困っている人達が必死に手を伸ばしていたことに気付かされたりします。

僕は一時期、やることなすこと全てが上手くいかず、もう誰も信じられなくなりました(ゲームの話ですよ!笑)。

全ての依頼に対して疑い続けることに疲れ果てて、もうやりたくねぇ~~~と挫折しかけたのですが、だったらもう自分が信じた選択肢で進もう!と開き直ってコントローラーを握ったその瞬間から、ウィッチャー3がめちゃめちゃ面白く感じたんです。

 

とあるサイドクエストで以下のようなものがありました。(※ネタバレあり)

  • とある村には生贄の制度があり、森に住む怪物を精霊と崇め、怒りを鎮めるために生贄を捧げる風習があった。(主に老人たちが主張し、生贄は若い人から選ばれる)
  • しかし若者は、精霊などいない、怪物はウィッチャーに倒してもらうべきだと主張する。
  • ここで選択肢が発生

 

  1. 怪物を殺しますか?
  2. 立ち去りますか?

 

貴方がプレイヤーならどうしますか?

 

僕は倒すことにしました。

以下は僕の行動をまとめたものです。自分がプレイしている想像をしながら読んでいただければと思います。

 

まずは恒例の調査ターン。

生贄を送る森を調査してみたところ、森の精霊はエンシェントレーシェンという超絶強い怪物でした。

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怪物図鑑を読み、エンシェントレーシェンをおびき出す準備と、戦う準備を進めます。

図鑑にはその怪物のフレーバーテキストが詳細に記載されており、その怪物の成り立ちや弱点、行動パターン、逸話などが記されています(こういった文書が、より世界観に深みを与えてくれて僕は大好きです)。

レーシェンに有効な印(という簡易的な魔法)を確認、オイルを剣に塗り(オイルの種類によって、怪物に与えるダメージが向上します)、いよいよおびき出します。

このエンシェントレーシェン、姿を消すわ木の枝振り回してくるわカラスを飛び道具みたいに飛ばしてくるわでもう強すぎたのですが、イグニという火炎魔法を駆使しながら倒しました。

討伐して村に戻ると、様子が一変していました。

村中が血の海。依頼してくれた若者たちが「化け物を崇める老人は村の癌だ」と言い、老人たちを皆殺しにしていたのです。

生贄の風習を無くしたいと思って依頼を受けた事で、エンシェントレーシェンが殺した人数よりも遥かに多い数の死者を生み出してしまいました。

若者から報酬を受け取り、ゲラルトはなんとも言えない表情でその場を去りました。

 

 

 

 

どうでしょうか。

サブとはいえ、なかなか濃いクエストだなぁと思いませんか。

ひとつのサブクエストの中に、メインと全く関係の無い村の状況や人間関係、対立関係の変化が組み込まれているんです。

そんなクエストで溢れた世界だから、メインストーリーと同じくらい濃いサブクエストの消化が楽しくて仕方がないのです。

 

メインクエストで大都市から港近くの都市へ移動していた時、ふと立ち寄った村がありました。

その村は家が十軒くらいの小さな村でしたが、人がほとんどおらず、老夫婦の2人だけが生活していました。

その夫婦の隣の家には、おびただしいほどの血痕。夫婦に話を聞いても、「あの小屋は旦那が狩ってきた動物を捌くのに使ってるの」の一点張り。……ワクワクしてきませんか。

続きは書きませんので、ぜひぜひプレイしてみてください。笑

 

悪かった点

  1. ロードが長い
  2. ウィッチャーの感覚の設定はすぐ変えるべし
  3. 抽出液、錬金術、オイルが分かりにくい

1.ロードが長い

普段はサクサクなのですが、一度死ぬと長時間ロードが入ります。

敵の攻撃は痛い(難易度による)ので、わりと死にやすいですし、少し高いところから落ちると簡単に死にます。

ただ、オートセーブ機能はしっかりとしていて、うっかり死んでしまっても割と近いところから再スタート出来るのはとても有難かったです。

しかしロードが長いことには変わりないので、その点はご注意ください。

2.ウィッチャーの感覚

ウィッチャーの感覚というモードを、ゲーム中何度も何度も使用します。このモードは、怪物の匂いや足跡、音や血痕を見つけやすくするものです。

状況を把握したり、敵の正体を推理したり、追跡の足がかりにしたりと、このゲームの醍醐味を味わう根幹にあるモードです。

これがなかなか…画面酔いしやすいんですよねぇ。というのも、魚眼レンズを通して見たような感じになるんです。

止まってる分には良いのですが、ゲラルトを操作しながらになるのが殆どなので、本当にやばいです。

設定で魚眼レンズ効果をオフにできるので、酔いが酷くなる人はオフにしてプレイすることを推奨します。この効果のオンオフで、ゲーム内容に何かの弊害があったりはしませんのでご安心ください。

3.ゲームシステムが分かりにくい

エンシェントレーシェンの所でも書きましたが、ウィッチャーの戦いにはいくつかの要素があります。

  1. 抽出液・霊薬
  2. オイル
  3. 爆薬

赤字部分が分かりにくいんです。

僕は中盤まで全くノータッチで脳筋プレイしていましたが、抽出液とオイルの使い方を覚えてから、戦闘が一気に楽しくなったのを覚えています。

抽出液・霊薬

抽出液や霊薬は、倒した怪物の素材を元に錬金術で作成します。

飲むと一時的に攻撃力が増大したり、大ダメージを食らうと自動的にバリア(クエンという印)を張ってくれたりと、戦闘を有利に進められるものです。

抽出液には中毒度というものがあり、効果量が大きいものほど中毒度も高くなっています。

少ない効果量のものを組み合わせて使用するのか、大きな効果量のものをひとつだけ使用するのかはクエスト内容によってプレイヤーが判断します。

洞窟や海底のクエストが多く、画面がめちゃめちゃ暗くて見にくい時があるのですが、猫の目という霊薬を使用すると明るく見えるようになるので、まずは猫の目で霊薬の使い方に慣れるといいと思います。

オイル

オイルは敵の種類に対応したものを剣に塗ると、ダメージが向上するものです。

正直、これがかなり大事です。ダメージ増加量がとんでもなく上がるのですが、それよりも、プレイヤーが敵をよく観察するようになるんです。

何度も戦うお決まりの敵に対しては、あーはいはいこいつにはこのオイルね~~~となるのですが、初見の相手の場合、このオイルを選ぶというのが超楽しくなります。

相手の特徴や、類似する怪物からヒントを得て、依存種なのか、吸血種なのか、悪霊なのか、交配種なのか、などを判断しなければなりません。

全12種のオイルが、より深く敵を見る機会を与えてくれます。早めに慣れると、より楽しめると思います。

 

 

如何でしたでしょうか。

少しでもウィッチャー3の魅力をお伝えできたでしょうか。

このゲームはPS4Nintendo Switch、Steamと、各ハードで発売されていますので、興味がある方で、対応のハードをお持ちの方は、ぜひぜひプレイしてみてください。

僕はPS4版しかプレイしていないので、ハード毎の違いは分かりませんが、Steam版が一番えっちでグロいです。(女性キャラの衣装によっては露出度が高いのですが、PS4版だと女性キャラは皆胸にブラのような布が巻いてあったり(布というよりボディペイントにしか見えず、違和感がある)、敵を切り裂いた時の断面がレバーのようなのっぺりとした色になっています。)

 

ゲームする気は起きないけど、内容は気になる!という方は、YouTubeでゲーム実況を見るのも手かなと思います。

2BRO.で有名なおついちさんのウィッチャー実況は、世界一分かりやすいウィッチャー動画として公式から認定されていますので、ウィッチャー世界を味わう上で1番いい動画だと思います!

 

それでは、僕はウィッチャー3最後のダウンロードコンテンツ「血塗られた美酒」に戻ります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 

明日もきっと。

正直、今日で5年という実感がわかない。

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僕はプロジェクト始動の一枚絵を見て、ふわっと楽しみな気持ちを感じた程度で。

のちのちになって、『楽しみ』は『好きかも』になり、『好き』を経て『大好き』になって今に至る。

まさか、ここまで自分が好きになれるものになるなんて、想像もしていなかった。

 

運命の出会いってあるのだろうか。

僕はないと思っている。というか、なかった。

出会った瞬間に、1枚のイラストから何もかもを感じ取ったり、自分の1番大事な価値観の基盤になったり、思わず涙が止まらなくなったりすることはなかった。

 

だけども、高海千歌という女の子と出会って。

等身大に全力で頑張り続けるその子はとても応援したくなる女の子で、だけど努力は裏切ることもあって、夢は叶わないこともあって、そして最後は自分の輝きをみつけて、また走り出した姿を見て、僕はたくさんの事を教えて貰った。教えて貰って、実践してみたり、飽きてやめてしまったり、飽きずに続けていたりする。

 

僕は今、この画像を見てすごく温かい気持ちになっている。

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それは、運命の出会いだったからじゃない。

偶然の出会いを、僕が、運命かもしれないなと思えるくらいに変えたんだ。

僕だけじゃ無理だったと思う。

僕がいて、Aqoursがいて、制作スタッフがいて、応援する仲間がいて、全員で、全員が楽しんだ日々があったから、『運命』に変わったんだと思う。

 

これからも変えていきたい。

Aqoursと、みんなと、まだまだ楽しいことをしていきたい。

 

Aqoursの皆さん、5周年おめでとう。

これからもどうかよろしくね。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第10話 感想

人は一人の人間であり、その名前には唯一無二の願いや祈りがある。これは前回の9話の一番のメッセージだったと思います。

しかし、人は生きていくうちに、少しずつ、自分を表す代名詞が変わっていきます。

ホッジンズは『軍人』から『社長』へ。ヴァイオレットは『戦争の道具』から『自動手記人形』へ。立場や役割はその人を示す名前の代わりとして機能し、そして、時の流れと共に、少しずつ変化していくのだと思います。

 

さて。

今回のお話は、ひとつの物語が二つの目線で語られます。

ひとつは、アン・マグノリアという一人の少女が『子供と大人の境界線』で苦しみながら、『子供』から『大人』に、『娘』から『母』になるまでの物語。

もうひとつは、火傷を乗り越えたヴァイオレット・エヴァーガーデンが、"死が引き裂くはずだった母娘の絆"を、『手紙』を書くことで未来へ守り抜く物語。

大きな山場を超え、ひとつの区切りを着けたヴァイオレットが歩む道は、それでもいつも通り。誰かの愛を、大切な誰かへ届けるものでした。

母と娘

アンは幼い子供でありながらも、母親に残された時間が短いことを知っている。そして、そんな母親に付き纏う親戚たちの醜い欲望もなんとなく感じている。アンはアンなりに理解しているのです。

母を心から心配してくれる人なんていないことを。家にやってくる"お客さん"は、自分とお母さんの時間をただただ奪っていくものだと。

ヴァイオレットもまた、アンとお母さんの『七日間』という時間を奪う"良くない人形"としてやって来て、しかし最後は"優しいお姉さん"として帰っていきます。

ヴァイオレット自身は何一つ変わっていないけれど、一緒に過ごした七日間の中で、アンの目に映るヴァイオレットが変化していくのです。

愛する人はずっと見守っている』という今回の物語は、アンの主観で始まり、終始アンの人生を追いかけます。

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母と娘が同じ画面に映る時はヴァイオレットが映らないように演出されるのを見て、「これはヴァイオレット・エヴァーガーデンでなく、アン・マグノリアの物語だ」という強烈なメッセージのように感じました。

忍び寄る気配

ヴァイオレットとクラーラは、外のサンルームで手紙の執筆をします。透明なガラスによって隔てられたその場所は、アンにとって踏み込めない領域であり、何を書いているのか、どんな言葉を交わしているのか分からない大人の世界。

秋から冬になろうとしている季節は、サンルームに落ち葉や枯葉を落とす。それは七話のオスカーの時と同じく、死の概念がクラーラに迫っていることを示しています。

そして、透明なガラスの内側で、アンはその光景を見ているのです。

アンはクラーラの『いい子で居てね?』という言いつけを守り、子供らしくあろうとします。けれど、クラーラが発作で崩れ落ちるところを見てしまっている。普段の姿から、もしかしたらもう長くはないのかもしれないと察してしまっている。

忍び寄る暗いものを自分なりに見て、『見えていない振りをしよう』と選択しているのだと思うのです。

『いい子』で居れば、『お母さんが言った「早く良くなるわ」も現実になるかもしれない』という打算的な『子供らしくなさ』と、そんな安易な願いに縋ってしまう『子供らしさ』が、アン・マグノリアという少女なのだと思います。

鏡写し

今回のお話は第九話と同じ骨格をしており、ヴァイオレットが"どちら側"に立っているかという違いによって、お話のテイストを変えているように思います。

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上のカットから分かるように、第九話のヴァイオレットと第十話のアンは、鏡写しのような存在なのです。

彼女達の共通項は『たった一人の大事な人を失う悲しみ』です。その痛みを誰よりも実感しているからこそ、ヴァイオレットはアンの痛みを受け止め、抱きしめることが出来る。

届けるに足る重さが言葉に宿る。

私の腕が、あなたの腕のように

柔らかい肌にはならないのと同じくらい

どうしようもない事なのです。

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近い将来、病魔に奪われるであろうクラーラの命はどうしようもない(=守れない)。ヴァイオレットの銀の腕が、アンの柔らかな肌にはならないのと同じくらい、どうすることも出来ない。

けれど、ヴァイオレットは奪われた腕を銀に変え、アンから大事なものを根こそぎ奪おうとする"どうしようも無い世界の現実"から、母の愛を手紙として隔離し、守ることが出来る。

ヴァイオレットの中の"優しさ"や"苦しさ"が心の中で暴れていたとしても、『自分は自動手記人形なのだから』と、心に仮面を被せ、涙を流さず代筆をやり遂げることが出来る。

それらは、第七話のヴァイオレットではできない事でした。オスカーがオリビエを喪失した痛みに共感し、耐えきれなくなり、ヴァイオレットは涙を流してしまいます。それでも不器用なりに、不完全なりに、オスカーと二人三脚で彼のトラウマを"美しい思い出"に昇華できた日々があったから、今彼女は青い日傘を携えて、母娘の愛を守ることが出来ているのです。

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してきたことは消せない。

でも、君が自動手記人形としてやってきたことも、消えないんだよ。

第六話で"寂しさ"を知り、第七話で"大切な人を喪失するのはとても寂しく、こんなにも辛いことなんだ"と実感し、第九話で"どうしようもないことばかりだけど、それでも生きていたい"と思えた彼女だから、『大切な人を喪失しても、笑顔で人生を歩んでほしい』という五十年分の母の想いを不足なく手紙に込めることが出来たのだと思います。

愛する人はずっと見守っている。

今回の物語は、クラーラを中心とした半径5メートルの中でのお話です。

 

病状の母がいて、寄り添う娘、家政婦、代筆担当の自動手記人形がいる。

母は深い愛情を五十通の手紙として残し、娘はその手紙を胸に、自分の人生を歩んでいく。

 

オスカーの時と同じく、今回の手紙は一種の『タイムマシン』のようだなと思います。

半径5メートルの空間で、過去から未来までを繋ぐ深く大きな愛が、手紙に込められているように思うのです。

 

しかし、その愛の円は半径5メートルに留まりません。

CH郵便社に戻って、母娘を想い涙を流すヴァイオレットがいる。そして、ヴァイオレットの涙を受け止める仲間がいる。

五十年に渡って手紙を保管してくれる郵便社があり、毎年手紙を届けてくれる配達人がいる。

直接アンを見守れる訳では無いけれど、それでも心のどこかで、関わっている皆がアンを見守っているのではないでしょうか。

そして、誰しもがそうなのだと思うのです。

アンを見守るヴァイオレットを、ずっと見守っているホッジンズがいます。胸に輝く緑のブローチがあります。

誰もが誰かの何かを貰い、育ち、新しい誰かへと還元していく。その中で沢山の光や痛みを抱え、生きていく。

ヴァイオレットは依頼人との一瞬の交わりの中で心を込めた手紙を書き、人と人を繋いでいきます。

手紙を書く時間も、読む時間も、長い人生の中では一瞬かもしれません。しかし、繋いだ絆は、想いは、これからも書き手と受け手の中で輝き続ける。

そしていつか、その輝きは誰かを照らす光になるのかもしれません。

 

 

 

 

ヴァイオレットの『手紙』のように。

 

 

 

 

今回の十話も、とても素晴らしかったです。

アルキメデスの大戦 感想

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壮大なスケールで描かれる戦争映画と思わせておいて、その中身は戦時中の日本内部の予算会議だった。

こう書くと、とても見たいとは思えないかもしれない。最初の僕が正にそうだった。しかし、偏見を1枚ずつ剥がし見たそれは、とても惹き付けられる魅力に溢れていた。

この映画は、櫂直(かい-ただし)という一人の天才数学者が数字の力で戦争を止めさせようと足掻き、それでも激動のうねりに飲み込まれていく過程を見事に収めていたように思う。

あらすじ

世界一強大な戦艦を作り、米英に日本という脅威を知らしめたい"平山案"。提出された建造費は8900万(今の金額で1600億円)。戦艦としての出費を抑え、航空機による戦争にシフトしたい"藤岡案"。提出された建造費は9300万(1700億円)。日本の海軍は、このふたつの案で揺れ動いていた。

最終決定会議での可決基準は、"建造費に対するその戦艦の貢献度が適切かどうか"。つまり、安ければ安いほど採用率は跳ね上がるということ。

どうしても平山案を阻止したかった山本五十六(やまもと-いそろく)は、世界最大の戦艦の建造費があまりにも安すぎるという疑惑に目を付けた。

予算の虚偽申告の摘発に活路を見いだした山本一派は、ある日数学の天才・櫂直と出会う。

「日本が戦争に希望を見い出す巨大戦艦を作ってはいけない。本当の建造費が分かれば、その戦艦は作らずに済む。君の力が必要だ。」

櫂は渋々ながら、山本五十六の依頼を受けるのだった。

 

※ここからネタバレ有り。

 

感想

圧倒的な天才である櫂直が、目の前のハードルを越えようとがむしゃらに突き進む姿に胸が熱くなり、しかし、そのハードルを超えた瞬間に垣間見た景色に打ちひしがれる姿に、なんとも言い難い虚しさを感じた。

建造費の闇を暴いた瞬間に語られる平山の本当の思惑、それは敵を騙すにはまず味方からやらねばならない、アメリカが戦意を喪失するほどのものを秘密裏に作らねばならないという、戦争に勝つ為の揺るぎない意思だった。

建造費にばかり注目していた櫂にとっては、足場の土台が崩れ落ちる程の衝撃だったに違いない。あの時の菅田将暉の表情はとにかく素晴らしかったし、役者としての彼の凄みを見せつけられてしまった。

頭脳で上回った櫂。揺るぎない意思で圧倒した平山。そして、平山を称える会場。莫大な建造費だと明るみになってなお可決される絶望に打ちひしがれていた櫂だったが、その瞬間、ふと平山の船の重大な欠陥に気がつき、脳内に浮かぶ疑問が次々と口からこぼれ落ちる。

先程までの櫂は、情報をかき集め、論理を組みたて、何がなんでも相手の策の不正を証明したいという自発的な思いがあった。

しかし、この瞬間の櫂は違う。目的のための手段として集めた知識が、彼の中で暴走を始めてしまう。会場中は櫂の言葉は戯言だと痛烈に批判したが、唯一真剣に聞いていた男がいた。平山だ。彼は騒ぎ立てる会場に「お静かに」と一喝し、「続けて。」と櫂の言葉に耳を傾け続けた。

数刻の時が過ぎ、導き出された「この船は、沈没する。」という答えに、平山は納得すると共に、先程の櫂以上に絶望した。息を忘れるほど、見ていて胸が痛くなるほどの絶望とはこの事かと思った。

平山は悪事に手を染めつつも、その信念は常に強く美しい戦艦を建造することにあったはずだが、その船自体に問題があると発覚した時の平山演じる田中泯の迫真の演技は菅田将暉以上に"重い"演技だと思った。

平山が何十年もかけて培ってきたもの、積み重ねてきたものが崩れる衝撃と、たった数週間船の勉強をしただけの数学者によって崩されてしまった衝撃の双方が合わさった絶望を、不足なく表現していたように思う。

 

しかし、僕は待てよ?と思った。

僕は巨大戦艦が建造されたことを知っている。映画の冒頭に、多くの人間とともに沈没していった超巨大戦艦のシーンがかなりの迫力と尺で描かれていたはずだ。

しかし、今この瞬間に戦艦の建造は白紙に戻っている。この後に何が起こるんだろうかと思った時の不安と、しかし抑えられない不穏な胸の高鳴りは、とても言葉にし難い。これがロマンというものなのだろうか。

 

後日。櫂は平山に呼び出され、ある部屋に通される。

そこには、完成されるのを座して待つ超巨大戦艦の模型が飾られていた。

息を飲む櫂に、平山が言った。

「あの計算式を教えてくれないか。そして一緒に作らないか。本当は、君もこの船の完成を待ち望んでいるんだろう?」

日本は今、国力の差など無視して、実現するはずのない戦勝国の夢を見る。日本という国は、お上の為という信念の元、最後の一人になるまで戦い続ける。日本は上手な負け方を知らないのだ。

しかし、日本を象徴する、強く美しいものがあったらどうだろう。人々の希望が一心に集まり、その希望が砕けたとしたら。

人々は絶望し、武器を捨てるのではないだろうか。

続けて平山は櫂に言う。

「私は日本の依代を作りたいんだ。名は、戦艦大和とする。」

 

櫂の呼吸は荒かった。

櫂は、今この瞬間にどうするべきかを見て、考えて、行動し、掴んできた。しかし、平山は一人、戦争の先の先を見ていた。櫂とは違う次元に狙いを定めていたのだ。

 

結局、櫂が首をどちらに振ったかは描かれなかった。けれど、冒頭のシーン、そして僕らの史実から察するに、きっとそういう事なんだろう。

 

 

 

 

この映画のラストシーン。

巨大かつ美しい戦艦大和が夕日を浴びながら雄々しく出港する姿を見て、櫂は静かに涙を流す。

「どうされました?」と問うてきた隣の軍兵に言った「私には、あれが日本そのもののように見えるんだよ」が、自分では戦争を止められなかった悔しさ、その中でも最上の妥協点を選べた誇らしさ、そして、美しい戦艦に湧いてしまった愛着を自覚しながら、それでもこれから無惨に沈没する未来が待っている悲しさ、虚しさが全て入り交じった、最高の締めになったと思う。

 

これは史実を元にしたフィクションではあるけれど、物語自体の面白さ、事実と虚構の境界線は何処にあるのかというロマン、そして、実際に終戦後の世界を生きてきた自分の祖母と戦争について話すきっかけを貰った。

 

からしたら遠い場所にあった、最早他人事のように思っていた戦争が、ほんの少しだけ身近に感じられた。

 

とても面白い映画だった。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン第9話 感想

ヴァイオレット・エヴァーガーデンとはどういう話なの?と聞かれるならば、戦争の兵器として育てられた少女が人間になるまでの心のリハビリテーションの物語だ、と僕は答えると思う。

少佐の命令というみちしるべを無くし戦後という世界に適応できなかった少女が、自身の存在価値を見つけるまでの物語。

別れの直前に少佐から「愛してる」という言葉を渡されるも、その言葉をきちんと受け取れず脳内でエラーを起こした彼女は、代筆業を通して「愛してる」の意味を探す旅を始める。

「愛してる」には沢山の意味が含まれている(そこが難しく、また愛おしい)けれど、その意味は全て大切な人から大切な人への暖かく輝かしい想いだ。そして、代筆という行為の中で愛してるの意味を一つ一つ知るたび、彼女は自責の念に駆られていった。

いつからか、「愛してる」を知るための旅は「戦争で人を殺めてきた私が、この世界にいていいんだろうか」という自問への答えを探す旅になっていった。

さて、今回の9話のテーマはいたってシンプルだった。彼女の最後の問いである「私は、生きていていいのでしょうか?」に尽きると思う。

五話のラスト、ディートフリートの言葉を受け取った時から今の今までずっと悩んできたその問いは、無痛だった火傷の痛みを呼び覚まし、彼女を蝕み、最後は大切な想いを呼び起こさせた。

 

『火傷』

僕はディートフリートの言葉ばかりに目が行きがちだったが、改めて考えてみると、一番最初の火傷を思い出させる種火はホッジンズの言葉だった。

そのことをすっかり失念していた…というか『ヴァイオレットの悩みを客観的に見て、乗り越えるべき障害を与える役割』としての言葉のようで、僕は言葉の意味ばかりを考えてしまい『ホッジンズが言った』という事実に思考が向かなかったというのが正しい。

今回の九話を見て、初めてホッジンズを知れたような気がする。

 

今回のホッジンズは、不思議な立ち位置だった。

ヴァイオレットがギルベルトの面影を探し彷徨い続けている時、彼は寄り添う母親のようだった。

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じゃあ、俺もここにいる。

君が一緒に戻ってくれるまで。

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引っ張って悪かったな。大丈夫か?

雨に打たれるヴァイオレットを連れ戻したのはホッジンズではなく、会話の流れから察するにベネディクトのようだった。

一話でヴァイオレットを車に乗せるのはホッジンズだったのだが、九話では車に引っ張っていくことが出来なかった事に違和感を覚えた。

 

そして、中盤以降の彼は厳しい父親のような印象だった。

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境遇がどうであれ、経緯や理由が何であれ、してきた事は消せない。

どうするかは自分で決めるしかない。

少佐を失った彼女に寄り添ったこと。

痛みを乗り越えさせるために寄り添わなかったこと。

この二つの顔が、ホッジンズが一人の人間として存在している証明のようでとても良かったと思う。

 

彼の二面性だが、ホッジンズの本心は後者の「寄り添わない」方だと思う。

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燃えているのはあの子だけじゃない。

俺や君だって、表面上は消えたように見える火傷の痕もずっと残ってる。

この言葉から分かる通り、彼自身もまた火傷を負っている。

ヴァイオレットを雨の中から連れ戻した帰り道、ガルダリク軍の和平反対派の被害による通行止めを食らった時に、軍時代の自分を飲み込みつつ後輩と会話したシーンから、ヴァイオレットと同じく彼の中にも軍として過ごした時間(=決して消えない火傷)が存在していることが感じられた。

彼もまた、ヴァイオレットと同じ痛みを知っているのだと思う。だからこそ、ヴァイオレットにとって一番辛い時こそ手を貸さない。サポートはするけれど、寄り添いはするけれど、乗り越えるのは自分の力でなければいけないと知っているから。

 

では、前者の『寄り添う母親』のような顔は何が根底にあったのか。

それは戦争時代の後悔と、ギルベルトへの贖罪と、ヴァイオレットへの共感が入り混じったものだったのかなと想像している。

元々、ホッジンズがヴァイオレットを受け入れた考えの底には、『ギルベルトから託された』という想いの他に、少女が戦線に投入されることに反対を言えなかった負い目も混じっているように見えた。純粋な善意ではない、彼の『自分の後悔、負い目を晴らす為』というエゴが混じっているように思うのだ。

しかし、それは決して悪いことではない。どんな思いであれ、今彼がやっている仕事が素晴らしいものであることに変わりはないと思うから。

彼も火傷を負っている。見えなくなっているだけで、カトレアやベネディクト、もしかしたら街ですれ違う人達も、見えない火傷を負っているのかもしれない。

それは、戦後という世界が単独で存在しているのではなく、戦時中という地獄から地続きの先にある安寧であり、戦後にヴァイオレットが存在してはいけない理由にはならない何よりの証明のように感じられた。

しかし、ヴァイオレット・エヴァーガーデンは自身の火傷に苛まれ続ける。『世界の全て』であるギルベルトを失った彼女は、自分が生きる意味を見失う。誰かの『世界の全て』を奪ってきた彼女は、生きていていいのか分からなくなる。

カトレアからの差し入れを食べず、ベッドに入らず、寝間着に着替えもしない。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品で丁寧に、大切に描かれてきた衣食住(=生きること)を彼女は放棄する。

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タイプライターで多くの想いを繋いできた銀の手で自身の首を締めるシーンはとても辛く、正直見ていられなかったが、彼女は自ら死ぬことは出来なかった。

少佐が繋いでくれた命だからだろうか。

銀の手は想いを繋ぐ手であって、命を殺める手ではないからだろうか。

色々と考えてみたけれど、僕にはわからなかった。

生きることも死ぬことも諦めた人形になってしまったようでいて、しかし溢れ出る涙と少佐への想いは彼女の心が確かに存在している証明のようで、苦しさと悲しさ、ほんの少しの嬉しさが混在した不思議な気分だった。

 

 『手紙』

九話の前半は明らかに色使いが暗く、彼女の心が戦争の黒煙に包まれている事が分かる。例え過去の戦火の煙だったとしても、それはずっと消えることはない彼女の過ちだ。人々は過去の過ちを忘却する、もしくは上手くかわし続けることで戦後の世界に適応する為、彼女を取り巻く黒煙を見ることはできないのだと思う。

なにより辛いのは、光のほとんどを彼女の陰を『より映えさせる為のもの』のようにアニメの画角の中に組み込んでいる事だ。戦後の世界が眩しいほど、そこで育んだ愛が輝くほど、彼女は自分の陰が濃くなっていく感覚に陥るのだろう。

しかし、後半。ローランドさんがノックと共に現れた瞬間から作品の雰囲気が変わった。

差し入れを持って行ったカトレアはヴァイオレットに会えなかった。火傷と向き合う事を選び続けてきたヴァイオレットと、火傷を見て見ぬふりをし(これは別に悪いことではない。むしろこちらが普通だと思う。)ここまで生きてきたカトレアの間には、触れ合えない壁が存在しているのだと思う。

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壁に囲まれていれば、当然届けたい光は届くはずはない。どうにかしてその壁をこじ開ける、ないしは開けさせることが必要だった。そこで現れたのが、アニメ公式サイトのキャラクター紹介にさえ名前が無い配達人、ローランドさんだ。

ローランドさんについて9話時点で詳細に語られた話はなく、強いて言えば「ワシ、食うよ?」くらいだろうか(ベネディクトが女子に焼きそばを振舞おうとしてフラれたシーン)。

本当の祖父のような暖かさと優しさは、普遍の幸せの代名詞のようだ。

『気遣われる気持ち』とは相容れなくとも、届け先に手紙を届けに来た『仕事』であれば、彼女は扉を開けてしまう。

それはとても自然で、当たり前のことだから。

しかし、その当たり前によって開いた扉からは、暗闇を優しく照らすオレンジの明りと共に、大量の手紙を携えたローランドさんが現れる。

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偶然か運命か、ベネディクトが足を挫き仕事ができなくなり(三話のスペンサー、もしくは四話のアイリス(どちらも本質を見失いかけた人が生きる意味、成し遂げたい目標を再確認する物語だ)のリフレイン。ヴァイオレットの代わりに足を挫くベネディクト可哀そう…)、ローランドさんの元には大量の未配達の手紙が残っている。

それを見たヴァイオレットが「手伝う」と言うのは、九話まで見た視聴者なら想像に難くない。なぜなら「与えられた任務に関しては、一切の妥協せず確実にこなす」というのが、軍人として彼女が自らの手を真っ赤に汚した個性であり、また同じく自動手記人形として誰かの大切な思いを掬い上げてきた彼女の個性なのだから。

 

彼女は手紙を配達するために、誰そ彼時に外へ出る。青空の元は眩しくてまだ歩けないけれど、街を仄かに照らす程度の灯りならば、彼女は自分の個性に従うことが出来る。

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そうして手紙を配達していく途中で、彼女は『手紙』には「待っている人」と「送る人」がいること、そこには「嬉しい」があること知る。

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配達を終え部屋へ戻ったヴァイオレットは、アイリス、エリカからの手紙を開く。読む手元を照らす蝋燭の炎は優しく暖かい光。過去の回想、八話、九話で散々大切なものを奪う存在として在った炎が、ここにきて同僚からヴァイオレットへの想いを照らす存在として在ることが本当に素晴らしい。

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使い方によって、炎は奪うことも照らすこともできる。まるでヴァイオレットのようだと思った。

 

ヴァイオレットへ向けられた手紙には沢山の事が書かれていたけれど、彼女達が伝えたかったのは『貴女の居場所はここにある』というたった一つの想いだろう。

居場所がある。待っている人がいる。そして、自分が嬉しさを感じている。

ヴァイオレットは実感することでしか前に進めない。リオンによって胸を締め付ける想いが「寂しい」という名前であることを実感できたように、オスカーによって大切な人を失うのはとても寂しく、悲しいことであると実感できたように、彼女はこの瞬間に嬉しさを実感している。

だから彼女は、スペンサーの代筆の最後に

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ルクリアも、喜ぶと思います。

と言えるのだと思う。なぜなら、自分が手紙を貰って嬉しかったから。

 

ルクリアの兄、スペンサーは戦争で足の自由を奪われた青年であり、彼もまた戦後の世界からはじき出された一人だけれど、今はルクリアのお陰もあり社会復帰することが出来た。ヴァイオレットが結んだ絆が、誰かの一部になっていく。それは形はないけれど、決して消えたりしない。

自分のしてきたことが誰かの笑顔を作っていたことを知った彼女は、スペンサーから「ありがとう」という言葉を貰い、自動手記人形の証を触る。

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この瞬間の彼女は、誰が何と言おうと自動手記人形なのです。

だから彼女は日陰から日向へと踏み出せる。

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すると、光溢れる明るい世界からヴァイオレットへ『依頼のその後』という『手紙』が届けられる。

ヴァイオレットへと届けられる手紙。

それは、兄妹の絆であり、

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夫婦の愛と両国の平和であり、

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悲しみに押しつぶされなかった娘との思い出であり、

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そして、『名前』という『願いの手紙』なのです。

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幼少期のヴァイオレットにとっては、ギルベルトが名前を付けてくれたという事実そのものが彼女への救いでした。名前が無いというのは、世界から存在を認められていないように感じられることもあるでしょう。だからそんな彼女に、ギルベルトは輪郭を与えた。

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ヴァイオレット…。

ヴァイオレットだ。

そして、その輪郭には「いつか来る平和な世界になった暁には、彼女に自分の色を見つけてもらいたい」という願いを込めた。

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その名が似合う人になるんだ。

 

名前は、一番身近な手紙だと思う。「どんな人になってほしいか」という願いは人それぞれだからこそ、世界には沢山の名前が生まれる。そこに同一なものは何一つだってないと思っているけれど、名前の輪郭のさらに奥を覗くと、根底には共通の想いが見えてくるのではないだろうか。

 

その想いこそが

あなたが幸せでありますように。

 という願いであり、つまるところ、

愛してる

なのではないでしょうか。

 

ヴァイオレットが探していたものは、どこよりも、なによりも、彼女の一番近くにあったんだと思います。

 

 

 

 

そして、答えを見つけたヴァイオレットはホッジンズの元へと駆け出し、問いかけます。

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社長の仰る通り、私は沢山の火傷をしていました。

…いいのでしょうか。

私は自動手記人形でいて、いいのでしょうか。

生きて、生きていて、いいのでしょうか?

彼女がしてきた「愛してる」を探す旅は、贖罪の旅として姿を変え、それでも沢山の愛を繋いできた。

贖罪の旅で悩み続けた罪の意識の中、彼女の心に湧いてきたのは、「私は生きていていいのだろうか」という自責の念。

彼女は九話の最後に同じ疑問を、同じ言葉で、しかし「自責の念」からではなく心の底から「生きていたい」という想いを込めて、ホッジンズにぶつけます。

ホッジンズがずっとヴァイオレットに見つけてほしいと願っていたもの。それはギルベルトがいないこの世界で、それでもヴァイオレットが「生きていたい」と思えることだったのではないでしょうか。

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一話から九話までの時間全てが、「ヴァイオレットちゃんは生きていていいんだよ」というたった一行を伝えるための、壮大で不器用な手紙だったようにさえ思います。

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沢山の人の想いや後悔、願いや祈りが折り重なり、何層にも重ねられた物語。

一枚一枚丁寧に見ていくと、その奥底にはとても胸を打つ暖かい愛がありました。

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ヴァイオレット・エヴァーガーデン第九話、本当に素晴らしい物語でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ、最終回じゃね……?

 

※この記事に引用された全ての画像の著作権は、暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会が保持しています。

鬼滅の刃 第19巻、というかもろもろ含めた鬼滅全体の感想【※19巻ネタバレ注意】

人は、一人では生きていけない。

 

 

鬼滅の刃はどんどんと人が死んでいく。

顔も名前も知らないモブキャラのような隊士から、みなを導く柱まで、多くの命が亡くなっていく。

上弦の弐・童磨の言葉で胸に刺さったものがある。

現実では真っ当に善良に生きている人間でも理不尽な目に遭うし、

悪人がのさばって面白おかしく生きていて甘い汁を啜っているからだよ

天罰は下らない

だからせめて悪人は死後地獄に行くって、そうでも思わなきゃ精神の弱い人たちは やってられないでしょ?

つくづく思う

人間って、気の毒だよね

(第161話ー蝶の羽ばたき)

 僕も童磨ほどではないけれど、同じことを思っていた。

どうしてこんなに優しい人なのにひどい目に遭わないといけないんだろう。なんで悪いことをしている人がゲラゲラ笑い、良いことをしている人が泣かなきゃいけないんだろう。本当、世の中はクソだな、と思っていた。というか今も思っている。

 

けれど、クソな世界の中で、それでも美しく生きる人たちがいる。より輝いて見える。

鬼滅の刃を読むたびに僕は泣いてしまうのだけれど、それは悲しさ、やるせなさだけじゃない。その美しさに僕は胸が震え、涙が止まらないのだと思う。

 

カナヲの花の呼吸・終ノ型『彼岸朱眼』は動体視力を跳ね上げる代わりに視力を失う可能性があった。童磨を斬るためには使わねばならない。使うこと自体に躊躇いもない。けれど、カナヲの失明を案じるしのぶの顔が彼女の頭を過る。

自分は命さえ失おうというのに、どうして私の視力の心配なんてしたんですか?

(第162話ー三人の白星)

 

呼吸を使えない不死川弦弥は、力を求めて鬼を喰い、兄に認められる隊士になりたかった。しかし、兄の実弥はそんな弦弥に厳しい言葉を浴びせ続けた。

最終決戦、上弦の壱との戦いで弦弥は体を切り刻まれてしまうが、遅れて駆け付けた実弥の助太刀で一命はとりとめる。そんな時、弦弥がずっと疑問に思っていたことを、実弥はつぶやいた。

テメェは本当にどうしようもねえ弟だぜェ

何の為に俺がァ母親を殺してまでお前を守ったと思ってやがる

(第166話ー本心)

 

今という不条理な現実と戦うことに精一杯の弦弥とカナヲには、まだ分からないこと。けれど、長く戦い続ける者、死を身近に感じた者、下の世代を護り続ける柱が望んでやまないこと。

それは、

光り輝く未来を夢見てる 私の夢と同じだよ

大切な人が笑顔で天寿を全うするその日まで 

幸せに暮らせるよう

決してその命が理不尽に脅かされることがないように願う

たとえその時自分が 生きてその人の傍らにいられなくとも

生きて欲しい 生き抜いて欲しい

(第168話ー百世不磨)

隊士達が書いた遺書の内容はどれも似通っていてね、私の夢と同じだ、と産屋敷は笑った。

実弥は弦弥を思って涙を流した。

おそらく、しのぶもそうだ。

遺書とは、死を身近に感じた者の言伝で、本来、何を伝えたいかは人それぞれなはずだ。

しかし、それでも皆が願うのは『自分の近しい者の末永い幸せ』だった。

 

人は一人では生きていけない。

それは助け合わなければ簡単に命を落とすからではなく、そもそも今立っているこの世界が、誰かから誰かへの幸せを願う心と、それを現実のものにしようと積み重ねる最大限の努力で成り立っているからだ。

誰しもが、その上に立っているからだ。

 

鬼は強い。それは屈強な肉体と再生能力、そして固有の血鬼術による。

そして、人は脆い。しかし脆い=弱いではない。

脆いからこそ護る意思が生まれ、その意思は何よりも強く美しい。

柱や母親、兄弟たちの護る意思は、大切な人がいる証明だ。本当は弱いのかもしないけれど、大切なものを護りたいと思えた時、その人は少しだけ強くなれると思うのだ。

 

そして、沢山の努力と犠牲の上で柱たちが命を懸けて勝ち取ってきた時間。

その時間の中で、炭治郎たちは無力さを噛みしめながら、絶望に苦しみながら、それでも力をつけてきた。護る力を培ってきた。

そう考えると、「護ってくれるあなたを守りたい」と思いながら力をつけてきた弦弥やカナヲには、実弥、しのぶの気持ちが分からなくて当然かもしれない。

柱の二人が護りたいのは「下の者と、その者たちの末永い幸せ」で、ひよっこの二人が護りたいのは「いつも護ってくれるあなたと、その日常」で。

そもそも、護るべき対象が違っているのだから。

しかし、カナヲや弦弥の想いは簡単に打ち砕かれる。

鬼という存在に、理想論は通じない。

柱たちが「護りたいものを護るためには自分の命を懸けるしかない」と判断する程に鬼は強大で、それが現実だから。

それでも皆、刀を握る。思い出や願い、祈りを込めて刃を振るう。

 

その源泉にある思いこそが人を人たら占めるものであり、すなわち「愛」なんだと思う。(書いててこっぱずかしいが笑)

 

猗窩座は恋雪を、護るべき愛を思い出した。だからこそ、鬼ではない「何か」として死ねたのだろうか。

童磨は人間の時も、鬼になってからも、あらゆることに無関心だった。他人に興味が無かった。彼の心は、鬼になる前からずっと鬼だったのではないだろうか。

累は家族に憧れ、暴力で家族の形に縛る事しかできなかったけれど、両親は鬼になった累と一緒に地獄へ落ちることを選択してくれた。

妓夫太郎は自分のせいで梅が堕姫になってしまったと悔いて、兄妹の縁を切ろうとするも、梅は「一緒に地獄へ行く」と諦めず、最後は二人、地獄へ歩いていくことを決めた。

 

人は一人では生きていけない。

だからこそ手を取り合い、助け合い、愛が生まれる。

家族愛、友愛、恋愛、様々な形の愛が生まれる。

人にあって、鬼にないもの。

鬼になり忘れても、心の奥底では消えないもの。

誰一人として同じ人生模様を歩いていないのに、どこか共通している祈りのような、願いのようなものが、確かに在るんです。

僕は鬼滅の刃のクソみたいな世界の中で、それでも信じたいと思えるこの綺麗なものがやっぱり大好きで、それを踏みにじる者は鬼だろうが人だろうがやっぱり大嫌いで。

ここが重要なんですけど、鬼だけじゃないんですよ。踏みにじるの。

むしろ、鬼に変わる原因が心無い人間の場合もあるんですよね。

だからこそ、僕は炭治郎が好きなんです。

この子、結果を求めて言葉をかけるのではなく、心から思っていることを事実として喋るんですよ。

炭治郎は正しさと優しさを信じていて、その信じるものの為に動くんです。そんな彼が言うことだから、クソみたいな世界に大切なものを歪められた人に、ありのままの言葉が届くんです。

俺に母親なんかいねえ!!

伊之助のお母さんはきっと、伊之助の事が大好きだったと思うよ

(第163話ー心あふれる)

鬼殺隊に入ったことをすごく怒ってはいたけど

でも憎しみの匂いは少しもしなかったんだ

だから怯えなくていいんだよ

伝えたいことがあるなら言ったって大丈夫だよ

実弥さんは弦弥のことが

ずっと変わらず大好きだから

(第166話ー本心)

伊之助や弦弥の心にそっと手を添えるような、じんわりと温かくなるような炭治郎の言葉と表情が、大好きなんですよ。

炭治郎の言葉がその人の中で、その人の心を支える柱になってるんですよ。

自分だって大切なものを奪われて、辛い思いも、痛い思いもしてるのに、それでも正しさと優しさを信じてるんですよ。

 

この子が主人公で良かったと心から思うし、今こうして社会現象のように流行っていることが本当に嬉しい。

 

 

いやー…今回の19巻。

伊之助が泣けて良かったなぁ。

弦弥が泣けて良かったなぁ。

カナヲが泣けて、本当に良かったなぁ。

 

 

20巻も、心の底から楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

全人類とは言わないけど、皆「竈門炭治郎のうた」を聴いてくれよな。(iTunesでたった250円だから!)

 

竈門炭治郎のうた

竈門炭治郎のうた

  • 椎名 豪 featuring 中川奈美
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 

炭治郎みたいになりてえなぁ。

呼吸は使えなくていいから、誰かの大切なものを大事にしたい。

ラブライブ!フェスに行ったら"幸せ"の意味を知った話をしてもいいですか。

僕はラブライブに関することを中心に、こうして細々とブログを書いているのだけど、ライブ前に友達が僕の手を握り「ブログ読んだよ。すごく良かった。ありがとうね。」と言ってくれた。いつも楽しさへのきっかけをくれる友達へ、僕の方がありがとうを言いたいのに。

 

 

ライブ会場に入る前、仲の良い友達のグループと円陣を組んだ。ピースした右手を前に出した時、Aqoursの時はLだったなぁと思った。

友達が円陣の号令で「μ's!」と叫んだ時、そういや僕はミュージックスタート!って叫んだことがなかったなぁと思い出した。

僕の口から出た声が、そのまま僕の耳に聞こえてきて、目の前には楽しそうなみんながいて、そんな空間の中に嬉しい僕がいて、ライブ前なのに涙が止まらなかった。

僕が初めて「μ'sミュージックスタート」を言えたことを伝えたら、みんな嬉しそうに良かったね、良かったねって言ってくれた。

 

 

会場に入り、チケットを確認しながら座席を探した。たどり着いた場所は、アリーナ最前ブロックの最前列の角番だった。

1番大好きなコンテンツの1番大きなライブで、こんなに良い席マジかよって驚いた時、連番の親友が泣き出した。

「これはきっとご褒美なんだよ。お前がずっとラブライブを好きでい続けたご褒美なんだよ。μ'sファイナルの時のお前見てられないくらい辛そうだったけど、報われて良かった。」って言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

ラブライブ!フェスの2日間に至るまで、沢山の出会いと出来事があって、皆さんとの関係が出来上がったと思っています。

もしあの時ラブライブのブログを読まなかったら、僕はどこかで燃え尽きていたかもしれません。

ラブライブのブログを書かなかったら、こんなに沢山の素敵な友人と出会えていなかったかもしれません。

そんな皆さんと最高の思い出を積み重ねてこれた"今、ここ"が奇跡なんだなって、心から思います。

 

"この出会いが、出来事がなかったら"

そんな想像をすると、とても怖くなってしまいます。それくらい、今が愛おしいと思ってしまいます。

 

そんな愛おしい日々の中で、僕の『歓び』を僕と同じように、時には僕以上に『喜んで』くれる人がいることこそが、『幸せ』なのかなって思いました。

 

皆は僕の幸せの一部です。

僕も、皆の幸せの一部だったらいいなぁ。

【ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live "with You"感想】

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live "with You"に1日目はLV、2日目は現地で参加してきましたので、感想等をつらつらと書いていきます(。・ω・)ノ

※絆エピソードは歩夢ちゃんのやつしか読めてません。

大西亜玖璃上原歩

1日目で泣いてしまい、上手く歌えなかった大西亜玖璃ちゃんだったけれど、2日目はとても楽しそうに伸び伸びと歌っていたのがとても良かった。

一日目の正真正銘一発目のソロはとても不安が大きかったと思う。僕には感極まって泣いたと言うより、ミスしたことにより不安が爆発して泣いてしまったように見えた。

しかし、二日目の彼女は不安もありつつも、それ以上にあのステージを心から楽しんでいるように見えた。そして、大西亜玖璃上原歩夢が本気でダブって見えた。

それがとてもグッときてしまった。

昨日より今日、今日より明日成長する上原歩夢というキャラクターを大西亜玖璃が見事に体現しており、それを狙ってやったとは到底思えない。一日目も二日目も、彼女は彼女なりの精一杯をやったと思う。

その結果が、上原歩夢とのシンクロだったのだと思った。

特に開花宣言はキーが高く、一日目は心配でたまらなかったけれど、二日目の開花宣言は本当の意味で開花の瞬間の宣言のようで泣きそうだった。

オタクに歌わせて花が開く演出したのは本当に運営コノヤロウばっかおめぇガチ恋するだろうがという想いでいっぱいだっだ。

 

淡いピンクに染まる会場。

 

「歌って!」って手を伸ばす上原歩夢ちゃん。

 

オタクの低音が響く。

 

ゆっくりと花開く。

 

伸びやかな高音が響く。

 

感極まるオタク。

 

ちょっと誇らしげな大西亜玖璃さん。

 

優勝。

 

また、僕はスクスタで夢への一歩を良くプレイするのだけど、上級はピンクの花がぶわっと舞い上がる演出が特に気に入っている。一日目のLVではスクスタでずっと見てきたものがなかった物足りなさを感じてしまっていたのだけど、二日目の現地でどっひゃああああぁぁぁとなった。僕が脳内でぶわっと花を舞い上げようとした瞬間に、ステージのライトがひときわピンク色に輝いたから。求めていたものを食らって、脳汁が止まらなかった。

うーん…ごめん。大西亜玖璃ちゃんについては上手くまとまらない。未熟なところが目について、だけどその未熟さこそが彼女の魅力だと思っているし、多分この先ライブを積み重ねていくと思うんだけど、彼女の成長が一番楽しみであり、また一番泣いてしまいそうな気がする。

一歩一歩夢へと続く道を踏みしめて成長していく彼女が、心から楽しみだと思ってる。

 

相良茉優中須かすみ

いやー!!!!!!

優勝!!!!!!

お前がナンバーワンだ!!!!!!

圧倒的楽しさ。圧倒的可愛さ。なんだ?天使か?可愛いなおい。僕はこの2日間ブレードを持たずにライブに参戦したんだけど、彼女がデカいフラッグを持ってきた瞬間に高まってしまってそれ!!!!!!👉👉👉👉👉ってしてしまったんすよね。そしたら彼女もフラッグの切っ先(切っ先ではない)をこっちに向けてて、「は?俺中須かすみちゃんとE.T.しちゃった」って言ったら連番の友人に「お前の頭が宇宙に行ったわ」と言われた。(地球のみんなー!!!ただいまー!!!)

 

まぁおふざけはこの辺にして(実話だけど)。

 

かすみんは本当にアイドルだと思う。

問答無用で可愛いし、圧倒的に楽しいし、理屈抜きでほんっっっっっっとうに楽しかった。

だけど、可愛さだけじゃなくて、彼女の芯のカッコ良さに惚れた。

MCや挨拶でちょっと噛んだりする時はあるけれど、話す内容には1本しっかりとした芯が通っていて、凛としたスタンスが矢澤にこちゃんを想起させた。

何より、‪自分が虹ヶ咲‬であることに誇りを持っているのがとてもとても良かったです。

そして、相良茉優さんが感想を話す時、まずかすみんとして言いたいことを言い切り、その後に相良茉優として話す姿勢に、かすみんへのリスペクトがバッチバチに伝わってきて、そういう所まじで好きってなりました。

推しは決めかねているんだけど、かすみんがとてもとても好きです。

 

前田佳織里&桜坂しずく

あぐぽんでエモくなり、かすみんでぶち上がった僕の心が、彼女のオードリーでピンと張り詰めた感覚がありました。

彼女の目線に、佇まいに、指先に。一挙手一投足にドキッとする。好きとか可愛いとかじゃなくて、いや、それもあるけれども、それ以上にとても強い感情が伝わってくる。しずくが抱える迷いの心のエネルギーで、こんなにも食らってしまうのかと。

正直、オードリーはほかの曲と比べてあまり聞いていなかったし、あなたの理想のヒロインは可愛いからという理由でスクスタプレイするくらいだった僕は、傘で頭をぶん殴られた気分。音ハメでオードリー・ヘップバーンのシルエットをバックモニターに映すやつがバッチバチに決まっててマジか……ってなりました。また、大女優を意識したコートと傘を脱ぎ捨て歌う"あなたの理想のヒロイン"というセットリストはあまりにも美しい流れすぎて、脳汁がドバドバと溢れて止まらなかった。

袋小路のように自分らしさとは何かという疑問に絡まっていく桜坂しずくがいて、桜坂しずくを完璧にトレースしたかのような前田佳織里さんがいて、神がかった演出があって。何枚ものレイヤーが重なった結果、桜坂しずくという存在の形をなしているような気がした。立体的というか、奥行きがあるというか。そう思った瞬間、すごくゾクゾクした。

あと、これはとても反省しているんだけど、桜坂しずくちゃんの沢山演じるからこそ自分らしさを見失ってしまうというやつがとても好き。もっと早くちゃんと曲を聴き込んでおけばよかった、絆エピソード読んでおけばよかったと思ってる。

オードリーの傘で脳みそに牙突を食らって、ようやく桜坂しずくちゃん(が付けている仮面?)に出会えた気がする。これから読む絆エピソードがとても楽しみだ。

 

村上奈津実&宮下愛

なんじゃこりゃああああああああああぁぁぁくっそ楽しいいぃぃいい!!!!!!!

クラップ!!!

振り付け!!!!!

手ぶらの俺

優勝!!!!!!

って感じでした。

前田佳織里さんは厚みのある凄みを感じたけれど、村上奈津実ちゃんは多角的に楽しそう。歌声、楽しそう。笑顔、楽しそう。ダンス、楽しそう。360°が楽しそうなのに、彼女自身の心に影を差す不安や自信のなさがちらっと見えたりすると、本当に愛おしくなる。

最初は表情や歌声から、本気で楽しそうな気持ちが半分、緊張と不安が半分かな…と見て思っていたのだけど、加速度的に楽しさが大きくなっていった印象だった。

宮下愛ちゃんが歌う歌詞は前向きなものが多いのだけれど、漠然と前向きな訳ではなく、テンサゲなことやどん底の気持ちを受け止めた上でそれでも前や上を向こうとする前向きさがある。金髪ではないし、愛ちゃんのようなべらぼうにスタイルが良い訳では無い(愛ちゃんよりほっそりとしている)なっちゃんを見て、それでも愛ちゃんっぽさを感じるのは、そういった根底から滲み出る生命力や明るさが、なっちゃんと愛ちゃんで通じているからだと思った。

愛ちゃんが見たい景色ってこれなのかもって実感したなっちゃんには、これからももっともっとと貪欲に素敵な景色を求めてほしいなと思う。

僕も、なっちゃんと愛ちゃんが見せてくれる景色をもっと見ていたいなあ。

 

田中ちえみ&天王寺璃奈

ちえみーはMCで全然上手くできなかったと言っていたけれど、僕にはそう見えなかった。とても素敵で可愛い最高のパフォーマンスだと思った。

天王寺璃奈ちゃんは楽曲が強いのはもちろんなんだけれど、感情表現が苦手な彼女が歌うド直球な歌詞がもう本当に素晴らしく良くて、それを楽しそうに歌うちえみーを見たらこっちまで嬉しすぎて楽しすぎた。両手をフリフリして歌うパートの合いの手も最高すぎて、まじでキモ・オタクになってしまった。最高。

スクスタでプレイした時は殆ど意識していなかったけど、ドキピポの運動量って半端ないんだなと思ったし、それでも最後まで天王寺璃奈ちゃんとして楽しく可愛くステージを成功させた田中ちえみさんはとてもカッコ良く、とても輝いていたように見えた。

テレテレパシーではトロッコで会場を回ったわけだけど、一人ひとりを丁寧に見て、手を振って、ステッキでテレパシーを送っていたのがめちゃめちゃ良かったです。

一部分を切り取って見ても、全体を通してみても、僕は田中ちえみさんのパフォーマンスは最高だったと思ったけれど、彼女は悔しさを感じていた。それがたまらなく嬉しくて、これからへの期待感でワクワクが止まらなかった。

 

鬼頭明里&近江彼方

一瞬で彼方ワールドに塗り変わる様を目の当たりにした。しずくちゃんの時もそうだったのだけど、自分の前の出番が爆発的に盛り上がった後に出ていく気持ちってどんな感じなのだろうか。想像すらできない。オタクだもん。

だけど、鬼頭明里さんは飄々とした雰囲気でパフォーマンスをしていたように見えた。あくまで見えただけなので、内心どう思ってるかは分からないけども。

校内マッチングフェスティバルを経たとはいえ、初めての1stライブで"きちんと力を抜いて"彼方ちゃんのふわふわした雰囲気を壊さないことって相当凄いことなんじゃないかな。

その一端を担っているのが、口の開き方だと思う。

鬼頭明里さんが彼方ちゃんの歌を歌う時、彼女はあまり口を開けないんですけど、声は大きくて言葉は明瞭なんですよ。優木せつ菜のような本気の絶唱とは別ベクトルで、とんでもないことをやっているような気がします。

全てが高水準でまとまっている完成度の高いステージだから、僕達は彼方ちゃんの世界に包まれたような感覚になったんだと思います。

 

指出毬亜&エマ・ヴェルデ

まじでマイナスイオン出てる。プラズマクラスターより出てる。

ヤバい。サビ入る瞬間は心地よい風が吹き抜けたような感覚になって涼しくなっちゃう。エアコンいらない。声と動きで周りを健康にしてしまうのがこの二人なんだよなぁ(違う)。

僕はEvergreenの手拍子しながら円を描く振り付けがめっちゃ好きで真似してたんですけど、その時脳内に"周りのたくさんの人とハイタッチしてるエマちゃん"が脳内で浮かんできてエモエモになってしまいました。エマちゃんを中心にみんなが繋がって、同心円状に縁が広がっていく~~~!!!って思ってたら始まったのが声繋ごうよでもうエモエモを通り越して感情になってしまった。幸せになろう!ってエマちゃん言うじゃん?僕はもう幸せ~~~!!!!って感じ。あと幼女になった。

 

エマちゃんの振り付けってとても振りコピしやすくて、僕の周りでもたくさんの人が踊ってて。エマちゃんの歌詞にあるように、一人ひとりがエマちゃんと楽しさで繋がったことで、全体を見ると皆がひとつになってるんですよね……。

こういう曲は凄く親しみやすくて、日常の中に溶け込みやすくて、つい口ずさんだり鼻歌歌ったりしてしまう。ホンモノの名曲だと思います。

 

久保田未夢&朝香果林

二日目のWishで打ち砕かれた。久保田未夢という人間と朝香果林という人間のハーモニーで爆発的に化学変化が起きた、ように思う。

久保田未夢さんのi☆Risとしての活動は見た事ないのだけど、そんな僕にも活動内容が聞こえてくるくらい活躍なさっていて、正直久保田さん本人が仰っていたイメージと近いものを持っていました。

"未熟さ故の成長の可能性"が‪虹ヶ咲‬の良さの一つであると思っているのだけど、その土台はしっかりしたものでないといけないし、‪虹ヶ咲‬を支えるひとつの柱が久保田未夢という存在なのかなと勝手に思っていたんですよね。

だから、Wishで感情が溢れ、彼女の安定感がほんの少しブレた瞬間に、久保田未夢さんはこんなにも感情的になる人なのかと思ってとても嬉しくなったし、申し訳なくなった。そして、そのブレを歌唱力でねじ伏せて軌道修正した瞬間には、なんて凄い人なんだって思った。

熱くて、クールで、脆くて、余裕そうで、久保田未夢さんと朝香果林ちゃんはあまりにも鏡写しのようで、この先どうなってしまうんだろうと思うと正直怖い。それくらいに凄かった。

そんな人が歌うStarlightはもう最高。スクスタで1番プレイしていたのがこの曲で、生ライブで見れる日を本当に心待ちにしていた。正直高まりすぎてほとんど覚えていない。ただ、最高の最高の最っ高にカッコよくて。「魅力度No.1」のところで真似して☝️ってやったあとに「このステージへ Fly!」の瞬間にこの☝️を天に掲げるのまじで気持ちよすぎて脳汁がドバドバ止まらなかった。これをやる為だけに死ぬほどライブに行きたい。

スクールアイドルというか、もう朝香果林と久保田未夢はもうワンランク上の次元にいるような気がしてる。めっちゃ好き。

 

楠木ともり&優木せつ菜

本気系スクールアイドルに偽りなし。皆本気だと思うけど、この人の本気は本気を超えてる。

優木せつ菜という人間の生い立ちも、楠木ともりという人間の感性も、ヘッドライナーとして皆を引っ張っていたことも、CHASE!そしてMELODYという楽曲が提供されたことも、それ全部を受け止めて僕らに問いかけてくれた言葉が、突き刺さったメッセージが、全部が全部物語だったんじゃないか?と思うほどに美しくて、カッコよくて。

優木せつ菜ちゃんと楠木ともりさんの想いは壮大で。

パンフレットに革命という言葉が使われていたけども、この子なら本当に起こせるんじゃないかなと思うほどに物凄いエネルギーが彼女の中にあった。

小さな体のどこにそれだけの熱量を溜め込んでおけるんだ……と思っていたのに、エマちゃんのクラップ振り付けの真似するともりるまじでともりるすぎてともりる……ってなったし、エマちゃんのステージに参加した幼女の真似したともりるはまじでともりる(幼女)でこの人は……ってなったし、満開の笑顔でふざけるともりるを見て、ニコニコしながら好きなことを好きにやる優木せつ菜ちゃんを思ってしんどくなった。良かったねぇ良かったねぇって心の中で呟きながら眺めてました。

 

僕はセカンドアルバムの楽曲の中でMELODYが一番好き。理由は単純で、曲調や言い回し、歌詞とメロディの噛み合い方が僕好みだったから。そして、優木せつ菜が心のままに、好きな道を駆けていくイメージが浮かんだから。

僕がラブライブで一番好きなのは、映画の穂乃果が1人で心のままに走るシーン。2番目に好きなのは大きな水たまりを飛ぶシーン。MELODYは、僕の好きなシーンによく似た感情を想起させる。抑圧するものから解放されて、好きな空へ好きなだけ、大きな羽根を伸ばす彼女が浮かぶから。

そのイメージが正しいのかどうかは絆エピソードを全然読めていないからわからない。だけど、彼女のMCだったり、歌う時の表情だったり、そういったものから優木せつ菜ちゃんの"これまで"と"これから"を感じて胸が高鳴ってしまう。

僕が見たい、僕が大好きなラブライブに1番近いところにいるのが、優木せつ菜ちゃんで楠木ともりさんなんだなって改めて再確認した。

 

Love U my friendsとWith You

自分らしい最高のステージを目指す為、ソロ活動を選んだ彼女達。九人全員がバラバラのソロ衣装で歌うTOKIMEKI Runnersはその象徴だと思う。

方向性は違う。けれど心の奥底では同じ気持ちが燃えている。だからこそ9人が違う衣装を着て同じ歌を歌う時間は、どうしようもないほどに‪虹ヶ咲‬学園スクールアイドル同好会の絆を感じてしまう。

だけど、Love U my friendsは皆多少の違いはあれど、花をあしらった同じ衣装を着ていた。

まるで、9種類の花で作られた花束のようだなと思った。

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そして、"あなた"とニジガクの一人ひとりとの間に絆という繋がりがあって、そうして出来た"あなた"を中心とするひとつの円。それがWith YouのOの部分なのかなと思った。そしてそのOがフラワーデザインなのは、衣装を着ない、ステージにも上がらない"あなた"も立派な花なんだよ、という‪ニジガク9人からのメッセージなのかなって思いました。

 

僕のスクスタでの僕の立ち位置は、あなたちゃんというよりあなたちゃんと一緒に色々考える背後霊的なポジションなので、あなたちゃんにも輝いてほしいと思ってしまうんですね。

だから、こういう妄想も良いかなって。

 

‪スクスタとフォロワーさんたち

‪虹ヶ咲‬を知る上でとても重要な立ち位置であるスクスタが、僕は得意ではない。ゲームは好きだけど、好きなだけで上手いわけではない。だから、彼女達の物語を見たい気持ちはありつつも、ゲームを上手くプレイできないストレスがアプリを遠ざけてた。

ネットで攻略を調べてもピンと来なくて途方に暮れてた時、数人のフォロワーさんが親身に相談に乗ってくれたり、教えてくれたりして、だんだん楽しくなって、ようやく僕のスクスタは始まった気がしました。

新しい物語はワクワクするし、ドキドキするし、僕なりのペースではあるけれど、ちゃんと楽しめてる今が本当に嬉しいです。本当に感謝しています。

 

スクスタ、今めっちゃ楽しいです。

ありがとう。

 

終わりに

ランキングシステムって残酷ですね。スポットライトが当たる人、当たらない人、歌を歌える人、歌えない人がハッキリと数字で出てしまう。

それがいい事なのか、悪いことなのかは僕にはまだ分からない。多分僕が分かるのは、虹ヶ咲‬がこれから先で沢山曲を出して、ライブをして、多岐に渡るスクールアイドル活動が有終の美を飾った時。その活動を振り返った時なのかなって思う。遅いか。

だけど、ともりるも言っていたように、互いに高め合うように作用すればこれ以上ないくらい面白いシステムになると思うし、このままオタクがごちゃごちゃ物申すつまんないシステムになる事もあると思う。

僕は優木せつ菜ちゃんの曲が聞きたくて赤を上げたんですけど、連番の友人はかすみんの黄色を上げてて、それがなんかめちゃめちゃ嬉しかったし、面白かったし、楽しかったんすよ。

さっきエマちゃんの一位が発表されて、めちゃめちゃぶち上がったんですよ。

僕はこのシステムも楽しみ尽くしたい。

そのために、‪虹ヶ咲‬の9人のことをもっと知りたい。

だから、皆さんの大好きが知りたいんですよ。

オタクの目に映る推しが一番キラキラしてるから。

 

あなたは推しのどこが好きですか?

 

どの曲が好きですか?

 

どの振り付けが好きですか?

 

皆がそうやって沢山の大好きを発信しまくる世界になったら、きっと優木せつ菜ちゃんはとっても喜ぶと思うんですよね。

 

陽が当たる人がいるということは、日陰で涙を流す人がいるということ。

期待するということは、落ち込むリスクも増えるということ。

 

鬼頭明里さんが涙を流しながら"心無い言葉で傷つくくらいなら今信じてくれる人だけを大切にすればいいかなと思っていた"と語ったあの時の言葉は、本当に悲しい言葉だと思うんですよ。

自分に期待をしない人は、心から本気で笑うことができなくなってしまうと思うんですよ。

 

だけど、皆が皆の大好きを称えながらも本気で真っ正面からぶつかり合える関係と環境なら、皆本当にいい笑顔で笑うと思うんですよ。

 

"心を殺して泣かない笑わない"よりも"涙を流した後でみんなが最高の笑顔でいれる"事の方が良くないですか?

 

それが輝きじゃないですか?

 

それがラブライブじゃないですか?

 

僕は、それが見たいんすよね!(*´罒`*)

 

これが、優木せつ菜ちゃんが起こす革命の僕なりの手助けになればいいな。

 

文字数見たら予想の数倍長くなっているので、虹ヶ咲‬のこれからを思いつつ、この辺で終わりたいと思います。

 

だらだらと長い文章に付き合って頂き、ありがとうございました。

 

ほんとに最高のライブだった。

マジで行ってよかった!

沼津の旅で見つけたもの

僕にとって、沼津はとても特別な場所です。

僕自身がそこまで沼津に行けないというのもある。家から沼津駅まで片道6時間~7時間、移動費は約4万。全然行けると思う人もいるかもしれないけれど、今の僕には気軽に行ける場所ではなくて。

期待に胸を膨らませながら、しかし気持ちとは反比例の曇天の中で始まった僕らの旅。

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心待ちにしていた旅の中でも、特に行きたいと思っていた芹沢光治良記念館は休館日で。

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6月の沼津旅では濃霧&暴風で行くのを諦めたリベンジだ!と燃えながら、伊豆スカイラインへ行こうとしたら通行止めで。

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ホテルで美味しいお酒を飲もうと、友人とお酒を買いに行った松浦酒店さんはその日の営業を終了していて。(ショックすぎて写真撮るの忘れた。)

友人が行きたいと発案し、僕も一度も言ったことが無いために内心とても気になっていたつじ写真館さんへ行ったら、シャッターが閉まっていて。

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沼津から歓迎されてねぇぇぇええええwwwwwwって思えるくらい全てが空回りした旅でした。

 

けれど、今回の旅の満足度、幸福度は今までの沼津旅に引けを取らないと、もしかしたら最高を更新してしまったかもしれないと思えるほどに、良かったんです。

 

たまたま入ったお店で食べた天丼とお刺身が死ぬほど美味しかったことも。

「あの階段なんだろうね?」と言って登ったら思わぬ出会いが待っていたことも。

遠いところにいたのに”僕らが沼津にいる”ってだけで駆けつけてくれた仲間がいたことも。

お店に入るなり「あなたの推しは?」と聞いてきて、千歌ちゃんのフィギュアをテーブルに用意してくれる方がいたことも。

グランマさんで男子お茶会に興じている時に、「これ新作なの!食べて!」とお菓子をくださる方がいたことも。

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900kmも離れたところに住んでいる僕に「おかえり」って、「また帰ってきてね」って、言ってくださる方がいたことも。

 

 

何もかもが僕らの予定外の事で、嬉しくて、温かかった。

 

 

僕の沼津旅は、いつも親友と一緒でした。

親友は、なかなか沼津に来れない僕の希望を汲み取って、旅の動線を考えてくれた。

そのお陰で、僕は毎回最高の思い出を積み重ねることが出来た。

 

2期11話放送を見た次の日、Aqoursの文字が波に飲まれたあのEDを見た直後にAqoursの文字を刻んだあの時の気持ちも。

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行きたくても行けず、後悔ばかりだった脱出ゲーム。そのサイドストーリーだけでも聞きに行こうと誘ってくれて、勝手に淡島を脱出した時の気持ちも。

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今度こそ!とリバイバル脱出ゲームに参加し、暴風雨の中びしょ濡れになりながらAqoursと心行くまで遊び、脱出した時の気持ちもwww

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(今見返すとまじで波やば。。。)

 

親友との旅で一億点。

沼津の人々の心に触れてもう一億点。

聖地に行けず、やりたいことはできず、そのショックがもしマイナス100点分だったとしても、僕には199999900点の「楽しかった」と「ありがとう」が残っているんです。

 ラブライブ!サンシャインがあって、親友がいて、受け入れてくれる沼津があって、歩み寄ってくれる沼津の人々がいて、僕の心は満たされているんです。

 

 

僕にとって、沼津は特別な場所です。

 

それは、僕がなかなか行けない場所だからではありません。

僕が当たり前にあると思っていたその場所は。

行けば無条件で楽しめると思っていたその場所は。

沢山の人の想いが集まって、キラキラ輝いている場所なんです。

 

海鮮が美味しいだけなら、他にも食べられる場所があります。

美しい景色が見たいだけなら、他にも観光できる場所があります。

それでも僕があの場所に行きたいと思うのは、沢山の「特別」があるから。

 

その「特別」は、きっと他人が見たら鼻で笑うような「普通」なのかもしれません。

だけど、僕らは周りに溢れている「普通」を、「特別」に変えることが出来るんです。

そして、誰かが「普通」から変えた「特別」を、そのまま「特別」として受け取ることが出来るんです。

 

だから僕は、数多ある観光地の中から沼津を選ぶんです。

 

 

 

会社の先輩に聞かれて、上手く答えられなかった問いにも、今なら答えられる気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでそんなに沼津に行くの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕が、沼津に行きたいから。」