【感想】ドラゴンクエストⅪ 過ぎ去りし時を求めて【DQ11】

約一か月、プレイ時間100時間ほどでDQ11(表・裏ルート)をクリアした。

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ドラクエを8しかプレイしたことが無い私にとって「原点回帰」、「過去作と繋がる超大作」と言った評価は怖いものだった。けれど、ふたを開けてみればなんてことない、ただただ神ゲーだった。話の端々で語られる過去作との繋がりは「は?分からねえよ」ではなく、むしろ「やべえ、過去作やりてぇ」と思えるほど、仄めかし方、ストーリーへの組み込み方が秀逸だったと思う。

色々語りたいことがあるが、何を語ってもネタバレになるので、プレイする気持ちが少しでもある方は今すぐこのページを閉じてPS4もしくは3DSの電源を入れてくれ。頼む。

ネタバレを見ず、是非自分の眼で物語を見て、自分の手で世界を救ってほしい。最高の冒険が待っていることを約束する。 

では、ここからはネタバレ全開で好きなところを書いていく。

 

DQ11で最も興奮したのは、やはり一周目の世界のお話。特に命の大樹が吹き飛び、世界が崩壊してからの物語が好きだ。沢山の人が死に、多くの大切なものを奪われた人間が、それでも諦めずに立ち上がる姿はとても輝いて見えた。その輝きが私は大好きだ。

心の強さ

DQ11は人間の脆さや美しさを丁寧に描いていた。

世界崩壊後にセレンは「勇者とは、最後まで決して諦めない者のことです!」と言った。主人公は「勇者の力」を持って生まれた特別な存在なのだけども、セレンはその「特別な勇者の力」ではなく、「諦めない心の強さ」こそが勇者だと言った。そして、崩壊後の世界に本当の意味で諦めた者はほとんどいなかった。

勇者が世界を救ったとして、けれどその世界が悲しみに覆われたまま皆が復興を諦めていたとしたら、それは世界を救ったことになるんだろうか。勇者一人で世界中を笑顔にすることはできるんだろうか。いや、きっとできないだろう。

多くの喪失を経験した世界中の皆が、周りと励まし合うこと。絶望の中で、それでも未来を語ること。それは「世界を救い、光をもたらす勇者の力」ではないけれど、「周りの人を笑顔にする力」なのだと思う。

勇者の仲間は皆、何かしら明確な目的があったけれど、シルビアが言った「世界中の人を笑わせたい」という夢はとてもざっくりとしていて、最初は少し笑ってしまった。けれど、どんな絶望の中でもブレずにその「世界の笑顔」の為に頑張る姿はとてもカッコよく、また美しかった。

心の弱さ

しかし、DQ11は人の心の強い部分、美しい部分だけではなく、ホメロスやマヤのように心の弱い部分を魔王に利用された人の描写もまた、とても丁寧だった。

貧しさに苦しめられ、周りの人間に虐げられ、唯一の家族である兄のカミュにまで(本意ではなかったとしても)見捨てられてしまったマヤが、全てを黄金に変える呪いの力で癇癪を起してしまう気持ちはとても共感してしまったし、その悪事のせいで彼女の「カミュと二人で喧嘩して、そして笑いあっていたい」という本当の願いを「もう後戻りできない気持ち」のせいで言えないという状況がとても愛おしく感じてしまった。 

また、「グレイグの前を歩きたかった」、「グレイグに自分を見てほしかった」、「自分を認めてほしかった」というホメロスの叫びは、闇の衣を纏い圧倒的な力を見せる闇の姿になってもとてもホメロスらしいと思ったし、幼少期から彼と並び立っていたはずのグレイグがだんだんと離れていく描写は思わず胸が苦しくなった。たった一言、お互いに「俺はお前に憧れているんだ」と言えることが出来れば、ここまでこじれることはなかったのかもしれないと思うと、余計に。

最後のホメロスとの闘いの前、亡くなったベロニカの姿を見せる幻術を使って来た時は本当に頭にきて怒りのまま倒してしまったが、今思うととても悲しいことをしてしまったと後悔している。

ホメロス、救えなくてごめんね。

一番好きなシーン

冗談抜きに最初から最後までストーリー全体が大好きなのだが、全シナリオの中で一番好きなところを挙げるとするなら、私は過ぎ去りし時を求める瞬間、時のオーブを破壊するシーンを選ぶ。

魔王を倒し平和になった世界で、時の番人から仲間を救う方法として提示されたのが、「世界の時が結晶化した時のオーブなるものを壊し、時間を世界崩壊の前まで戻すことでベロニカが死なせない」というもの。

それはつまり、成し遂げた世界の平和さえも巻き戻すということ、ひいては海底王国での勇者復活やグレイグの加入、散り散りになった仲間との再会、シルビアの父親との和解、カミュの贖罪、セーニャの決意が全て無くなってしまうということ。

ベロニカは救いたい。けれど、大好きな仲間一人ひとりが自分の心の弱さや目を逸らしていた過去と向き合った時間や想いが無くなってしまうのは本当に辛いし、受け入れたくない。けれど、やっぱりベロニカともう一度冒険したい。

時の番人の「失われた時を求める覚悟はありますか?(=今という時を失う覚悟がありますか?)」という問いには相当悩まされた。

私はカミュとセーニャが特に大好きだった為、二人の覚悟が無かったことになるのが想像するだけで辛かった。けれど、最後には納得して時のオーブを壊そうと思えた。

ベロニカを救うために時を巻き戻すことを選んでも、仲間との思い出は、皆が感じた悲しみや痛みは、最後に心から笑えた笑顔は、全部勇者と私の中に残っていくと心から思えたから。

皆と成し遂げ到達したひとつの終着点に、重ねた苦労と大切な思い出で執着するのではなく、よりよい未来のためにあえてそれらを切り捨て過去へ戻る決断を迫ってくるシナリオの厳しさ、そして、大切なものが無くなってしまうからこそ、決して心からは消えないんだよと伝えてくれる優しさが本当に愛おしく思う。

グランドネビュラ習得のシーンも、仲間一人ひとりが想いを込めて勇者の剣を叩くシーンも、カミュがマヤを抱きしめたシーンも…何もかもが大好きなんだけども、それらすべての積み重ねがあるからこそ辛く、愛おしく、けれど最後は心から別れる選択をすることが出来た「時を巻き戻すシーン」が、やっぱり私の中では一番だ。

二周目世界~最後のシーンについて

Ⅺのラストは、主人公たちの冒険が「御伽噺」として子供に語り継がれていくものだというものだった。クリア後に調べてわかったのだが、これはドラクエ3へと繋がっていくそうだ。私はこの終わりを見て、そしてドラクエ3との繋がりを知って、ますますこのドラクエ11と堀井雄二という人間の事を好きになった。

思えば、時を戻した二周目の世界はとてもチープな物語だった。

カミュとマヤが互いの想いを叫びながらぶつかり、手を伸ばし、涙をこぼしたあの物語が、剣をかざすだけで終わってしまうし、魔物の大群と戦い、戦友と対峙し、覚悟を決めてようやく仲間になったグレイグは気がついたら仲間になっていた。漁師キナイと人魚ロミアの恋物語も、一周目の世界で私は覚悟を持って真実を伝えたはずだったのに二周目世界では嘘を伝えたことになっていたし、ホムラの里での一周目は「母親が火竜(息子が呪いで火竜に変えられている)に食われることで、呪いが解ける」という痛ましくも親子の愛に涙する珠玉の物語だったけれど、二周目ではネルセンの試練で拾ったラーのしずくを使ったら一発で呪いが解けた。

一周目に比べて、やはりチープだ。

けれど、一周目の世界での悲惨さを痛感しているからこそ、全てが救われていく二周目の物語を心のどこかで待ち望んでいたのだと思う。それは一周目で描くべきことをきちんと描き切っているからこそできるもの。仲間と必死に助け合い、這いつくばり、泥臭く戦ったものではなく、勇者が勇者として痛快に世界を救っていくさまはまさしく「ドラクエ」なんだと思ったし、この痛快な「勇者の物語」は後世へと語られていく「御伽噺」として次の勇者候補たちの心に刻まれ、困難にぶち当たった時に「勇者とは何か」という道標になるんだと思った。

けれど、私達だけは知っている。全てが「軽く」「希望に溢れ」「笑顔をきちんと取り戻せた」物語の裏には、「沢山の喪失」があり「仲間の死」があり、けれど「立ち上がった人々の涙と笑顔」があったことを。

 

11のラストを受け取った今、私は時々ドラクエシナリオライターに思いを馳せている。

きっと、堀井さんは二周目が「御伽噺」のように軽いことを自覚しつつ描いていたのではないだろうか。人々の「希望」を、「痛み」を、「優しさ」を、「悲しみ」を丁寧に描き続けてきた一周目があるからこそ二周目は輝き、後世に語り継がれていく御伽噺の本だと言われても納得できる力強さをもたらしているのだと思うのだ。

そのストーリーテリングはこれから冒険が始まる(歴代)勇者の為であり、昔から楽しんでくれるファンの為であり、そして堀井雄二氏がこれまでドラクエに寄り添ってきた「過ぎ去りし時」の為なのではないだろうか。

人間の心を語り、勇者とは何かを語り、そして次の冒険へと繋げていく。

余韻とは「語る余地」を「語らない」ことで、受け手の中で想像してもらうものだと思っていたが、この「ドラゴンクエスト過ぎ去りし時を求めて」は、語るべきことをこれでもかというほど充分に語りきったからこその「次の冒険への想い」という大きな余韻を心に芽生えさせるのではないだろうか。

この余韻、言い換えると「ワクワク」こそが、私が冒険ファンタジーRPGに求めていた感情なんだろう。

物語の細かい意味なんか知らず、それでも小学生のころに夢中で遊んだドラクエ8。

沢山の物語やドラマに触れて、昔よりも「面白い作品」が分かってきた今の自分が「最高に面白い」と思うドラクエ11。

昔の自分に「十何年経っても、相変わらずドラクエやってるよ」と伝えたい。

ドラクエってマジで面白いゲームだよな!」と伝えたい。

「今、お前がやってる8よりも前の作品をプレイしてるんだ」と伝えたい。

 

インフルエンザに罹り、外に出歩けないからと何となく始めたドラクエ11だったけれど、本当に最高のゲームに出会えたと思う。

 

この記事を読んで少しでもドラクエの魅力が伝わって、一人でも多くの方がこの作品と触れ合えることを切に願っている。

 

とりあえず今、私はドラクエ7をプレイしている。