今回は千歌ちゃんについて思っていたこと、考えていたことを1期をメインに書いていきます。
全部千歌推しオタクの妄想ですのでご注意ください。
1."何も無い"高海千歌が持っていたもの
キーワードは等身大。
とうしん-だい【等身大】の意味
①人の身長と同じ大きさであること。
②誇張も虚飾もない、ありのままの姿。
③持っている力に見合うこと。
((デジタル大辞泉(小学館)))
例えば渡辺曜。
飛び込みのスター選手で皆に人気者の渡辺曜の素顔が、親友と何か一緒にやりたいと悩む女の子だった。
可愛いですね。
例えば黒澤ダイヤ。
地元名家のお嬢様でしっかり者であろうとする黒澤ダイヤの素顔が、本当は「さん呼び」から「ちゃん呼び」されたいと悩む女の子だった。
こちらも可愛いです。
曜の『飛び込み』やダイヤの『しっかり者』という個性は、誇張でも虚飾でもなく、努力が実を結んだ事実としてある。
そんな『普通より秀でた部分』がある人たちが年相応の悩みを晒す。
ありのままの姿を晒す。
すると、等身大を晒すという行為は、その人の魅力を増す効果としてはたらきます。
いわゆる『ギャップ萌え』です。
では高海千歌はどうでしょうか。
貴女みたいにずっとピアノを頑張ってきたとか、大好きなことに夢中でのめり込んできたとか、将来こんなふうになりたいって夢があるとか。
…そんなのひとつもなくて。
私ね、普通なの。
千歌には"ひとつもない"。
"私は普通"。
夢も目標も、のめり込めるものも無かった千歌のありのままの姿は、決して他人に見せたいものではなかったはずです。
ましてや長い時間をかけてピアノと向き合い続けてきた梨子に何もない等身大の自分をさらけ出すなんて。
でも千歌は笑顔で言える。
それはきっと、μ'sのSTART:DASH!!に出会えたから。
自分にも夢中になれるものがあると知ることができたから。
自分が本気になれるものを見つけることができたから。
出会えただけで、誰かに笑顔で伝えたくなるくらい嬉しかったから。
それくらい千歌は何かを本気でやりたかった事が分かります。
千歌自身が何も無いと思っていた過去の燻っていた時間。
それは輝きを求める原動力という確かな前進の力として、彼女の中にあったんだと思います。
2.高海千歌の『本気』と渡辺曜
曜について、少し疑問がありました。
曜は千歌の勧誘の姿も、ビラを作ってくる熱意も間近で見ていて、それでも「入る」とすぐには言わない。ましてやダイヤがスクールアイドルを嫌いらしいという情報を知っていながら千歌に教えない。
嫌い…みたい。
曜ちゃん知ってたの?!先に言ってよ~…。
千歌ちゃん夢中だったから、言い出しにくくて…。
普段の優しい曜なら、千歌が困難にぶつかる前にダイヤの情報を教え、一緒に対策を練ろう!と言うと思います。
千歌と一緒にやりたい強い気持ちがあるのに、何故千歌を試すようなことをしたのか。
それはきっと、何かを始めては辞めていく千歌をずっと見てきた幼馴染だから。
そして、小学校の時からずっと募らせてきた『千歌となにか一緒にやりたい』という本当に大切な想いを持っていたから。
だから曜は、千歌の言う『スクールアイドル』が『本気でやりたいこと』なのか確認する必要があったのだと思います。
では曜が思う『千歌の本気の証明』とはなんなのか。
答えは2人の過去にあるのではないでしょうか。
中学時代、千歌は曜の誘いを断っています。
千歌の母の言葉から分かることは、千歌は『何かにチャレンジして、壁にぶつかって、人の目を気にして辞めた』ということ。
志満さんの言葉から分かることは、千歌は『飽きっぽい』と思われるほど『色々なものに挑戦し、やめてきた』ということ。
千歌の諦めたフリの原因となった『人の目』。
それは他の人との比較の目線だと思うのです。
小さい頃から何かに挑戦して壁にぶつかる度に、千歌は『出来ない自分』と『出来る誰か』の比較の目線に臆病になっていったのではないでしょうか。
そのピークが中学時代。
もし曜の誘いを受けたら、なんでも高水準でこなす水泳のスター選手である曜といつも一緒にいることになる。千歌はずっと比較の目に晒されることになる。
だから千歌は曜の誘いに乗らず、チャレンジすることもなく諦めてしまったのではないでしょうか。
幼少期、千歌は出来ないことに挑戦する気持ちを持っていました。
しかし、中学では挑戦もしなくなる。
そんな千歌が、自分から『やりたいこと』を見つけた。チャレンジする気持ちを見せた。
しかし、これでようやく幼少期と並んだんです。曜はこんな展開の後、壁にぶつかり諦めていく千歌を何度も見てきている。
だから手伝いはするけれど、まだ『入部する』とは言えない。
曜が待っていた千歌の『本気の証明』、それは
もう一度?
うん!ダイヤさんのところに行って、もう一回お願いしてみる。
諦めちゃダメなんだよ!
あの人たちも歌ってた!その日は絶対くるって。
…本気なんだね。
「もう一度」という言葉だったのではないでしょうか。
上手くいかない事に立ち向かわず諦めてきた千歌をずっと見てきた幼馴染にとって、壁にぶつかった後の「もう一回!」という言葉は、とても大切なものだったのではないかと思うのです。
千歌はμ'sのSTART:DASH!!で踏み出せなかった一歩を踏み出します。
けれど、それは曜の時間が動き出す合図でもあったのではないでしょうか。
この表情は、昔からずっと待っていた言葉を聞けた嬉しさ、そして長年想い続けてきた願いが動き出す予感からのものだとしたら、本当に素敵だなと思います。
3.高海千歌と『諦めの矛盾』
千歌に対する『幼馴染』と『家族』の評価が矛盾している点が、ずっと気になっていました。
昔の千歌は上手くいかないことがあると、人の目を気にして、本当は悔しいのに誤魔化して諦めたフリをしてた。
あの子、飽きっぽいところがあるでしょ?
千歌の母と志満さんの言葉から、千歌の気持ちはどうであれ、千歌は上手くいかないことがある度に諦めてきた事が分かります。
しかし、幼馴染の評価は逆でした。
諦めが悪いからね、千歌は昔から。
中途半端が嫌いなんですよ。
やる時はちゃんとやらないと、気が済まないっていうか!
何かに挑戦しては諦めていく千歌を、幼馴染の曜と果南が「諦めが悪い、中途半端が嫌い」だと評価している理由について考えてみます。
曜の発言について
飽きっぽいんじゃなくて、中途半端が嫌いなんですよ。やる時はちゃんとやらないと、気が済まないっていうか!
曜については言葉の通り『何かに挑戦しては諦めていく』千歌の姿が、曜の目には『心から本気でやりたいもの』を探す姿に見えていたのではないでしょうか。
だから曜は『千歌の本気』を重要視するんだと思います。
果南の発言について
実は一番気になっていたのが果南の発言でした。
諦めが悪いからね。
千歌は昔から。
曜の場合は『諦めてきた姿』が『探し続ける姿』に見えたものだと考えました。千歌が諦めてきたという事実は有るが『受け取り方』が違うのではないか、というものです。
しかし、果南については『諦めてきたこと』そのものが否定されています。
果南の発言のこの部分に注目して考えてみました。
1つ目のポイントは、曜と果南の千歌と接してきた時間軸のズレだと思います。
果南と曜は、千歌と関わってきた時間に差があるのではないでしょうか。
幼少期、具体的に言うと『鞠莉がクラスに転入してくるまで』は、果南は千歌たちと遊んでいたけれど、鞠莉の転入以降はダイヤ、鞠莉との時間が次第に増えて行ったと考えると自然だと思います。
千歌や曜は、果南がスクールアイドルを始めた事さえ知らなかったので、関係は切れていないにしろ、過ごしてきた時間にいくらかの空白があったのではないでしょうか。
2つ目のポイントは、その時間軸で果南が見てきた千歌の姿です。
果南が見てきた『昔』の千歌。
アニメで果南と千歌の幼少期が描かれたのは1期#9「未熟DREAMER」。千歌が川に飛び込むのを果南が下から見上げているシーンです。
曜の見ている景色が見たかったのか、飛び込みで輝いている曜の真似をしてみたかったのか。
千歌が飛び込みたかった理由ははっきりとはわかりませんでした(すいません…)が、状況から見るに、千歌1人では飛び込むのが怖くて果南に手伝いをお願いしたのではないでしょうか。
そんな果南ですが、直接手を貸すことはせず、千歌を励ますだけ。
しかし、千歌は勇気を持ちさえすれば飛び込むことが出来た。
その光景を、果南は自分の目で見ています。
『昔』の果南が見てきたのは、『やりたいと思ったこと』を勇気を持てば『やり切れる』千歌の姿。
そして、高校生になって自分の前に現れた『今』の千歌は『スクールアイドル』という『やりたいこと』に向かって全力な姿。スクールアイドルの輪に入ってからは、沢山の困難に立ち向かう姿。
果南は、自分の目で見てきた『昔』と『今』の千歌の姿から、諦めが悪いと評価したんだと思います。
3.のまとめ
長ったらしく書きましたが、曜や果南の考えが千歌の母と比べて間違ってるだとかそういうことではなく、全部が千歌を構成する大切な要素なんだと思うのです。
本当は悔しいのに諦めたフリをする弱さがあったから、千歌は諦めの先に何もないことを知りました。
その事を知っている千歌だから、花丸に手を伸ばすことができます。善子が堕天使を捨てることを否定することができます。
『昔』出来なかった時間があったから、『今』出来ることがあるのです。
千歌の燻っていた過去は何も無くなんて無い。
千歌が苦しんだ分、今の誰かの笑顔に繋がっている。
多分千歌ちゃん本人はその事を分かっていないだろうけど、きっと千歌ちゃんはそういう子です。
だから僕は、そんな千歌ちゃんを応援したいんです。
4.高海千歌と『悔しさ』
僕が見てきたラブライブ!サンシャイン!!、それは高海千歌が高校2年として1年間を駆け抜ける物語。その中では沢山の出来事があって、笑ったり泣いたりする千歌がいました。
しかし千歌にとって、そして娘を見てきた千歌の母親にとっては16年の時間が積み重なった物語です。
昔の千歌は上手くいかない事があると人の目を気にして、本当は悔しいのに誤魔化して、諦めたフリをしてた。
ここでひとつ疑問に思ったのが、やりたいと言って挑戦して、すぐ辞めていくことを千歌の母親はどう思っていたのか、ということです。
何かを始め、そして辞めて。
また始めて、また辞めて。
新しいことに挑戦する時は道具代などのお金もかかると思うのですが、千歌がやりたいと言う度に千歌の母親はチャンスをあげてきました。
親心と言ってしまえばそれまでなのですが、千歌の母親は何か意図があって、文句もアドバイスも言わずチャンスだけを作ってあげたんだと思うのです。
千歌の成長について僕は『諦めたフリ』に注目していました。
2期は千歌の『諦めの悪さ』が鍵となる展開が多かった為、『諦めてきた過去』から『諦めの悪い自分』に変わることが千歌の成長だと、そう思っていました。
しかし、16年間を見てきた千歌の母親が本当に待っていたもの、望んでいたもの。
それは千歌が『悔しさを誤魔化さないこと』だったのではないでしょうか。
やめる?
今までの千歌なら辞めてきた。壁にぶつかる度に悔しさを誤魔化して逃げてきた。それを千歌の母親はずっと見てきました。
だから娘の決断を真剣な表情で待ちます。
悔しい…
悔しいんだよ。
私、やっぱり悔しいんだよ!!
しかし、悔しさを誤魔化して諦めてきた千歌はもうそこにはいませんでした。
しばらく見ない間に千歌が『変わった』ことを母親は知ります。
その時、私たちに目標ができました。
目の前の0を1にしよう!
そう、心に決めて。
居場所を作り、仲間を作り、出来ないことは助け合うことで、千歌は『変わる』ことができた。
1期#8「悔しくないの?」で千歌が悔しさを誤魔化したのは、周りの目からではなくリーダーだからです。
私が泣いたら、みんな落ち込むでしょ?
今まで頑張ってきたのに、せっかくスクールアイドルやってくれたのに、悲しくなっちゃうでしょ?
今までの『自分が傷つかないように』ではなく、『皆のために』。
ここにも確かな成長を感じますが、不慣れながらもリーダーとして1人で全て背負い、そして向き合いきれなくて悔しさを誤魔化したのかなと思います。
そんな千歌に、梨子は言います。
皆千歌ちゃんの為にスクールアイドルやってるんじゃないの。自分の為。
だから良いの。千歌ちゃんは感じたことを素直にぶつけて、声に出して?
みんなで一緒に歩こう。一緒に。
これは『皆』の悔しさで、千歌1人が背負うものではない。
1人で背負った大きすぎる悔しさは千歌の歩みを止めるものでした。
しかし、皆で背負い、共有した悔しさは決して『負の感情』ではなく、『立ち止まる壁』でもなく、『前に進むための力』になる。
そのことに千歌は気づいたんです。
それを言葉で説明するのは簡単ですが、多分響かない。
千歌自身の力で気づくしかない。
だから千歌の母親は心配しながらも放っておいたのではないでしょうか。
この先、スクールアイドルを終わる日が来る。
新しい何かを始める日が来る。
『悔しさ』が『前進の力』になる事を知った千歌なら、恐れることなく、諦めることなく、新しい1歩を踏み出せる。
母親が千歌に教えたかったもの。
あげたかったもの。
それは千歌が未来に臆病にならず、やりたいことに飛び込める『勇気』だったのではないでしょうか。
5.あとがき
とりあえずは1期を中心に、千歌と千歌の周りの人達について考えていることをまとめてみました。ちょっとでも楽しんでもらえたら嬉しいです。
次以降の予定は
②2期を中心とした千歌のまとめ
③僕の好きな楽曲と千歌の関係
④高海千歌のリーダーとしての才能について
です。
ちょっとした変更はあると思いますが、ゆっくりじっくり書いていきますので、更新は遅めになると思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
とっきー