米津玄師2019TOUR 脊椎がオパールになる頃 感想

2019年3月10日、幕張メッセにて開催された米津玄師2019TOUR 【脊椎がオパールになる頃】に参加してきました。

はじめての米津現地。はじめてのアイドル現場以外でのオールスタンディング。不安と期待が半々の気持ちのまま挑んだ米津玄師のライブでしたが、最高に最高に楽しかったです。今回はそんなライブで思ったことを書いていきます。

曲によってテンションが違うので、読みにくかったらごめんなさい。

それではいきましょう!

脊椎がオパールになる頃

  1. Flamingo
  2. LOSER
  3. 砂の惑星
  4. 飛燕
  5. かいじゅうのマーチ
  6. アイネクライネ
  7. 春雷
  8. Moonlight
  9. 打上花火
  10. amen
  11. Paper Flower
  12. Undercover
  13. 爱丽丝(アリス)
  14. ゴーゴー幽霊船
  15. ピースサイン
  16. Nighthawks
  17. orion
  18. Lemon
  19. ごめんね
  20. クランベリーとパンケーキ
  21. 灰色と青

現実世界を侵食する世界観

FlamingoとLemonのシングルを主軸にBOOTLEG楽曲を配置したセットリストで、MCは短めのものが2回+アンコール曲前のみ。米津玄師のライブの現地は初めてだった為どんなパフォーマンスをするのか見当もつきませんでしたが、異次元という言葉がぴったりでした。

今までの自分の中の『米津玄師』は、音楽MVだけ。そして、それらだけでも充分だと思っていました。しかし、スクリーンの映像を使った演出も、ステージの光の演出も、ダンサーも、マーチング隊も、あの場にあった全てが米津の世界の具現化でした。

楽器が鳴る。米津が喉を震わす。ダンサーが躍り、マーチング隊は隊列を組んで太鼓を叩く。すると、絵本を開くかのように、狭いステージは物語の世界へと変化していくのです。

砂漠を歩いているかと思えば田舎の夏の夜にいたり、異形蠢く昏い世界に迷い込んだかと思えばスチームパンクの喧噪の中にいたりする。まるで沢山の世界線を股に掛ける物語の舞台に放り込まれたようでした。

実際には米津が歌っているだけなのですが、上で書いた通り物語に溺れ窒息しかけた私には、米津の心の内に広がる心象風景がを介して現実世界を侵食しているように見えたのです。そして、その広がった景色は今まで音からイメージしていたもの以上の景色として、目の前に広がっていました。

その光景を見て、文字通り手の震えが止まりませんでした。

LOSER

この曲は米津が25歳の時に作詞作曲したもので、テレビの取材で「LOSERは自分のことだ」と言っています。人付き合いが苦手で、家に引きこもってゲームばかりしている自分のことを負け犬と揶揄しているのです。

しかし、今はどうでしょうか。

LemonのCDはゴールドディスク大賞を受賞。MVはYouTubeで3億再生。BOOTLEGレコード大賞最優秀アルバム賞を受賞しています。

進め

ロスタイムのそのまた奥へ行け

(LOSER-米津玄師 より引用)

今目の前で歌うのは、負け犬がロスタイムのそのまた奥へ転がりながらも走ってきた姿なのです。

負け犬の遠吠えだった声は、今では日本中が聞いています。3年前に彼がLOSERに込めた『負けて立ち止まろうとする自分には絶対に負けないという強い意思』を、今の彼が貫き通したことを証明しているのです。25歳の決意表明を、28歳の彼が有言実行したんだと叫んでいるのです。

だからでしょうか。ただ格好良いだけじゃなく、清々しい表情で憑き物が落ちたように軽やかにLOSERを歌う彼の姿が、私にはとても輝いて見えました。

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LOSERのラストで見せた、ステージにしゃがむTEENAGE RIOTのジャケットと同じ姿。それは、不甲斐ない自分やみっともない自分をさらけ出して、そんな自分を変えようと歌にしてきた米津の『弱い自分』への反抗心のようで。それでいて、その不甲斐なささえも武器にしてしまえる『強い自分』の証明のようでした。

 

負け犬の歌、世界一カッコ良かったです。

かいじゅうのマーチ

※歌詞考察が入ります。苦手な方はご注意。

この曲は大好きで、米津楽曲の中でも一番聞いていました。

歌詞も全部覚えています。米津の書く全ての歌詞の中で一番好きなフレーズもこの曲の中にあります。そんな自分がこの曲を生で聴いたらどう感じるのか楽しみでした。

結果から言うと、私は『この曲自体』と『一番好きなフレーズ』のことをより好きになれました。

 

発端は、米津の後ろのスクリーン映像。

 

イントロと共にスクリーンに映し出されるのは、動物(不思議な形のものもいたように思う=かいじゅう?)の行列の影が歩いていく映像。"あなた"という愛しいものに会うため、道草せず1本の道を歩いてきたと言うかいじゅうの歌を、米津はCDの歌声よりも優しさが込められた声で歌い上げました。

この曲の私のイメージは『青空と砂漠のコントラストの中、かいじゅうが一匹ぽつんといる』というものだったのですが、スクリーンでは沢山のかいじゅうが隊列を組んで歩いていました。その映像にとても驚き、あたたかな優しさを感じ、心の底から嬉しさに震えました。

私は、"あなた"と出会うまでかいじゅうは孤独だと思っていたのです(鳥は出てくるが、かいじゅうは鳥を見送るため一緒に旅はしない)。しかし、そうではなかった。旅の途中のかいじゅうは孤独ではなかった。

すると、ある想像が浮かびます。

もしかしたら"あなた"に伝えるために覚えた言葉で、お互いを励ましているかもしれない。

いつまでも絶えることなく友達でいよう

信じあう喜びからもう一度始めよう

(かいじゅうのマーチ-米津玄師 より引用)

言葉は繋がりを作るのかもしれない。

その繋がりは『友達』と呼べるかもしれない。

泥だらけのありのままじゃ

生きられないと知っていたから

だから歌うよ 愛と歌うよ

あなたと一緒が良い

(かいじゅうのマーチ-米津玄師 より引用)

かいじゅうたちは"かいじゅう"の名の通り、見た目は醜いのかもしれない。

だからこそ愛という共通言語で歌を歌うのかもしれない。

人を疑えない馬鹿じゃない

信じられる心があるだけ

(かいじゅうのマーチ-米津玄師 より引用)

この歌詞が全米津歌詞で一番好きなのだが、何度も曲を聞いてきたはずなのに、まるで初めてこの歌詞を飲み込めたような感覚になりました。

かいじゅう(=醜いもの)は「泥だらけのありのままじゃ生きられないこと」を知っている。おそらく人(=綺麗なもの)もそれは知っている。もしかしたら、人の中にはかいじゅうを信じない者もいるのかもしれない。

しかし、かいじゅうは「愛を歌うことで信じ合うこと」ができる。ひいては「信じ合う喜び」を知っている。だからかいじゅうは、たとえ泥だらけのもの(=醜いもの)でも、人(=自分たちを受け入れられないもの)でも、信じることが出来る。

それは人を疑えない馬鹿なのではなく、信じられる心があるから。かいじゅうが愛している"あなた"が、きっとそういう人だから。そんな"あなた"と一緒が良いから。

まぁ正直な話、私は自分に敵意を向けてくる奴まで信じようとは思えないし、そう思う奴がいたら気味が悪いとまで思ってしまうかもしれない。

けれど、もしかいじゅうがそういう奴だったとしたら、私は少し、信じてみたいとも思う。きっとそれほどまでに、かいじゅうにとって"あなた"が大きな存在だろうと思うから。そして私も、かいじゅうにとっての"あなた"みたいに、大切な誰かから愛される人になりたいと思うから。

打上花火

ステージが暗転。静かに虫の音が聞こえた。ゆっくりとイントロが流れ、米津はステージから前方、短い花道のような三角形ステージへ歩きだした。

米津の足元に小さな炎がともり、その炎は足元から米津の進む道を示すかのように、さらに前方へと移っていく。その炎を道標に、三角形の頂点まで歩いた米津。サビが始まる。

 

炎の高さは米津の膝程度までしかなく、炎のあかりは米津の顔を下からぼんやりと照らす程度。その光景が、『田舎の夜の草原で小火を焚く少年』のように見えた。

この夜が続いてほしかった

(打上花火-米津玄師 より引用)

あの時の米津を通して見た少年は、きっとこの歌詞を何度も繰り返す少年の『その後』なんだと思った。

あの子との最後の夏、打上花火と終わらない夏に心を囚われた少年が、二度と会えないあの子へと届くように送り火の炎で思い出を火葬したように見えたのだ。

その光景はノスタルジックであり、思い出の喪失でもあり、少年が新しく踏み出すためには必要な儀式でもあった。歌う米津と足元を照らす炎という『たった半径数メートルほどの空間』と『ぼんやりと下から照らされた米津の顔』だけでひとつの物語が展開されており、その物語は少年の心の機微というミクロな世界をこれでもかと言うほど丁寧に切り取っていた。

悲しくて、切なくて、懐かしくて、愛しくて、沢山の感情が心の中でぐちゃぐちゃにかき回されて、ズキズキと痛むほど胸が苦しくなった。

amen

打上花火が終わると同時に、晩鐘のような鐘が鳴る。ひび割れたような音が聞こえてくる。amenだと思った時には、米津の後方、昏い闇から異形(を模したダンサー)が這い出てきた。その異形は曲に合わせてのたうち回り、寄り集まり、ひとつの大きな生物になった(組体操のように、8人くらいで一つの個になり動いていた)。まるで異世界の御伽噺に出てくるような『それら』を、米津が指揮者となって彼らを操っているようにも見えた。

amenは不穏な部分とキャッチ―な部分から構成されているが、不穏な部分は足が震え、鳥肌が立ち、無意識のうちに呼吸が浅くなっていた。このままだとまずいかもと思ったところでサビに変わり不穏さがなくなる。ホッと一呼吸いれた時、呼吸がおざなりになっていたことに気がついた。

打上花火で『田舎の夏の夜』の『少年の心の機微』という『ミクロな世界』を見せた直後に、amenで『この世界ではない異世界』で『語り継がれているかもしれない闇の異形』という『マクロな世界』を見せてくるのだ。前曲で意識的に視点を狭めた結果の産物かもしれないが、一寸先の闇というおそらく誰しもが持っている恐怖心を刺激してくるのはズルい。いい塩梅の恐怖や狂気は人を引き付けるというのを身をもって実感した4分半だった。

ごめんね

大好き。感無量。以上。

 

 

 

 

 

 

 

いや、まぁ語るんですけど。

 

この曲は米津がハマった「UNDERTALE」というゲームの、あるキャラクターへ向けた歌だそうです(さっき調べたのですが)。情弱で申し訳ないのですが、その事実も知らず、UNDERTALEもプレイしたことが無い私には、この曲はずっと『死別した恋人の歌』だと思っていました。そのため、アンコールの開幕で歌われたことも、明るい演出も、自分の認識とズレが大きく、違和感が大きかったです。

しかし、UNDERTALEについて調べて、ようやく分かりました。

 

UNDERTALEは二つの種族である『ニンゲン』と『モンスター』が争い、モンスターが地下に追いやられた世界のゲーム。その地下に落ちてしまった主人公が、地上を目指して謎解きやバトルをこなしていくRPGとなっています。そのキャッチコピーは『誰も死ななくていいやさしいRPG』。敵をだれ一人殺さなくてもクリアできるらしいです。

けれど、例えプレイヤーがモンスターを一人も殺さなかったとしても、その世界はきっと沢山の争いや諍いがあって、沢山の命が失われたはずで、『モンスター』の大多数は『ニンゲン』を恨んでいるのではないでしょうか。

だから米津は、そんな関係を思ってこの歌詞を入れたのではないでしょうか。

心の底から触れ合うまで

君と繋がっていたいだけ

(ごめんね-米津玄師 より引用)

先にも書いた通り、この曲はアンコールの一曲目でした。

その演出は、ライブを盛り上げたマーチング隊や闇の異形を演じたダンサー皆が笑顔で踊り、ハイタッチし、皆で歌うもの。あの瞬間のステージ上には役割の区分けがなく、皆が一つでした。沢山のカテゴライズの壁が壊れたその光景が、私にはとても美しく見えました。

しかし、それだけではありません。

 

一つになろうとする空気は、私たちにも波及していったのです。

 

この『ごめんね』という曲は、UNDERTALEのイメージソングの他に「皆とライブで楽しめる曲」というもう一つの顔があります。今までは自分が良いと思うものを孤独に作り続けてきた米津でしたが、この曲の向こう側には、明確に『観客』が反映されているのです。

サビが終わった後、米津は両手を大きく広げます。すると、会場を観客の声が包み込むのです。一度聴いたら頭から離れない美しいメロディが、老若男女の歌声に乗って。

 

米津はステージ上をひとつにし、そして、会場の皆と一緒に歌うことでステージの上と下をひとつにしました。あの瞬間の感覚が、私にはとても不思議な体験でした。

空気にしては質量を持った何か。もしくは、羊水にしては質量を持たない何か。そんな形容しがたい何かに、会場が包まれたように感じたのです。

何もかもスローに見えて、だけど不安な気持ちなんて1ミリも無くて。

ただただ心が温かくて、涙が止まらなくて。

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あの正体はきっと、米津の『優しさ』だったのだと思います。

やっぱり総括すると

大好き。感無量。以上。

となるわけです。

 

ちなみに、気になったので始めました。

 

ツアータイトルとMCについて

脊椎がオパールになる頃。・・・とても不思議なタイトルですよね。

最初はあまり意味が分からず、何かオシャレだなぁくらいの気持ちでライブに臨みました。

 

そのライブのMCで、米津はこんな事を言いました。(言い回しは少し違うかもしれません)

世の中はどんどん変わっていく。今までは歌詞にしても許されてきた事が、明日には許されなくなるかもしれない。今まで見て見ぬふりをしてもらってきたことが、明日にはしてもらえなくなるのかもしれない。

自分の中にあるものを、その時代にあった形で、俺がその時代と一緒に変わり続けながら表現していくことが、きっと美しいことなんじゃないかなって思う。

「お前変わっちまったな」っていわれることも多いんだけれども、そう言って離れていく人も多いんだけれども、俺はその人たちを前にして「はい、私は変わりました。あなたは他でどうぞ」とは言えないし、言いたくない。

今はダメだったかもしれないけど、時代が変わって、俺の音楽も変わって、そうしてまたどこかで交差する部分が、リンクする部分が出てくるかもしれない。それは2年後3年後4年後5年後・・・10年後かもしれない。だけど、その時にまた会えたらいいなって気持ちで、これからも音楽を作っていきたい。それが、俺の作りたいポップソングなんだ。

自分を大きな船だとすると、その中の誰も落としたくないんだ。傲慢な考えかもしれないけど、それでも、やりたいと思うんだ。思うんだから仕方がない。

この会場に何人の人がいるか分からないんだけども、そんな俺の歌を「いいな」って思って集まってくれている一人ひとりが、今までやってきたことは間違いじゃなかった証明なんだ。

こんなに嬉しいことはないんだ。

脊椎とは人間の体を支えるもので、それは信念と言い換えてもいいかもしれません。それは時代が変わって表現が変わっても、変わらない大きな軸です。

オーストラリア産のオパールは、主として堆積岩の中から見つかります。産地によっては、貝殻やクビナガリュウなどの脊椎せきつい動物の骨、植物の幹などの形をしたオパールが産出することもあります。

(徳島県立美術館-企画展 ミネラルズ より引用)

http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/bb/chigaku/minerals/38.html

その信念は、長い年月を経て虹色に輝くオパールになるのかもしれません。

 

しかし、脊椎がオパールになるためには何百万年という途方もない時間を要します。

そして、米津が目指すのは普遍的なポップソング。

 

つまり、このツアータイトルは『自分が持つ信念が光り輝く遠い未来まで、沢山の人が幾星霜も歌い続けられるような音楽を作っていく。』という意味が込められているのかな、と思いました。

 

 

 

 

終わりに。

米津のライブは初現地だったわけですけれども、米津玄師2019TOUR 脊椎がオパールになる頃について、想いを馳せてみました。

いやー・・・とんでもないライブでした。ライブが終わってから今まで、ずっっっと米津の曲を聞いています。目を閉じるとごめんねの景色が浮かんできます。胸が苦しくなります。元々好きでしたが、まさかここまで好きになってしまうとは思いませんでした。

 

本当に楽しかったです。

米津さん、最高の2時間をありがとう。

素敵な思い出をありがとう。

 

 

またいつか、ライブ行きたいなぁ・・・

 

 

おわり。

 

【感想】ドラゴンクエストⅪ 過ぎ去りし時を求めて【DQ11】

約一か月、プレイ時間100時間ほどでDQ11(表・裏ルート)をクリアした。

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ドラクエを8しかプレイしたことが無い私にとって「原点回帰」、「過去作と繋がる超大作」と言った評価は怖いものだった。けれど、ふたを開けてみればなんてことない、ただただ神ゲーだった。話の端々で語られる過去作との繋がりは「は?分からねえよ」ではなく、むしろ「やべえ、過去作やりてぇ」と思えるほど、仄めかし方、ストーリーへの組み込み方が秀逸だったと思う。

色々語りたいことがあるが、何を語ってもネタバレになるので、プレイする気持ちが少しでもある方は今すぐこのページを閉じてPS4もしくは3DSの電源を入れてくれ。頼む。

ネタバレを見ず、是非自分の眼で物語を見て、自分の手で世界を救ってほしい。最高の冒険が待っていることを約束する。 

では、ここからはネタバレ全開で好きなところを書いていく。

 

DQ11で最も興奮したのは、やはり一周目の世界のお話。特に命の大樹が吹き飛び、世界が崩壊してからの物語が好きだ。沢山の人が死に、多くの大切なものを奪われた人間が、それでも諦めずに立ち上がる姿はとても輝いて見えた。その輝きが私は大好きだ。

心の強さ

DQ11は人間の脆さや美しさを丁寧に描いていた。

世界崩壊後にセレンは「勇者とは、最後まで決して諦めない者のことです!」と言った。主人公は「勇者の力」を持って生まれた特別な存在なのだけども、セレンはその「特別な勇者の力」ではなく、「諦めない心の強さ」こそが勇者だと言った。そして、崩壊後の世界に本当の意味で諦めた者はほとんどいなかった。

勇者が世界を救ったとして、けれどその世界が悲しみに覆われたまま皆が復興を諦めていたとしたら、それは世界を救ったことになるんだろうか。勇者一人で世界中を笑顔にすることはできるんだろうか。いや、きっとできないだろう。

多くの喪失を経験した世界中の皆が、周りと励まし合うこと。絶望の中で、それでも未来を語ること。それは「世界を救い、光をもたらす勇者の力」ではないけれど、「周りの人を笑顔にする力」なのだと思う。

勇者の仲間は皆、何かしら明確な目的があったけれど、シルビアが言った「世界中の人を笑わせたい」という夢はとてもざっくりとしていて、最初は少し笑ってしまった。けれど、どんな絶望の中でもブレずにその「世界の笑顔」の為に頑張る姿はとてもカッコよく、また美しかった。

心の弱さ

しかし、DQ11は人の心の強い部分、美しい部分だけではなく、ホメロスやマヤのように心の弱い部分を魔王に利用された人の描写もまた、とても丁寧だった。

貧しさに苦しめられ、周りの人間に虐げられ、唯一の家族である兄のカミュにまで(本意ではなかったとしても)見捨てられてしまったマヤが、全てを黄金に変える呪いの力で癇癪を起してしまう気持ちはとても共感してしまったし、その悪事のせいで彼女の「カミュと二人で喧嘩して、そして笑いあっていたい」という本当の願いを「もう後戻りできない気持ち」のせいで言えないという状況がとても愛おしく感じてしまった。 

また、「グレイグの前を歩きたかった」、「グレイグに自分を見てほしかった」、「自分を認めてほしかった」というホメロスの叫びは、闇の衣を纏い圧倒的な力を見せる闇の姿になってもとてもホメロスらしいと思ったし、幼少期から彼と並び立っていたはずのグレイグがだんだんと離れていく描写は思わず胸が苦しくなった。たった一言、お互いに「俺はお前に憧れているんだ」と言えることが出来れば、ここまでこじれることはなかったのかもしれないと思うと、余計に。

最後のホメロスとの闘いの前、亡くなったベロニカの姿を見せる幻術を使って来た時は本当に頭にきて怒りのまま倒してしまったが、今思うととても悲しいことをしてしまったと後悔している。

ホメロス、救えなくてごめんね。

一番好きなシーン

冗談抜きに最初から最後までストーリー全体が大好きなのだが、全シナリオの中で一番好きなところを挙げるとするなら、私は過ぎ去りし時を求める瞬間、時のオーブを破壊するシーンを選ぶ。

魔王を倒し平和になった世界で、時の番人から仲間を救う方法として提示されたのが、「世界の時が結晶化した時のオーブなるものを壊し、時間を世界崩壊の前まで戻すことでベロニカが死なせない」というもの。

それはつまり、成し遂げた世界の平和さえも巻き戻すということ、ひいては海底王国での勇者復活やグレイグの加入、散り散りになった仲間との再会、シルビアの父親との和解、カミュの贖罪、セーニャの決意が全て無くなってしまうということ。

ベロニカは救いたい。けれど、大好きな仲間一人ひとりが自分の心の弱さや目を逸らしていた過去と向き合った時間や想いが無くなってしまうのは本当に辛いし、受け入れたくない。けれど、やっぱりベロニカともう一度冒険したい。

時の番人の「失われた時を求める覚悟はありますか?(=今という時を失う覚悟がありますか?)」という問いには相当悩まされた。

私はカミュとセーニャが特に大好きだった為、二人の覚悟が無かったことになるのが想像するだけで辛かった。けれど、最後には納得して時のオーブを壊そうと思えた。

ベロニカを救うために時を巻き戻すことを選んでも、仲間との思い出は、皆が感じた悲しみや痛みは、最後に心から笑えた笑顔は、全部勇者と私の中に残っていくと心から思えたから。

皆と成し遂げ到達したひとつの終着点に、重ねた苦労と大切な思い出で執着するのではなく、よりよい未来のためにあえてそれらを切り捨て過去へ戻る決断を迫ってくるシナリオの厳しさ、そして、大切なものが無くなってしまうからこそ、決して心からは消えないんだよと伝えてくれる優しさが本当に愛おしく思う。

グランドネビュラ習得のシーンも、仲間一人ひとりが想いを込めて勇者の剣を叩くシーンも、カミュがマヤを抱きしめたシーンも…何もかもが大好きなんだけども、それらすべての積み重ねがあるからこそ辛く、愛おしく、けれど最後は心から別れる選択をすることが出来た「時を巻き戻すシーン」が、やっぱり私の中では一番だ。

二周目世界~最後のシーンについて

Ⅺのラストは、主人公たちの冒険が「御伽噺」として子供に語り継がれていくものだというものだった。クリア後に調べてわかったのだが、これはドラクエ3へと繋がっていくそうだ。私はこの終わりを見て、そしてドラクエ3との繋がりを知って、ますますこのドラクエ11と堀井雄二という人間の事を好きになった。

思えば、時を戻した二周目の世界はとてもチープな物語だった。

カミュとマヤが互いの想いを叫びながらぶつかり、手を伸ばし、涙をこぼしたあの物語が、剣をかざすだけで終わってしまうし、魔物の大群と戦い、戦友と対峙し、覚悟を決めてようやく仲間になったグレイグは気がついたら仲間になっていた。漁師キナイと人魚ロミアの恋物語も、一周目の世界で私は覚悟を持って真実を伝えたはずだったのに二周目世界では嘘を伝えたことになっていたし、ホムラの里での一周目は「母親が火竜(息子が呪いで火竜に変えられている)に食われることで、呪いが解ける」という痛ましくも親子の愛に涙する珠玉の物語だったけれど、二周目ではネルセンの試練で拾ったラーのしずくを使ったら一発で呪いが解けた。

一周目に比べて、やはりチープだ。

けれど、一周目の世界での悲惨さを痛感しているからこそ、全てが救われていく二周目の物語を心のどこかで待ち望んでいたのだと思う。それは一周目で描くべきことをきちんと描き切っているからこそできるもの。仲間と必死に助け合い、這いつくばり、泥臭く戦ったものではなく、勇者が勇者として痛快に世界を救っていくさまはまさしく「ドラクエ」なんだと思ったし、この痛快な「勇者の物語」は後世へと語られていく「御伽噺」として次の勇者候補たちの心に刻まれ、困難にぶち当たった時に「勇者とは何か」という道標になるんだと思った。

けれど、私達だけは知っている。全てが「軽く」「希望に溢れ」「笑顔をきちんと取り戻せた」物語の裏には、「沢山の喪失」があり「仲間の死」があり、けれど「立ち上がった人々の涙と笑顔」があったことを。

 

11のラストを受け取った今、私は時々ドラクエシナリオライターに思いを馳せている。

きっと、堀井さんは二周目が「御伽噺」のように軽いことを自覚しつつ描いていたのではないだろうか。人々の「希望」を、「痛み」を、「優しさ」を、「悲しみ」を丁寧に描き続けてきた一周目があるからこそ二周目は輝き、後世に語り継がれていく御伽噺の本だと言われても納得できる力強さをもたらしているのだと思うのだ。

そのストーリーテリングはこれから冒険が始まる(歴代)勇者の為であり、昔から楽しんでくれるファンの為であり、そして堀井雄二氏がこれまでドラクエに寄り添ってきた「過ぎ去りし時」の為なのではないだろうか。

人間の心を語り、勇者とは何かを語り、そして次の冒険へと繋げていく。

余韻とは「語る余地」を「語らない」ことで、受け手の中で想像してもらうものだと思っていたが、この「ドラゴンクエスト過ぎ去りし時を求めて」は、語るべきことをこれでもかというほど充分に語りきったからこその「次の冒険への想い」という大きな余韻を心に芽生えさせるのではないだろうか。

この余韻、言い換えると「ワクワク」こそが、私が冒険ファンタジーRPGに求めていた感情なんだろう。

物語の細かい意味なんか知らず、それでも小学生のころに夢中で遊んだドラクエ8。

沢山の物語やドラマに触れて、昔よりも「面白い作品」が分かってきた今の自分が「最高に面白い」と思うドラクエ11。

昔の自分に「十何年経っても、相変わらずドラクエやってるよ」と伝えたい。

ドラクエってマジで面白いゲームだよな!」と伝えたい。

「今、お前がやってる8よりも前の作品をプレイしてるんだ」と伝えたい。

 

インフルエンザに罹り、外に出歩けないからと何となく始めたドラクエ11だったけれど、本当に最高のゲームに出会えたと思う。

 

この記事を読んで少しでもドラクエの魅力が伝わって、一人でも多くの方がこの作品と触れ合えることを切に願っている。

 

とりあえず今、私はドラクエ7をプレイしている。

 

映画『ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow』感想

酒井和男監督、サンライズ制作の劇場アニメーション"ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow"を見てきました。二回目です。

感想は一言でいうと、「世界一面白いwwwなんだこの映画はwww」です。酒井監督の才能と人柄が1秒1カットに凝縮されていて、1シーン1シーンに圧倒されながらも心がじんわりと暖かくなる。そんな映画でした。

正直な話、アニメ1期13話の結びが完璧で、アニメ2期の終幕も完璧で。これ以上面白いものを作れるのか?!と思うほど、ラブライブ!サンシャイン!!のアニメは素晴らしい作品でした。

けれど、今ではこの劇場版があることで、ラブライブ!サンシャイン!!はもうワンランク上の作品になったと思います。毎度毎度、高すぎるハードルをくぐるでもなく正攻法で飛び越えてくる制作陣には感謝しかありません。

さてさて、これから映画を見て色々と思ったことをノリで書いていきます。口調も統一していないので読みにくかったらごめんなさい(笑)

それでは参りましょう!

『冒頭7分の話』と『鳥メロで泣いた話』

劇場版の始まりは2期13話の体育館。水面の上を弾むかのように進む千歌から「僕らの走ってきた道は…」が始まった。

アニメ2期のラストダンス前に「夢じゃないよ」と曜は言った。夢か現実か分からない2期のラストは少し不思議な時間、空間で、だからこそ心から愛おしい時間だったが、その続きが始まることがはっきりと伝わってきて心の底から体が震えた。

Aqoursがこれまで歌ってきた曲と共にあった沢山の衣装と共に巡り巡るWONDERFUL STORIESの演出は現実的ではないけれど、だからこそ納得できる。圧倒される。感動する。なぜなら画面を通してAqoursを見てきた私たちこそが、Aqoursの『軌跡/奇跡』の生き証人なのだから。

声が届かないと分かっていても応援した。現実世界には存在しない浦の星女学院の廃校に涙した。架空のキャラクターへのその声は、架空の学校へのその涙は、実の無いものなのだろうか。意味のないものなのだろうか。

それは違う。声は伝えたい『何か』を『誰か』へ発するもので、そこには心が宿るのだ。涙が地面に落ちるのは、涙の雫が発生する時に心や感情がそこに込められているからだ。

何故こんな話をしているのかというと、youtubeにて公開されている冒頭の7分について語りたいことがあるのだ。

www.youtube.com

アニメではほとんど描かれていない場所からキャラに思い入れのある場所まで、沢山の場所をステージにしてAqoursは歌い踊る。しかし、登場するのは場所だけではなく、そこで生活する沼津の人々も丁寧に描かれている。

内浦や沼津の街を歩けば、ひょっとしたらAqoursと出会えるのではないかと思うほどアニメでは現実の沼津を大切にしているが、それと同じくらい沼津や内浦の方々もAqoursラブライブ!サンシャイン!!を愛してくれている。

作品と聖地が互いに歩み寄って盛り上げてきた作品だからこそ、冒頭の7分は思いが溢れ、こみ上げてくるものがある。

だからだろうか。

初めて聖地巡礼した時に友人と酒を飲んだ鳥メロが映っただけで、こっちはボロボロなのだ。鳥メロで泣くのはさすがに想像していなかった。想像してみてほしい。Aqoursじゃなく鳥メロを見て泣くオタクを。

なんなんだ。馬鹿か。馬鹿だな。けれど、鳥メロまでが詳細に描かれていた事が、そしてそのことに感動した事が、バカバカしいほど嬉しかったのだ。

この映画はアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」の続きの物語だ。劇場版まで沢山の事があった。だからこそ、この7分はこれまで支えてくれた聖地への『感謝』と、作品を楽しんだファンへのちょっとした『プレゼント』のようなものだと思った。

 

また沼津に行きたい。

またあの鳥メロに行きたい。

またアホな話で盛り上がって、仲間とAqoursについて思いを馳せたい。

 

そう思わせてくれる、素敵な7分だった。

 

 

 

・・・とまぁ、鳥メロの話で1500字も書いています(?!)が、ここから映画の内容について語っていきます。まずは前半・伊太利亜ッッッッ!!!!

イタリア編:2つの巣立ち

前半のイタリア編は二つの軸からなります。

ひとつは籠の中に閉じ込めようとする母と、飛び立ちたい鞠莉の対立。

もうひとつは今まで2,3年生の腕の中にいた1年生の自立。

鞠莉は母親からの巣立ちを、1年生ズは2,3年生からの巣立ちを描いているという点で、少しだけ違いがある。この違いがめちゃめちゃ愛おしい!!

鞠莉はもう飛び立てるだけの翼があり、羽搏きたい青空がある。あとは母親を納得させる(=ライブで感動させる)だけ。

逆に1年生ズは翼こそあれど、羽搏く練習(=2、3年生の力を借りないで何かをする)が必要なのです。

(Next SPARKLING!!の衣装で3年生の『両翼』は彼女達一人ひとりが自分の力で羽搏いていけることを示していて、1、2年生の『比翼』は互いに手を繋ぎ、互いの比翼で協力して羽搏いていくことを示しているのかな。これまで翼はあるけれど羽搏けなかった1年生が、イタリアでの羽搏きの練習で風を掴むことを覚えたのだとしたら。そして、そのチカラもあって6人のAqoursがより高く飛べるようになったのだとしたら。なんて妄想をしていました。)

また、違いは最後にも。

鞠莉(雛)は母親(親鳥)に「パパとママが私を育てたように、Aqoursも私を育てたの。全部無くならない。全部が私。」と言っていましたが、ダイヤ(親鳥)は1年生だけでステージを決め大成功をおさめたルビィ(雛)へ「ルビィはもう何でもできるのですわ!」と言いました。

鞠莉は前から分かっていて、ルビィは今実感として分かったんですよね。

同じ巣立ちを描きつつも、微妙に鞠莉の方が進んでいるのがとても良いですし、1年生の目的の延長線上に鞠莉の目的があるのが、気持ちいい痛快なテンポ感を生み出しているのでしょうか。

そうそう、書いていて思い出しましたが映画を見ていて一番感じたのがテンポの良さなんですよね。気がついたら映画が終わっているんですよ。

いつもは「今大体〇分くらいかな?」とふと我に返ってしまうのですが、サンシャインの映画は気がつけば終わってるんです。

けれど、時計を見るとちゃんと2時間が経っている。「うわああああ綺麗に2時間盗まれたっ!!!」とか思っていました。飽きさせない構成なんでしょうかね。

二時間ぶち抜きでどっしり1つの話をするのではなく、同じテーマの短編を1つの映画にした印象と言えばいいのか。

しかしその心地良いテンポ感の中に光るものが沢山あり、それら全部はやっぱりちゃんと繋がっている。脚本構成がヤバすぎる。書いた人だれだよ…十輝か……。

私たちだけのラブライブ!編:紙飛行機と雪の結晶

聖良とのSaintSnowが大切だからこそ、もう一度SaintSnowと同じものを…と思ってしまう理亞がめちゃめちゃ人間くさくて、たまらなく愛おしい。

大切な人の大切な夢を壊した事実。聖良の道を閉ざしてしまったのに、自分の道は残されてしまっている現実。それらは遠慮なく理亞にのしかかる。『全部残ってるから』の一言で、自問自答で、そう簡単に割り切れる人間はいない。ましてや15歳の女の子ひとりでなんて。

僕は映画を二回見ましたが、同じところで泣いてしまいました。泣き叫びながら走っていく理亞を見るとどうしても涙が止まらない。

大切なものが心に残っているからこそ、その大切なものを壊してしまったからこそ、理亞はあったかもしれないラブライブに囚われてしまう。その気持ちはとても分かる。

彼女一人だけ居場所が、目指す場所が違うのだから、新しい仲間が離れていくのは仕方がないことだというのも分かる。

だからこそ苦しい。

心は粉々に砕け、モチーフのスノードームも壊れた。見ていて心が痛かった。他人の僕でこれなら、理亞は、聖良はどれだけ痛かったんだろうか。そう思うと聖良が「理亞をAqoursに入れてあげたい」と思ってしまうのも分かる気がする。

だけど、ルビィは優しさと誠意を持って、きちんと拒否できる。優しさと誠意を持って「ラブライブは遊びじゃない!一緒に進もう!」と手を伸ばせる。理亞は1人だけど独りじゃなかった。

そうして2つのグループはあったかもしれない決勝を再演する。とてもミニマムなラブライブ。けれど、それでいい。自分たちの中に残っているものを、もう一度確かめるための儀式なのだから。

そうして羽根は理亞の色に染まっていく。自分の中にあるものに気づいて色が変わる。それはつまり羽根の色を変えるチカラは理亞の中にずっとあったということ。

聖良が作詞したであろう「Believe again」の歌詞も相まって、とても嬉しかった。

 

理亞の積み重ねは間違っていない。無くなってもいない。理亞は理亞らしく頑張ればいいんだよね。

 

千歌は紙飛行機を何度落ちても飛ばし続ける。だから彼女の紙飛行機はボロボロのヨレヨレ。けれど、だからこそ、その紙飛行機は羽搏く鳥になった。

理亞だって同じだと思う。

姉と誓った雪の結晶はもう手が届かないかもしれない。ひび割れ、溶けてしまったかもしれない。けれど、理亞には辛いことがあって涙を流しても追いかけることが出来る情熱がある。

その涙が一緒に流してくれる誰かの涙と交わって再び雪になった時、新たな雪の結晶になるんだと思う。

 

Aqoursも、SaintSnowも、繰り返し進んでいける強さがあるのだから。

 

だから、きっと、大丈夫!!!

理亞ちゃん、頑張れええええええええええええええええ!!!!!!!!!!

皆で作る、私たちのライブ編:きっと明日も輝ける!

の前に、少しだけ浦の星女学院の話をさせてくれ…。

余談:浦の星女学院の心

浦の星の校門、ちょっと開いてましたよね。あそこでめちゃめちゃに泣いてしまうのです…。僕は真面目に浦の星女学院擬人化勢なのですが、本当に浦の星女学院が愛おしくてたまらなくなります。

2期11話の閉校祭はまるで火葬のようでした。浦の星との思い出を、青春を、皆で共有し、光に満ちた夢を見ながら、闇の中で美しく燃える炎を看取るお祭り。リアタイしていた時は、あの瞬間に浦の星女学院は死んだと思った。けれど違ったんです。

最終話、千歌が紙飛行機の後を追って校門まで来た時、門は少しだけ開いていた。あの門を開けたのは誰だろうか。浦女の生徒の皆か、Aqoursの皆か。当時ずっと考えていて思ったのですが、僕は浦の星女学院だと思うのです。

泣きながら、繋がりを無理やり閉じるかのようにお別れした千歌と笑顔でもう一度お別れしたい浦の星女学院が、いたずらっ子のように校門を開け、千歌を招き入れたんだと思っています。

だからこそ、映画で少しだけ門が開いているのを見た時、愛おしくてたまらなかったのです。

バス停が無くなる。いつか校舎もなくなるだろう。賑やかというか、うるさいというか、そんな時間ももう積み重なることは無くなるんだろう。そんな話をしながら、Aqours浦の星女学院へ向かう。

そうしてたどり着いた先には、申し訳程度に開いた校門があった。

まるで浦の星女学院が「私はここにいるよ」、「もう一度校舎に入って、虹を見ていいよ」、「だから、お願いだから、私の事を忘れないで」と言っているかのように見えたんです。

暖かくて、切なくて、涙が止まらなかったけど、入ったらダメなんだよなって思った。

そうしたら千歌はきちんと門を閉めて、「無くならない、全部残ってる」って言い聞かせるように言うんですよ。泣きじゃくる妹に語り掛けるように。

もうね、ダメ。今も泣きそう。浦の星女学院、ずっと大好きだ。

 

さてさて。

 

イタリアや彼女たちだけのラブライブ!を経て、最後に向かうは6人のライブ。ここまで色々と濃い時間を過ごしてきた彼女たちは、一番最後のこの瞬間に、一番最初のハードルに戻ることになります。

 

人数は6人。

でも大丈夫。

浦女の皆がいるから。

静真の皆がいるから。

そして、心の中に3人がいることに気づいているから。

 

最初は指先だけの円陣だった。

でも、もう大丈夫。

3人が居ない空間は、逆に3人が居たことの証明になるから。

 

かけ声は自分たちだけに聞こえる小さな声だった。

でも、もう大丈夫。

千歌の楽しさを抑えられないような1から始まるカウントは、7も、8も、9も、6人に聞こえているから。

 

μ'sのように全国のスクールアイドルを巻き込むような、秋葉原をジャックするような、大掛かりなものは作れない。沼津駅の一端を借りて、手作り感満載のライブしかできない。

 

でも、それでいいと心から思えるのです。

 

挫折して、立ち上がって、また歩き出す「当たり前の人間の物語」は、「神話」のように未来永劫語られるものではないのかもしれない。

けれど、例え神話になれなくても、その姿を見た人たちの網膜に、心に深く刻まれるのです。

どれだけ涙を流して眼が洗われても、絶対に消えることはないのです。

 

目を閉じればAqoursがいます。

Aqoursと共に在る皆がいます。

応援してくれる沼津の人。

手伝ってくれる学校の人。

 

…僕には一緒にAqoursを追いかける友人たちも。

 

きっと、千歌もそうだと思うのです。

 

千歌の中にずっと残っているもの、残っていくものが、あの瞬間のあの場所に溢れている。私には何もないと言っていた彼女には、こんなにも沢山のものがある 。

 

その積み重ねた全てがいつか仄かに香る思い出の香りとなって、次の輝きへの火種になるのではないでしょうか。

 

だから、

きっと明日も輝ける!

と信じられるのかな。

 

Aqoursの泥臭い軌跡が、僕にはとっても綺麗に見えました。

 

素敵な思い出をくれて、ありがとう。

Fate/stay night [Heaven's Feel] Ⅱ.lost butterfly 感想

ついに始まった、待ちに待ったFate/stay night [Heaven's Feel]第二章。

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ハードルを上げに上げて映画館へ向かいましたが、完敗でした。‪Fate/stay nightは元々が18禁ゲームのためエロやグロなどの過激描写が多くあり、それらをufotableが圧倒的な画力で描き切っていました。正直胸が苦しくなる場面が何度もあったのだけれども、だからこそ美しいんです。士郎も、桜も、美しいんです。人間なんですよ。

生きているし、痛みを感じるし、辛いことだってあるし、なんて酷い世界なんだろうって思ってしまうけど、醜い世界の中で足掻いて足掻いて足掻き続ける人間は美しいんです。全てとは言いませんが、醜さの中でしか描けないものはあるんですよね。

[Heaven's Feel]第二章。本当に本当に、最高の作品を見ることが出来たと思います。

劇場版を見終わって良かったと思ったところや、語りたいことを少しだけ書きなぐっていきます。

声優とキャラについて

衛宮士郎 / 杉山紀彰さん

幼少期からずっと目指してきた『正義の味方』と、過ごしてきた時間の中で愛していることに気付けたからこそ目指そうと思えた『桜の味方』とで、士郎は心の中で葛藤します。

桜と過ごせる幸福を噛みしめるような演技。

もしかしたら桜が悪い人なんじゃないかと思い悩む演技。

過去の自分を裏切ることを決意した演技。

10年以上衛宮士郎を演じてきた杉山さんだからこそ、そこに込められた心、感情、息遣いの全てが[Heaven's Feel]の衛宮士郎でした。

もう、なにも言うことはない…。

間桐桜 / 下屋則子さん

過酷な運命を背負っている桜ですが、Fate(セイバー)ルートでもUnlimited Blade Works(凛)ルートでも彼女はメインに出てきません。士郎にとっては優しく暖かい日常の光のように、藤ねえと一緒に家で待つ大切な後輩の女の子でした。

イベントで‪[‪Heaven's Feel‬]の劇場アニメ化が発表され、ついに陽の目を浴びる時が来た時の下屋さんの表情、流した涙から、どれだけ桜の事を思っていたのかが分かります。

いや、本当の意味では僕になんか分かるはずはないけれど、どれだけ想っていたんだろうと考えるだけで胸が苦しくなります。

あとで触れますが、アニメーション制作はufotableです。作画は息を呑むほど美しく、眉をひそめるほど醜悪で、描かれるFateの世界はゲームのプレイ時に頭の中で想像していた以上のものでした。

ufotableの花形はサーヴァント戦で、大音量の効果音やサーヴァントの咆哮と圧倒的画力が盛り上がりの相乗効果を生み出し、観客に襲いかかってくるのです。

しかし、桜のシーンのほとんどはただの会話シーンなんです。画に見合う演技をしなければ、画に負けてしまってもおかしくないんです。並大抵の演技ではあの作画からは浮いてしまうと思います。

けれど、下屋さんの演技は画に全く負けていなかった。桜の心を下屋さんが声に乗せた結果桜は笑い、悲しみ、悩み、顔を綻ばせ、涙を流す。

当たり前のことですが、それが一番重要なんだと思うのです。

僕は桜の演技に涙が止まりませんでした。桜の表情に涙が止まりませんでした。桜の心が、あの二時間の中に込められていたんです。

[Heaven's Feel]一章は想像の遥か上の作品でした。これ以上のものができるのかと正直思ってしまうほど素晴らしかった。けれど、今回の二章はufotableの作画と下屋さんの演技の化学反応によって、より高い次元のものになっていました。本当に素晴らしかったです。

間桐慎二 / 神谷浩史

慎二の事を思うと、僕は自分の感情が分からなくなります。桜を傷つけてきた事実を思うと、僕は正直慎二に殺意が湧きます。けれど、慎二という人の別な一面を見ると、とても共感してしまうんです。

慎二は、慎二が好きな人たちに、ちゃんと自分を見てほしかったんですよね。士郎と本音でぶつかりたい。けれど士郎は慎二に自分の本当の心を見せない。悪態をついても、喧嘩を吹っかけても、士郎は笑顔で許してしまう。凛に自分を見てほしい。けれど凛は慎二に興味を示さない。魔術の才能が無いから。利用価値が無いから。凛が興味を持つようなものが何一つないから。

だから叫ぶんですよね。「こっちを見ろ!」って。

あの声に、声に込められた悲痛な叫びに、胸が苦しくなりました。神谷さんはFateについてさほど詳しくないそうですが、それでも慎二については誰にも負けないと言っていました。あの瞬間の慎二の声は、今までのどの慎二よりも慎二でした。

自分が持たざる者で、周りの人たちは皆持っている人で、だけど自分の事を見てほしかった。誰も見てくれない。なんでこんなことになったんだ。桜が養子として来たからだ。桜が僕から奪ったんだ。魔術師としての立場を。士郎が僕から奪ったんだ。僕の好きな人たちの目線を、桜を、凛を。

慎二のことを思うと、胸が苦しくなる。彼の事は心の底から嫌いだけれど、だけど、だけど、心のどこかで好きになりたいと思ってしまうんです。

もう自分の心が分かりません。こんなに悩んでしまうのは、慎二にも愛情を込めて制作してくれたスタッフの方々、そして神谷さんの迫真の演技のお陰だと思います。

藤村大河 / 伊藤美紀

ほんの少しだけ本編に出てきた藤ねえ藤ねえは魔術も使えないけれど、とても大切なことを知っているんです。士郎と桜の家族として、姉として、誰よりも近くで二人を見てきたからこそ、知っているんですよね。そして知っているからこそ、本心から桜に言葉をかけることが出来るんですよね。

桜の世界は暗く、黒く、醜悪で、寒い、絶望ばかりだった。これからもその絶望が自分をむしばんでいく事を桜は知っている。だけど、だからこそ、その暖かい言葉が、光が、温もりが、どれだけ嬉しいことか。

それが家族なんですよね。たとえ血は繋がっていなくても。

伊藤美紀さんの演技は、今までの作品においても核心に触れるようなものは無かったと思いますが、今までのシリーズで日常を積み重ねてきて、士郎と桜を心から愛してきたからこそ、あの演技になったんだと思うのです。

あの少ないセリフの中に、今までの10年以上が詰まっていると思うのです。

藤ねえ、めっちゃよかったんですよね・・・。

ufotableの作画と脚本の本気

ufotableの魅力と言えば、まず間違いなく出てくるのはサーヴァント戦の迫力でしょう。

サーヴァント戦には二つあります。ひとつは宝具を連発し、あちこちぶっ飛ばしながら行う大規模な戦闘。もうひとつは白兵戦のように、豪華なエフェクトのない達人同士の試合のような戦闘。今回は、というか今回も文句無しの無限点でした。

一章ではランサー戦がありました。あれは槍兵と暗殺者の達人同士の殺し合いとして見せつつ、高速道路のトラックが大破したり建物がぶっ壊れたりと、人間にとってはとんでもないことが起こっていることが良くわかる素晴らしいものでした。

今回はバーサーカー対セイバーオルタで前者を、アサシン対アーチャーで後者を見せてくれました。

個人的には両者とも良かったですが、バーサーカー戦がもう本当に嬉しかった!!!!!!!!!

バーサーカー戦について

バーサーカー、真名ヘラクレス。彼は13回殺されないと死なないという伝説が宝具の英霊です。バーサーカーの純粋な強さはもちろんですが、その暴風雨のような強さが13回殺すまで持久し続けるからこそ、彼は最強の英霊なのです。

しかし、原作ではあまりその事がフィーチャーされません。彼の強さは[Heaven's Feel]の前にプレイすることになる二つの章でもう充分に描かれていますし、ストーリー的に大切なのはバーサーカーが影に飲まれることですから。

原作では、拘束していた影を振り払い全ての力を込めた全力の一刀を放ち、けれどセイバーオルタにダメージを与えられず、影に飲まれていったバーサーカーだった。しかし、ufotableはそこを圧倒的作画できちんと描いてくれた。

殺されても立ち上がる姿、あの咆哮。イリヤの声に応えようとしたバーサーカーの神話の再現。バーサーカー故に言葉を話すことが出来ないヘラクレスだけれど、その戦う姿から『負けない』、『イリヤを生かす』という強い想いが伝わってきたんです。彼が最後まで戦い切った姿に、僕は涙が止まりませんでした。

別ルートで最凶レベルの存在感を放っていたバーサーカーですが、今回は早々に退場してしまうんだろうかと思っていた僕にとって、あの戦闘は震えるほど嬉しい最高のサプライズでした。

てか、あのレベルの戦闘シーンは今まで見たことない。ufotableヤバすぎる。

桜と士郎のシーンについて

Fate/stay night[Heaven's Feel]は士郎と桜の愛の物語でもあります。僕はエロゲーFate/stay nightはプレイしたことが無く、全年齢版を現在プレイしています。映画の進行を予想して、大体二章でやる内容を先にゲームでプレイしているため、まだ結末は知らないという稀有な感じになっていますが。

桜が士郎の指から血を吸うシーンは、エロゲーの性行為シーンの代替で作られたシーンというのをプレイしている途中に調べてわかりました。僕は別にFate/stay nightに過剰なエロを求めているわけではなかったのですが、「いやそこは地の文だけでいいから抱くべきところだろ!」と思っていました。

桜の体は穢れている。処女じゃない。その事を桜自身が言っていたからこそ、士郎は抱くべきだと思っていたんです。

「そのままの桜が綺麗だ。汚くなんかない。」と雨の中での抱擁で士郎が言ったその言葉を、桜がきちんと信じられるように。

僕は映画ではさすがにエロシーンはやらないだろうなと想いながらも、できればやってほしいと思っていたので、あのシーンは本当に驚きましたし、めちゃめちゃ嬉しかったんです。

桜のひと時の幸せを、美しい作画と下屋さんのあの演技で描いていくufotableと須藤友徳監督はやはり流石としか言えません。

しかし、あまりに美しいからこそ、見ているこちらは少しだけ恐ろしくなる。

血を吸う行為は吸血で、血は生命力を思わせます。僕には、あの性行為は士郎を捕食するように見えました。その後にライダーと3人でご飯を食べるシーンもあり、そこ自体もとても良かったのですが、『食べること』とはつまり食材の『生』を食べるということで…いや、桜はちゃんとエロくて可愛くてもう100億点なのですが、そこに妖しさが一瞬垣間見えるあの感じがまさしくFate/stay nightで、その雰囲気をきちんと不足なく表現できるのがufotableという会社なんだと思いました。

音楽について

音楽は、何と言っても主題歌であるAimerの『I beg you』と、後半で流れた『花の唄』のメロディアレンジのサウンドトラックが素晴らしかったです。

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桜の後ろに立って、Aimerさんが歌っているんですよ。桜の心の中の綺麗な部分も、ドロドロとしたコールタールのような部分も、何もかも。タイアップという概念を超越していると思いませんか。

『わたしを見つけてくれるよね』とひとりごちるような歌詞は、『どうか側にいて』と手を取る歌詞に変わる。曲は届かない想いを美しく歌うものから、あらゆるものを飲み込んで貪り奪うような歌へと変わる。

『花の唄』は間違いなく最強に桜なんだけれども、『I beg you』も間違いなく桜なんですよね。

梶浦由記さんの執念のようなものが、主題歌から垣間見えたような気がしました。

そして、僕の心に特にぶっ刺さったのが、士郎が寝ている桜に包丁を突き立てようとして、けれど出来ず、部屋を去った後に桜が静かに涙を流したシーンと、そこで流れた『花の唄』のサントラ。

『正義の味方である貴方は、私が悪い人になったらちゃんと私を怒ってくれると約束したよね』という歌詞のニュアンスが込められたメロディの中、士郎は桜に包丁を掲げる。しかし士郎にはできず、涙をこぼし、自分の今までを作りあげてきたもの全てを裏切ることを選んだ。そんな士郎が立ち去った後の、あの桜の涙。

あの涙はどんな涙だったんだろうか。

桜の気持ちを想像したくても、できないです。よく僕は「想像して胸が苦しくなった」と言うのですが、あの時の桜の気持ちを想像しようとすると、苦しいを通り越して胸が痛いです。痛い。まじで、痛い。

 

Aimerの『I beg you』のジャケットのモチーフである影、蝶、崩れゆく体。

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蝶はよく死者の魂のモチーフとして扱われます。ジャケットの女性の体を構成する蝶は、一体どれだけの魂を取り込んできたのか。そして、その手の上で羽ばたく一羽の蝶は誰なのだろうか。

I beg youのカップリング『花びらたちのマーチ』の歌詞のように、桜が笑ってこの先の未来へ羽ばたける日が来てくれることを、心から願うばかりです。

最後に

正直もうこれ以上の作品は現れないのでは?というレベルの作品でした…とか思ったら3章公開、来年の春ですって。桜の物語の最後を桜の季節にって、すごく素敵です。

二章の最後、桜の涙にやられて、慎二が死んで、桜の影がついに桜と一体化して。

エンディング中、僕はすごく苦しかったんです。

だけど、次回予告で画面いっぱいの桜の木が映って、涙が止まらなくて。

しばらく席から立てませんでした。

そうなってしまう位、本当に良かった。

 

僕は桜が好きだけど、桜の可愛らしい面ばかり見ていた。ゲームで醜さの片鱗を見て、映画でより深く彼女の醜さを知った。けど、それでもやっぱり僕は桜が好きなんだなと思った。

そう思えたことが、すごく嬉しかったんですよね。

この先の物語がどうなっていくのか。

桜と士郎の未来がどうなっていくのか。

最終章、楽しみですね!!!!!!!!!!!

あなたの虹はなんですか?【Over the Rainbowと僕とアナタの話】

ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbowは誰の物語だろうか。

 

僕は高海千歌ちゃんが好きだ。

千歌ちゃんはいつも輝きを探していた。

全身全霊、自分たちの心に従って!

輝くって、楽しむこと。

だから行くよ!迷わず心が輝く方へ!

素直な気持ちの中に、輝きはきっとある!

私も全力で勝ちたい!勝って、輝きを見つけて見せる!

 どんどんと走るスピードが上がっていく。

 

一期一話の千歌ちゃんは、僕と同じところにいた。

何かに夢中になりたくて・・・

僕と同じ事を思っていた。

私には、何もない。

僕も同じだと思った。

別に誇れる才能はないし、積み重ねてきた努力の結晶なんてない。

それでもいいかなとか思っていた。

だけど、彼女は何度も画面の外に問いかける。

君のこころは輝いてるかい?

YES!!って言いたかった。

足掻いて足掻いて足掻きまくって、やっとわかった。

私たちが過ごした時間全てが、それが輝きだったんだ。

僕と同じところにいたはずの少女は、遥か彼方で9人だけの虹を架けた。

僕はいつも、彼女との『差』を心の底から痛感していた。

 

だからこそ、彼女の凄さがよく分かる。

曲も作れない。

衣装も作れない。

ダンスも小さいころからやっていたわけではない。

運動神経も特別いいわけではない。

歌もとびきり上手いわけではない。

 

そんな彼女が諦めない姿を見せた。見せ続けた。

悲しいことがあった。苦しいことがあった。

時に弱さに飲まれかけたりもした。

けれど、最後には立ち上がった。

笑ってまた走り出した。

 

彼女の強さは、諦めの悪さは、僕にはとても輝いて見えた。

だからこそだろうか。

僕は、千歌ちゃんが言う

私は一応リーダーの高海千歌

がどうしても納得いかなかった。

胸を張って、「私がリーダー!」って言ったって良いじゃないか。

 

二期で輝きの在処に気付いた彼女だからこそ、3rdライブでは言わないかもしれないと思った。

4thでのWONDERFUL STORIESの間奏では千歌の言葉が乗せられた。

けれど、どちらも一応の言葉は無くならなかった。

 

そんな心のまま見た、Over the Rainbowの一幕。

僕は一瞬、息が詰まった。

良いなぁ。

こんなに凄い6人のリーダーで。 

 作詞をする千歌に向けて、梨子が言った。

えへへ、そうでしょー!

そして、その梨子の言葉を嬉しそうに受け取り、抱きしめた千歌がいた。

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忘れない忘れない夢があれば

君も僕らもなれるんだ なりたい自分に

忘れない忘れない 夢見ること

明日は今日より夢に近いはずだよ

NEXT SPARKLING - Aqours 作詞:畑亜貴より引用

千歌ちゃんのなりたいものが『リーダー』なのかは分からない。

けど、僕は、ずっと。

ずっと。

千歌ちゃんは最高に輝いているよって。

千歌ちゃんの輝きに照らされたヤツがここにいるんだよって。

伝えたかったんですよ。

 

国語が得意じゃないのに、千歌ちゃんの話がしたくてブログ開設したアホがいるんですよ。

絵なんて描いたことないのに、千歌ちゃんの絵が描きたくて下手くそな絵を描いてるアホがいるんですよ。

千歌ちゃんみたいになりたくて、今更ながら動き出そうとしているアホが、ここにいるんですよ。

 

ねぇ、皆さん。

この物語は誰の物語ですか?

止まらない止まらない 熱い鼓動が

君と僕らはこれからも繋がっているんだよ

止まらない止まらない 熱くなって

新しい輝きへと手を伸ばそう

NEXT SPARKLING - Aqours 作詞:畑亜貴 より引用

 僕は胸を張って言います。

この物語は、僕にとって。

僕と千歌ちゃんの物語です。

 

 

 

もしかしたら、もう千歌ちゃんとの時間はこの映画が最後かもしれない。

アニメが終わった時は千歌ちゃんとの時間が無くなることが怖かった。

皆さんとの時間が無くなることが怖かった。

だけど、もう大丈夫。

だって、心の中に全部残っているんだから。

 

笑顔の力を知ったよ。

楽しむことの大切さを知ったよ。

諦めない強さを知ったよ。

 

人見知りの僕にも、沢山仲間が出来たよ。

友達が、親友になったよ。

周りの事に、真摯に向き合えるようになったよ。

 

だから言えるんだ。

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君のこころは輝いてるかい?

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僕の心は今、とっても輝いてるよ!

僕が感じた『Marine Border Parasol』の正体

マリンボーダーと言えば・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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これですよね・・・。

この柄のパラソルの歌。

 

うーん・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エッモwwwwww

 

 

 

てなわけで、今回は劇場版ラブライブ!サンシャイン!!セブン-イレブン・セブンネット限定CD付前売り券収録曲『Marine Border Parasol by 高海千歌(CV:伊波杏樹)、桜内梨子(CV:逢田梨香子)、渡辺曜(CV:斉藤朱夏) 』について、書きたいことを書きたいだけ書いていきます!

※歌詞部分は斜体、アンダーラインにて引用しております。

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パラソルと聞くと、暑い夏の日に海水浴に来た時に砂浜にぶっさすあれを思い浮かべます。タイトルだけを見るとめっちゃ夏!!!って印象。しかし曲調はどことなく寂しさを感じさせる。このギャップがたまらなくいとをかし。

さてさて、それでは曲の中身へ入っていきます。出だしは梨子からのスタートです!

 

夏にようちかりこが海で遊ぶ曲

悩みなきひとはいない

水の中 ゆれる太陽 

この『水の中ゆれる太陽』と聞くと、思い浮かぶのは過去の苦しかった記憶。

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出だしの『悩みなきひとないない』がまたいいんですよね。

ラブライブ!サンシャイン!!はキャラクターたちが抱えている悩みを乗り越えていく過程で、沢山のものに気づいて、成長していく物語ですが、梨子は悩むシーンが特に多かったように思います。

「やる気も出なくて」と言った梨子。「私どうしたらいいんだろう」と言った梨子。海に還るものを「あまりいい曲じゃない」と言った梨子。しかし、彼女の悩みには、いつも向き合ってくれる女の子がいました。

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その女の子は梨子にとっての救世主のようでいて、れっきとした普通の女の子。

だから彼女もこぼすのです。

つかまえたつもりでも

キラキラこぼれてしまう

スカイランタンのPVで5万再生されたAqoursだったけれど、結果は0だった。

ミライチケットを掲げ0から1は成し遂げたが、本戦出場は叶わなかった。

98人集めたけれど、届かなかった廃校阻止。

たった2フレーズで千歌の痛みの一端が垣間見える秀逸な歌詞ですね。畑さん好き。

しかし、歌詞の一部一部を拡大して見ていくとアニメの映像なんだけども、少し引いて曲の1番を見てみるとやっぱり『熱い夏の海で遊ぶようちかりこ』なんです。

ただアニメの情景を歌詞にした曲でも、ただようちかりこが遊ぶ曲でも不十分。

だからこそ僕はやべえええええ!!!となるわけです。

『沢山の時間を積み重ねてきた彼女達』が『海で遊んでいる風景』を表現する歌詞としてここまで的を射ているものがあっただろうか。いやない。知らんけど。

さて、ちかりこにスポットが当たった次は曜ちゃんのメインパートです。

岬へ飛んでくカモメ

マリンカラーの絵になって

空にすーっと溶けちゃった

自由ってこういうコトさ

ここの歌詞が特に好きですね。

三人が海で遊んでいる時にふと空を見上げたら、カモメが飛んでいる。眺めていたらカモメが空に溶けていく。今日という日が楽しいからこそ、その光景に少し感傷に浸る千歌と梨子。そんな二人に曜が笑顔で言うのです。

なんでもできる曜が沢山の選択肢の中からスクールアイドルを選んだように、何処へでも行けるカモメは今ここにいる。そしてまた何処かへと飛び立っていく。

それこそが「自由」なのだと。

パラソル 楽しく遊んで

じゃあねって次の季節へと

どこでまた会えるかは潮風が知ってる

そんなカモメへ「じゃあね」と言いつつも、その中にいつか離ればなれになる二人へ向けて、二人と過ごしているこの楽しい時間へ向けて、三人は『じゃあね』と言うのでしょうか。

顔と声の向きはカモメだけれど、そこに込めた心は二人へ向けて。

直接言うことは切なくて、嫌で、でもいつかはその時が来るからこそ、カモメで予行練習をしておくかのように。

 

そして、そんな三人の間を潮風が通り抜ける。

少し湿ったその風は、三人の感傷を纏って吹き抜け、空へすーっと溶けていく。

だから『潮風が知ってる』。

近い未来、隣に誰もいなくても、夏じゃなくても、潮風を感じた時に連鎖的に感じる『あの時の寂しさ、愛しさ、感傷』が三人を思い出させてくれるから。

繋いでくれると思うから。

 

これで一番終わり。

 

海で遊ぶ二年生三人が、たまたま見上げた先に飛ぶカモメに自分たちを重ねて思いを馳せる歌。

 

うーん・・・

 

ううーん・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1億点!!

 

次は二番です!

梨子が自身を肯定する曲

サンダルを手に持って

冷たい砂踏んでいると

焼けそうな暑い日が

懐かしい気がしてるよ

ここの「冷たい砂」、「懐かしい気がしてる」の歌詞でぐっと夏の終わり感が出てきます。サンダルを脱いで裸足になって、初めて感じる砂の冷たさや、秋や冬なら「懐かしい」で済むところを「懐かしい気がしてるよ」とぼかしていることから、おそらく二番は一番から少し時間が経った夏の終わり頃でしょう。

曜と千歌の会話が透けて見えるような軽快さと、二人の空気感、距離感が感じられる歌詞はとても素敵です。

それでもみんな感じてる

これが終わりじゃない

夏はまた来るから

違う夏が来るね

そんな二人が「みんな」と言う。そして二人の空気感に違和感なく梨子のパートが入ってくる。

曜が梨子に感じていた想いや、梨子が曜と千歌に感じていた想い。千歌が曜に、梨子に感じていた想い。それらは織り糸のように、より強い絆となり今の2年生を結び付けていることが伝わってきて、とても良きですね。

また、梨子が言う「違う夏」は特別な気がしてしまいます。

ピアノコンクールは8月20日の夏ど真ん中。

梨子はピアノとスクールアイドルからどちらかを選ぶ選択を迫られ、『スクールアイドル』を選びます。しかし、千歌に背中を押され、梨子は『ピアノ』を選びました。

どちらも大切だからこそ、彼女は改めて実感するのです。

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大事にしたいものや、

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大事にしたいこと、

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大事にしたい場所があることを。

ひと夏の渦中で気付き、成長した彼女が、飛び込んでいくであろう来年の夏。

もし、もう一度コンクールと予選が被ってしまったとしても、彼女は今度こそ自分の意思で『本当にやりたいこと』をやりたいと言えるでしょう。

パラレル

いまの僕らで良かった

ほかの選択肢だったら

ここで一緒に笑い合えなかったかも 

そんな梨子を思ってしまい、ここのサビはどうしても梨子がメインのように聞こえてしまいます。

私、自分が選んだ道が間違ってなかったって心の底から思えた。

辛くて、ピアノから逃げた私を救ってくれた千歌ちゃん達との出会いこそが、奇跡だったんだって。

だから勝ちたい。ラブライブで優勝したい!

この道で良かったんだって証明したい!

(ラブライブ!サンシャイン!!2期♯12 光の海)

千歌と出会い、曜と出会い、Aqoursと過ごし、ここまで来れた。ピアノが楽しくなくなって、スクールアイドルを始めて、もう一度ピアノが楽しくなった。それらは「奇跡」なんだって思えた。

だからこそ「証明したい」。

そう強く誓った彼女は今、大好きな友達2人と笑顔で歌っています。

いまの僕らでよかった!と。

 ラブライブ優勝は形として、きっと証明の根拠たり得ると思います。

しかし、

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スクールアイドルを一緒に続けて、梨子ちゃんの中の何かが変わって、またピアノに前向きに取り組めたら素晴らしいなって。

素敵だなって。

そう思ってた。

と言ってくれた千歌が今隣にいてくれることが、

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だーーーーーーーいすき!

と言ってくれた曜が今隣にいてくれることが、

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そしてなにより、そんな二人を愛し、二人に愛されている今の自分がいることが、何よりの証明の根拠なんだと思います。

パラレル

もしも、の答えは

波がさらって行っちゃったよ

いつかまた会えること

潮風が知ってる

二番はパート分けのせいか、千歌と曜、それを追う梨子という印象を受けました。

すると、頭の中で映像が作られていきます。

 

サンダルを脱いで先を歩く二人を追って、梨子もまた裸足で砂浜を駆ける。

二人の背中を見ながら、梨子は「違う選択肢だったらここで一緒に笑い合えてなかったかも」と空想した。

その『沢山のif』と『今』を比較して、「いまの僕らでよかった」という気持ちを感じた。

けれど、潮風が吹いて、波が足まできて、風の心地よさ、水の冷たさを感じた。

思わず二人から足元、そして海へと視線を移す。

今二人を追いかけて潮風と波を感じている自分は、空想でも妄想でもなく、れっきとした自分なんだと思えた。

波が空想や妄想をさらっていって、ただ純粋に「いまの僕らでよかった」という気持ちだけが残った。

梨子はそうしてふふっと笑って、また二人の元へ駆けていく・・・。

 

という妄想。(だれか漫画で描いてくれ・・・)

 

だからこその「波がさらって」なのかなと思いました。

いつか大人になって、どこかで潮風を感じた時。

心の底から「いまの僕らでよかった」と思った二人がそばにいなかったら、きっと会いたくなるし、声が聞きたくなる。

だから、潮風はまた会える『いつ』かを知っているのではないでしょうか。

 

ということで二番終わり!!!

妄想が・・・止まらねえ・・・!!!

 

二番は梨子の目線で聴いてしまうんですよね。

梨子は、作中で沢山の選択をしてきたと思うんです。大きく未来が変わってしまうような選択を。それは両方大切だからこそ悩むし、苦しむけど、だからこそその悩みには価値があると思うのです。選ばなかった選択肢の分、選んだ選択肢を愛するのが梨子だと思うのです。

そんな彼女が笑顔で「いまの僕らでよかった」と歌えるこの瞬間が、僕は嬉しくて嬉しくて仕方がないんです。

 

 

 

というわけで・・・

 

 

 

 

やっぱり出ました!

1億点!!!(合計2億点!!!)

 

もう2億か・・・

では、次行きましょう。

‪Marine Border Parasol‬の正体

あの水平線を

また見たいよね

暑い夏を

熱く駆け抜けた

三人が見つめる先にあるのは「水平線」。『Marine Border』というのは海と空が織り成す模様だったのでしょうか。では、Parasolとは何なのでしょう。

暑い夏を熱く駆け抜けることは「青春」という名の一瞬の季節。

彼女達は、彼女達だけの青春を駆け抜けて何を見つけたのでしょう。

すごい!2人とも!海の音が聞こえた! 

 梨子に海の音が聞こえるようになったのは何故でしょうか。

あっはは!千歌ちゃん梨子ちゃん!早くしないと行っちゃうよ!

全速前進ヨーソロー!

曜が二人の元へ行くのではなく、早くおいでと言えるようになったのは何故でしょうか。

パラソル yeah

パラソル yeah!

結局、パラソルってなんだったんだろう。

もう一回もう一回!

パラソル yeah!!

パラソルとは日よけ用の傘。

サビで何度も歌われるその言葉に、それだけの意味がこめられているわけではないと思う。

少しだけ順序が違うけれど、ラストのサビを見てみる。

パラソル

海辺の道はいつも変わらないけど

僕らの夢の色は変わってくと気がついた

『変わらない風景』と『変わっていく僕らの夢の色』。

僕らは、色が変わることを知っている。

パラソル

楽しく遊んで

じゃあねって次の季節へと

どこでまた会えるかは

潮風が知ってる

楽しく遊んだ後にじゃあねと言うということは、そのパラソルは消えるか、もしくは千歌たちがそのパラソルを追い越していくということ。

私、曜ちゃんと梨子ちゃんのこと、だーい好き!

2人と出会えたことが、奇跡だよ! 

 『奇跡』。

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僕は、Marine Border Parasolが指すものとは『虹』だと思いました。

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あの時心に刻んだのは、決して消えない彼女たちだけの虹。だからこそ、彼女達は新しい虹を信じて、何度でも走っていくのではないでしょうか。

刻んだ虹を追い越して、まだ見ぬ世界へ羽ばたいて、その過程で彼女たちの色は変わっていくでしょう。

そしていつか、どこかの潮風に呼ばれて集まった時。

彼女たちは全く新しいMarine Border Parasolを見ることになるのはないでしょうか。

 

 

 

 

という訳で!

今のところ暫定2億点のこの曲ですが、千歌の言葉を聞いた瞬間、僕の中で点数はつけられないものになってしまいました。

レンジオーバー。測定不能

言ってしまえば無限点。

 

対戦ありがとうございました。

大事に大事に、聞き続けていきたいと思います。

 

 

半分以上・・・というかほとんどが妄想のブログでしたが、僕なりに大好きな曲について色々と考えてみました。

 

結果、前よりも2年生が好きになれたので良かったです。(笑)

 

以上!

ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

 

※このブログで使用した全ての画像は©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!が所有しています。

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン第5話 感想

 縁とは、人と人との関わり合い。私たち人間は一人では生きられません。沢山の人と関わり合い、助け合い、影響しあうことで生きていきます。その沢山の出会いの中には宝物のように感じる特別なものもあれば、挨拶を交わすだけのようなものもあります。私は『特別な出会い』と『ありふれた出会い』の違いは、その二人の間に流れる過ごしてきた時間の長さと想い合う時間の長さだと思います。

 出会いは種。過ごした時間は水と陽の光。そうして育てて咲いた花の名前が二人の『関係性』、ひいては心なんだと思うのです。

 

 貴方の大切な人はどのような方ですか。

 

 ご家族でしょうか。

 恋人でしょうか。

 ご友人でしょうか。

 

 色とりどりの大輪を咲かすもよし。

 特別な数輪を大切にするもよし。

 

 その花束こそが、あなたの人生の色なんだと思います。

 

 

 …とまぁ、ポエミーな文章を書いてみましたが、いやはや恥ずかしいですね。

 けれど、そんなものを書いて発信してしまえるほどに、ヴァイオレット・エヴァーガーデン第5話が本当に素晴らしかったんですよ。

 今回の物語は王女と王子のラブロマンスを主軸に、ヴァイオレットの成長を随所に感じる構成となっていました。また、他にも沢山の比喩、暗喩、対比を用いて、ラブロマンスという華々しく美しい物語の中に切ない家族の愛や、重厚な戦争と政治の色を落とし込んでいたのも素晴らしかったです。

 今回は書きたい内容が多すぎて散らかってしまっている感は否めませんが、それでも情熱は込めました。最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 それでは行きましょう。今回は5つのトピックスです。

 

第4話との対比

 今回の第5話は、5話内だけでも様々な比喩や対比が至る所にあるのですが、その前にまずは第4話との対比について話したいと思います。4話と5話には多くの共通点と、共通故に見えてくる違いがあります。

 4話を断片でピックアップすると『家族』、『結婚』、『仕事』。アイリスの母の『仕事を辞めて地元で結婚してほしい』という想いと、アイリスの『やりがいのある仕事を続けたい』という想いがぶつかり、アイリスは改めて自分が進むべき道を再確認し、より力強い一歩を踏み出しました。

 5話では、シャルロッテ姫が敵対勢力だったドロッセルとフリューゲルが周辺諸国に友好関係を示すための婚姻を強要されます。つまり、『王族』のシャルロッテにとっては『結婚』が『仕事』なのです。5話を見ていて、なんとなく4話と話のエッセンスが似ているなと感じました。

 しかし、ふたを開けてみるとシャルロッテ姫はダミアン王子へ好意を寄せており、自ら周辺に根回しするほどの行動力を見せます。ワガママで小生意気なシャルロッテですが、『公的な婚姻』の中に『私的な想い』を込めるしたたかさは、芯の強い王女のそれでした。

 「もう少しドールの仕事を頑張りたい」と結婚を遠ざけたアイリスと、「ダミアンの元へ嫁ぎたい」と結婚を選んだシャルロッテ姫。共通の断片から選んだ選択肢は真逆のようで、その実「本当にやりたい事を選んだ」という点ではやはり同じなのです。

公開恋文の役割

 第5話はライデンシャフトリヒ陸軍省から始まります。将官とホッジンズの話題は「南北の戦争が再び起こるかもしれない」という物騒なもの。だからこそ、敵対しあっていたドロッセルとフリューゲルが幸せな婚姻を結ぶ『儀式』の橋渡しをしてほしいという依頼でした。

 今まで戦争の道具として武器を取り人を殺してきたヴァイオレットが、道具としてではなく自動手記人形として、武器ではなくタイプライターで戦争の防止に寄与していくことはとても嬉しかったですが、政治的に求められた公開恋文の役割は『人々に二人の婚姻は素晴らしいものだと思わせること』。

 つまり当の本人たちの気持ちよりも、互いの国民に『順調だと思われること』が大切ということ。美しい文章内容で両国民に好評なら、将官たちにとっては内容などどうでもいいのです。

 しかし、ローダンセ教官曰く『手紙とは、人の心を伝えるもの』、『良き自動手記人形とは、人が話している言葉の中から伝えたい本当の心をすくいあげるもの』のはずです。指定された通りの語句を使い、シャルロッテの本心が分からないまま書いた美しいだけの文章は、はたして『手紙』と言えるのでしょうか。そんな手紙を書く自動手記人形ははたして『良き自動手記人形』なのでしょうか。

 そんな時、シャルロッテはティアラを外し、「この瞬間は王女ではなくただのシャルロッテだから、貴女もただのヴァイオレットとして聞いて?」と言い、自分の本心を吐露します。

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 本当はこの婚姻が嬉しいこと。婚姻が上手くいくよう根回ししていたこと。そして、ダミアン王子の本当の気持ちを聞きたいこと。

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 その話を聞いて、ヴァイオレットは胸の証を触ります。

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 自動手記人形の『武器』であるタイプライターを挟んでシャルロッテの想いを聞くヴァイオレット。私にはこのタイプライターが境界線のように見えました。

 おそらく代筆するために彼女の心を掬いあげようとする自動手記人形としての立場を示していると思うのです。

 しかし、自分の代筆ではシャルロッテの想いを掬えない、彼女の願いを叶えられないと知ったヴァイオレットは、ひとつの『出過ぎた行為』を提案します。それは代筆を放棄すること。王女と王子の二人しか知らない夜の事を、直筆の手紙で、ありのままの想いと疑問をやり取りすることを提案したのです。

 その根底にあるのは『あなたの涙を止めてさしあげたい』という想い。

我々自動手記人形はお客様にとっての代筆のドール。役割以外の仕事はいたしません。ですから、これからすることは私の出過ぎた好意です。弊社、CH郵便社とは無関係だとご承知ください。

 以前のヴァイオレットなら「役割以外の仕事はいたしません。」で終わっていたと思うのです。しかし、語られていない4話と5話の間の数ヶ月間、代筆の仕事を続けてきた彼女の心は着実に成長しています。そんなヴァイオレットだからこそ、自動手記人形の仕事である代筆を辞め、本人に手紙を書いてもらうという「出過ぎた行為」を提案できるのです。

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 その「出過ぎた行為」を提案する時、彼女はタイプライターの境界を踏み越え、シャルロッテと向き合う形をとります。この瞬間こそが、自動手記人形からただの少女である「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」になった瞬間だと思いました。

 そんな自動手記人形にとっては無茶苦茶なその提案のお陰で、儀式的な恋文は真実の恋文へと変わっていきます。国民たちはより二人の手紙に注目し、ああでもないこうでもないと言いながら二人の恋を見守っていく。そしてそれは結果として軍部の政治的目的も達成することになるのです。

 政治的な目論見も、真実の愛も、矛盾することなく混ざり合い、二人は祝福されつつ幸せな婚姻を結ぶ。当然のように祝福される晴れ舞台の裏では代筆屋がいて、さらにその奥には政治と戦争防止の思惑がある。そんな危ういバランスの元に、このお話が成り立っていることが分かりますね。

『広がっていく彼女の世界』/『彼女と世界を繋ぐもの』

 シャルロッテの世界は常に何かしらに覆われていました。特に見ていて気になったのはベッドのカーテン。まるで外界からシャルロッテを守っているかのように、ベッドはカーテンで覆われていました。そして、閉じられた安息の場所で寝ているシャルロッテを起こし、そのカーテンを開けるのは侍女であり、代理母役のアルベルタの役目。

 物語の中盤でシャルロッテはこのような事を言っていました。

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お前が母上の腹からわたくしを取り上げて、お前が私を育てたのよ!

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 この言葉を受けた上で改めてこの画を見ると、シャルロッテのベッドは『母親の腹』のメタファーに見えてしまいます。アルベルタはいつもシャルロッテと外の世界の間にいて、いつでもシャルロッテの手を引いてきたのでしょう。だからシャルロッテはアルベルタに依存してしまうのです。

 しかし、アルベルタはいつまでもシャルロッテを甘やかすことをしません。

(お前はわたくしのものよ!と叫ぶシャルロッテに対し)

私は宮廷女官です。わたくしの身は王宮のものであって、シャルロッテ様のものではないのです。

 アルベルタはいつか離れることに目を背けないからこそ、突き放すことができます。

(出てってよ!と叫ぶシャルロッテに対し)

いいえ、おそばにおります。

 いつか離れなければならないからこそ、いつか来る別れの日まで、ずっと側にいると誓うことが出来ます。

 ふたつの相反する言動の根底にあるのは、アルベルタの確かな愛情なのです。

 しかし、シャルロッテはその愛情に気付かない。今こんなにも愛されていることよりも、この先離れる不安の方が勝ってしまうのです。

アルベルタもいない異国でもし嫌われてしまったら…

 彼女を苦しませるのは、自分を守ってくれる場所(ベッド)も、そこから手を引いて外へ出してくれる人(アルベルタ)もいない異国への不安と、ダミアンの気持ちが分からないという不安です。

 それは、本当の気持ちが見えない手紙のやり取りでは解消できない。シャルロッテの涙を止めることはできない。だからこそ、直筆での公開恋文が必要なのです。

 そうして始まった公開恋文。ベッドで寝ていたシャルロッテの元へ、ダミアン王子の本心が書かれた手紙が1輪のバラを添えて届きます。そしてシャルロッテは返事に、4年の間胸の中で育み続けたダミアン王子への好意を直筆の文字で伝えます。

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 そうして少しずつ、シャルロッテの自室には赤いバラが増えていく。少しずつ彼の気持ち、人となりが分かってくる。

 彼女にとって外の世界の象徴であるダミアンの本心が分かっていくと、彼女の漠然とした外への不安はゆっくりと緩和され、シャルロッテの世界もまた少しずつ広がっていくのです。

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 自室から噴水へ。

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 噴水から池の橋へ。

 手紙が届く度、シャルロッテは彼女を守る自室のベッドから遠くなっていきます。ベッドにいたシャルロッテの手をアルベルタが引き、ヴァイオレットが想いを伝える手伝いをし、最後はダミアンの元へと旅立っていく。

 王子と王女のラブロマンスから始まった物語は、シャルロッテとヴァイオレットに友情が芽生える物語、アルベルタとシャルロッテの家族の物語を経て、最後にまた恋物語へと帰結していきます。

 そして帰結した物語の『めでたしめでたし』の先で、シャルロッテの世界はこれからも、より一段と広がっていくでしょう。

少女から王女へ、王女から妃へ

 シャルロッテが一人の女性として恋を知り、愛を知っていく様を丁寧に描いていくと同時に、王女としての芯の強さもまた描かれていました。私が一番王族らしさを感じたのはこのシーンです。

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 娘が母へあふれる想いを表す時、私は"抱擁"が妥当だと思うのです。しかし描かれていたのは、男性が女性へ忠誠を誓う姿。

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 それはダミアンから愛を受け取った白椿の庭園での一幕の再演。

 シャルロッテは言葉に出さなくとも、『例え嫁いで隣国へ行ったとしても、私がお前のものであることは変わらないわ』と伝えているのです。

 少女(白椿の生花のカチューシャ)から王女(永遠に枯れない銀の椿のティアラ)へ変わり、

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 最後には国のシンボルたる白椿が無くなります。

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 これは隣国へ本国のシンボルを持ち込まない王族の儀礼でしょう。

 

 しかし、最後にアルベルタは白椿の生花をシャルロッテの髪に差します。

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 まるで、シャルロッテへの返事に『その白椿が枯れるまでの間だけはね』と伝えているかのように感じてしまいました。

 

 ここまで書いてきてなんですが、ずっと思っていたんです。アルベルタと離れたくないという想いは、理由をこじつけて語るものなのかと。沢山の理由を剥ぎ取った、最後に残ったむき出しの欲を叫んでほしいと。

 

 だから、嬉しかったんです。

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ダミアン様の元へ嫁ぎたい。でも、国を離れるのは嫌。でも、本当に嫌なのは、他の誰でもなくお前と離れることなのよ。

 苦しませていた不安が取り除かれ、アルベルタと離れたくない理由が消えた今、ただ純粋に「お前と離れるのが嫌なのよ」と言ったことが。

 そしてその返答にアルベルタが白椿の生花を与えたことが。

 

 ダミアンとシャルロッテの庭園での一幕は、二人だけの世界のようでいて、その実覗き見るようなアングルで描かれていました。現にヴァイオレットは二人のやり取りを見守っていました。

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 しかし、シャルロッテとアルベルタの一幕もまた同じように描かれていつつも、覗き見する人はおらず、本当の意味で『二人の世界』でした。

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 だからこそ、母の愛を侍女の仮面で覆っていたいたアルベルタも、想いがあふれてしまったんだと思います。

ヴァイオレットと第5話

 今回の第5話はゲストキャラクターの物語色が強かったため、ヴァイオレットはあくまで自動手記人形としてシャルロッテを支える役…という印象を受けやすかったです。

 しかし、何度か見てみて、自動手記人形ではなく一人の少女としてのヴァイオレットにとって、とても重要な回だったと思いました。

 

 シャルロッテ姫には、彼女が妃のお腹の中にいる時からお世話をする侍女のアルベルタがいました。シャルロッテとアルベルタには血の繋がりはありません。しかし、二人の関係に名前を付けるなら、私は『親子』だと思うのです。

 絶対的な家族の証明である血の繋がりが無くとも、14年間過ごした時間の中で育みあってきた愛情があれば、それは間違いなく家族と言えると思うのです。

 そしてもうひとつ、シャルロッテ姫は隣国の王子であるダミアンに恋をしていました。二人は四年前に出会い、白椿の庭園で二人は二言ほど言葉を交わし、ダミアンが頭を撫でただけで、それ以来二人は会っていません。しかし、シャルロッテはダミアンに手紙で伝えます。

 わたくしはそのたった一度を、ずっと宝石のように大切にしてきたのです。

 その後も手紙のやり取りを続けた二人は両国民に祝福されながら幸せな結婚をし、夫婦になります。 ダミアンと過ごした時間はたった一瞬だったとしても、その瞬間を大切にし、心の中で想い続けることで、それは家族たり得る強固な繋がりになるのです。

 

 血は繋がらなくとも親子たり得る。長い時間一緒に居られなくとも、想い続ければ絆は深まる。それは、ヴァイオレットにも言えることなのです。

 ギルベルト少佐はヴァイオレットにとって大切な存在ですが、今は彼女のそばにはいません。しかし、ヴァイオレットはいつも少佐を思い続けています。少佐は今どこにいるのか。少佐の愛してるの意味はなんなのか。ずっと、探し続けています。

 戦争の道具と、その上司という関係だったかもしれない。それは咎められるべきなのかもしれない。そして、もう少佐は亡くなっているのかもしれない。けれど、今ヴァイオレットは「愛してる」を知るためにを知ろうとしています。沢山の人の優しさに触れて、沢山の人の笑顔や涙に触れて、彼女はギルベルトへ歩み寄ろうとしているのです。

 ギルベルトが残した「愛してる」は心を知らないヴァイオレットのこれからを照らすみちしるべだと思っているのですが、それと同じくらい、心を知ったヴァイオレットが本当の意味でもう一度ギルベルト少佐の元へと戻るためのみちしるべのようにも思ってしまうのです。

 心を知って、愛してるを知った時、ヴァイオレットはもう一度ギルベルトに会えると思うのです。(会えるといっても、ギルベルトが生きていてヴァイオレットと再会できる、という事を言っているのではなく、ヴァイオレットが知っているギルベルトの奥にいる、ヴァイオレットには理解できていなかったギルベルトの姿を本当の意味で理解できた時をさしています。)

 

 しかし、そのためには乗り越えなければならないことがあります。それは『人を殺めてきた』という事実。心を知るということは痛みを知るということで、その『痛み』は物語の根幹を成すとても重要な問題だと思います。

 

 変えられない過去の過ちに対して、心を知ったヴァイオレットが何をするのか。

 その問題提起を印象強く残すために、自動手記人形として最高の結果をつかみ取り一瞬ではありますが笑顔を取り戻せたヴァイオレットとシームレスで、ディートフリートと過去の回想を登場させたのではないでしょうか。

 

 いやー……次回以降のお話が気になって仕方がありません。

 

 沢山の困難を乗り越えて、ヴァイオレットが知らなかったギルベルトと、心を知ったヴァイオレットがもう一度出会えることを願いつつ、今回はこの辺で感想を終わりたいと思います。 

 

 今回も本当に素敵な物語でした。

 

 

 

 

 

 P.S.

 今までは『手紙』というと、言えなかった想いを届ける一方通行のものとして描かれていたヴァイオレット・エヴァーガーデンでしたが、今回は『やりとり』として描かれていたのが凄くよかったです。やっぱり手紙は送って、返ってくるものなんですよね。

 ヴァイオレットは代筆として送る側ですが、いつか誰かから手紙を貰える日が来たら、こんなに嬉しいことはありませんね。

 

 以上、ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

いつの日か、自分を愛せるように【ヴァイオレット・エヴァーガーデン】4話感想

 『嘘』とは『真実』を隠す行為。大切な相手が心に傷を負わないように。大切な自分が傷つかないように。理由は様々ですが、人は少なからず嘘を吐きます。

 今回のキーパーソンであるアイリスもそう。

 彼女は見栄を張る癖がありました。『見栄を張る』とは、からっぽの自分、自信の無い自分を『言葉』で着飾り隠す行為。言葉の意味は陳腐で軽く、響かない。しかし、悪口を言い、見栄を張り、嫌なことがあると泣き叫ぶアイリスは、この作品内で一番『人間くさい』キャラクターだと思うのです。

 今回はそんな感情豊かなアイリスと、感情が乏しいヴァイオレットの対比がたくさんのことを教えてくれました。

 さて、4話の物語はアイリスに指名が入るところから始まります。しかし、彼女は指名に舞い上がり階段から落ち、腕を怪我してしまう。タイピングができなくなったアイリスの出張に同行する形で乗った蒸気機関車の中で、ヴァイオレットは彼女の故郷についてこう言いました。

カザリは山の中腹にある村で、酪農と農業が主な産業なのですね。

他には、取り立てて語る特徴も歴史もありません

悪かったわね!何もなくて!

悪くはありません。

価値のある何かが存在すると、事件や略奪が起こります。

 価値のある『何か』は無いと言ったカザリの村。奪う価値が無く、争いが無いことに価値が有ると判断するヴァイオレットの思考の裏には、戦争が如何に凄惨なものであるかを匂わせており、胸が苦しくなりました。

 しかし、カザリには何も無くはなかった。その村には、ヴァイオレットの世界が広がる『沢山の出会い』が待っていました。 そんなヴァイオレットの心が色付き始めた軌跡を、4つのトピックスで少し振り返ってみます。

 

言葉を重くするもの

 カザリに降り立った二人はアイリスの家族の出迎えを受けますが、発覚するのはアイリスの母親が娘に会うために虚偽の名前で依頼をしたという事実。母親がアイリスに依頼した手紙とは、彼女自身の『誕生会の招待状』でした。そしてその誕生会は、アイリスの結婚相手探しの意味合いも込められていました。

 都会に出てしまって会えなくなった娘を呼ぶことに成功した母親は、いたずらっ子のような笑顔を見せます。しかし、この行為はアイリスの仕事を侮辱する行為に他なりません。

 愚痴が多いアイリスですが、手紙や自動手記人形の仕事が好きなのは事実。怒るのは当然でしょう。しかし、それはあくまで『アイリスの視点』なら。母親から見たアイリスは、家族へ『見栄』という嘘を吐いていました。

 

「自分はライデン1の人気ドールだ」

「自分は花形自動手記人形だ」

 

 実際に顔を合わせない距離、文字でしかやり取りできない距離を良いことに、アイリスは自分を着飾り続けます。そんな文章は軽いだけ。仕事への真剣さが伝わってこない。

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 だから母親はアイリスの仕事と真剣に向き合わないのです。

貴女は一人娘なんだもの。

こっちに戻ってきて結婚してほしいのよ。

ドールは辞めて、こっちで私たちと…

 そして、アイリスの真剣さが分からないからこんなことさえも言ってしまえる。

 アイリスが張り続けた『見栄』と母親の自分勝手な『親心』の二つが、最悪の形で実を結んでしまうのです。アイリスがもし「まだまだ未熟だけど、本気で頑張ってみたい」と母親に一言伝えていれば、今回の問題はそもそも起きていなかったでしょう。

 しかし、二人の仲は拗れるばかり。

 母親と娘と言う近しい関係性が、喧嘩して素直になれない気持ちが、『言葉』をとても言いにくいものにしてしまうのです。

『愛してる』の重さ

 アイリスにはエイモン・スノウという幼馴染がおり、彼はいつも親切で、優しくて、アイリスはエイモンの事が好きでした。

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 しかし告白は失敗。振られた羞恥心から、彼女は「ここから消えたくなった」と言っています。

 彼女が見栄を張ってしまうのは、この失恋が原因なのではないでしょうか。ずっと好きだった人に拒絶された時の心境は『自分のことを根底から否定された』と思ってしまっても仕方がないと思います。自信を持てない自分が嫌で、そんな自分が恥ずかしくて、本当の自分を隠したくなったのではないでしょうか。

 しかし、アイリスの失恋は彼女の自信を奪うだけではありませんでした。大きな痛みと引き換えに、『愛してる』は彼女に大きな力を与えました。

 それは、『この町から消えてしまいたい』という気持ち。一見マイナスに思えるこの気持ちひとつで、彼女は苦手な文字の読み書きを習得し、自動手記人形になれたのです。その事実は『嘘』でも『見栄』でもなく、アイリスの『努力の証』なんですよね。

 そんな彼女は今、本気で頑張りたい仕事に就くことが出来ています。力不足に悩みながらも、やりがいを感じる日々に身を置いています。色恋に振り回され、自信が無い辛さを感じ、それでも進み続けています。

 そんなアイリスだからこそ、きっと彼女は『良い自動手記人形』になれると私は思いました。

 それは少しずつ積み重なって

 そんなアイリスの吐露は、聞いたヴァイオレットにとって少佐から「愛してる」を貰って以来二度目の『愛してる』との邂逅となりました。

 ヴァイオレットにとっての原動力は『少佐の「愛してる」を知りたい』という想い。その想いを叶えるため、彼女は二度目の生を不器用なりに歩き始めています。しかし彼女はまだまだ『人の気持ちがわからない』。

申し訳ありません。

少しは理解できるようになったと思っていたのですが、人の気持ちはとても複雑で繊細で、誰もが全ての思いを口にするわけではなく、裏腹だったり、嘘を吐く場合もあり…。

正確に把握するのは、私にはとても困難なのです。

 それもそのはずですよね。だって、私たちですら完全には分からないですもの。だから話し合ったり、喧嘩したりするんです。知らないなら、理解できないなら、できるようになるまで頑張ればいいんです。

『愛してる』は、それほど重い言葉なのですね。

拒絶されると、消えてしまいたくなるほど…。

あの時の少佐も、そうだったのでしょうか。

 だからヴァイオレットは『知らない』で終わらない。彼女は『知らない』からこそ『知りたい』と頑張ってきました。まだ『愛してる』は分からなくても、歩き始めた時間の中で気付けたことがあるのです。

 それは『本当の心を言葉として伝えることはとても難しい。そして時と場合によって、言葉はとても言いにくくなることがある。』ということ。

 これはルクリアと過ごした日々で彼女が気付けたこと。だからあの時ヴァイオレットはアイリスにこう言えたのでしょう。

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ご両親にも、アイリスさんの本当のお気持ちをお伝えしてはいかがでしょうか。

手紙だと伝えられるのです。

素直に言えない心の内も伝えられるのです。

 ヴァイオレットは嘘を吐くことができず、本心からの言葉しか口にしません。それは今までの彼女の言動を見れば明らかです。そんな彼女が言うのです。手紙の力を信じて言うのです。だからアイリスは両親への手紙を書こうと思えたのではないでしょうか。

貴女の名に願いを込めて

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 嘘を吐き、見栄を張ったアイリスは水たまりを踏み、靴は泥に汚れてしまいました。

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 自分の本当の気持ちを喚き散らした時、ヴァイオレットに手紙の代筆を頼んだ時、彼女は裸足でした。

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 そして、帰る直前の彼女はまたしても水たまりを踏んでしまいます。

 序盤のアイリスは自動手記人形の衣装に誇りを持っていて町の皆に見せびらかしたいという風に言っていましたし、何度も映る足元の画から『靴』、『泥』、『裸足』は彼女の心境を表しているのかな、なんて思いました。

 序盤はあれだけ自動手記人形の衣装を~と言っていた彼女ですが、最後に水たまりを踏んだ時に『これも私らしいかな』と自嘲気味に笑います。

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 その表情はまるで諦めのようで、自分を卑下しているようで、見た瞬間は胸の奥が苦しくなりました。この時はまだ、アイリスはアイリス自身を好きにはなれていないんです。カザリに来た時と帰る時では『取り繕っていた』か『さらけ出したか』の違いだけで、アイリス自身は特段変わっていないので当然と言えば当然ですが。

 けれど、両親は彼女が生まれた時からずっと伝えていたんですよね。アイリスが大好きだよ、と。この花のような人になりなさい、と。両親のアイリスへの愛は何万文字書いても書ききれないのかもしれません。けれど、たった一言でも彼女に伝えることが出来るのです。

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誕生日おめでとう、アイリス。

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 そんなアイリスの花言葉は『恋のメッセージ』、『吉報』。自動手記人形として改めて一歩を踏み出すアイリスに、これほどピッタリな名前はありませんね。

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 そして帰りの汽車の中、アイリスの言葉でヴァイオレットの記憶がフラッシュバックします。思い出したのは、いつかの少佐と幼いヴァイオレット。

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 蝶の軌跡を追いかけた少佐の視線。あるのは大砲。そしてタイヤの下にひっそりと咲くスミレの花。

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 残酷ですよね。彼女に名前を贈ろうとしている時にさえ『罪のメタファー』を置いておくなんて。

 しかし、ギルベルト少佐は大砲なんて意にも介さず、彼女にヴァイオレットという名を与えます。

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 ヴァイオレット、花言葉は『愛』。

 ギルベルト少佐が残したものは、現時点では『緑のブローチ』と『ヴァイオレットの名』だけ。しかし、この二つはヴァイオレットにとってのみちしるべなんだと思うのです。

 『どこかへ向かう為のみちしるべ』ではなくとも、ヴァイオレットが『これから先の未来を歩いていく為のみちしるべ』なんだと思うのです。

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 ギルベルト少佐のこの願いがいつか本当に叶う日を願って、今回はこの辺で終わりたいと思います。

今回のヴァイオレット・エヴァーガーデン第4話も、本当に素敵なお話でした。

 

 

 

 

未来への 願いを込めた みちしるべ

あなたの色で 彩り咲かせ

4thで思ったこと置いときます。【Aqours 4th LoveLive!~Sailing to the Sunshine~感想】

1stライブの時は、これ以上の体験はできないかもしれないと思った。

2ndライブの楽しさは、人見知りの僕が『友達』を作るきっかけになるほどのチカラがあった。

3rdライブは感情が燃え尽きるんじゃないかって程泣いて、Aqoursのパワーに圧倒された。

 

どのライブも、終わった瞬間に口から出た言葉は「最高」だった。けれど、今回の4thは今まで感じたことが無いほどの「最高」があった。

それは他と比べて今回がよかったのではなく、今まで積み重ねてきた『最高』があったからこそのものだったと思う。

ちょっとだけ振り返ってみる。

 

君のこころは輝いてるかい?

以前、メルパルクで泣いた伊波杏樹さんがいた。

1500人の会場に人がいるか不安だったと言っていた。

その彼女が、同じ曲の衣装で6万人に囲まれて笑顔で歌っていた。

それが言葉に出来ないくらい嬉しかった。

 

決めたよHand in Hand

アニメのダンスは、まだスクールアイドルを始めたばかりの女の子がイメージした最強にキラキラした自分。

歌われている想いは、そのイメージした自分になりたいと足掻く自分。

変われ変われ!と歌い続けるということは、まだ変われていないということだと思う。変われていないからこそ、変わりたいと願うんだと思う。

その満たされないからこその願いのチカラが、千歌の前進のチカラなんだと思う。だから僕は、『今』のHand in Handが見たかった。

たくさんの経験を通して変わってきた千歌ちゃんと伊波さんの「決めたよHand in Hand」が見たかった。

満を持して見たその曲は、アニメと遜色なかった。

いや、アニメよりも生き生きしていて、それでいてとても洗練されていたように思えた。

千歌ちゃんのイメージした最強の自分よりも、今の2人は輝いていた。

 

想いよひとつになれ

各学年曲の衣装が似ていたこともあって、予想はできていた。

ピアノがある。壇上にひとりだけ、逢田梨香子さんがいる。多少の違いはあれど、あの時のリフレインだと思った。

頑張れって叫んだ。息を飲んだ。逢田さんがピアノを弾き、曲が始まった。しかし彼女は演奏を止めてしまう。その時に気づいた。

リフレインじゃなかった。

手を離し、席を離れたのに、ピアノの音は鳴り続けた。僕の目はAqours8人の元へ駆けていく彼女ではなく、ピアノに釘付けだった。演出なのかと頭が理解する前に、思ってしまった。

『逢田さんが9人で歌うために、梨子が力を貸してくれている。今あのピアノを弾いているのは桜内梨子だ。』

『1stの逢田さんが今の彼女自身に力を貸している。今弾いているのはあの時ミスして挫けかけて、それでも弾き切った彼女の過去の時間そのものだ。』

気がついたら、想いよひとつになれは大歓声の中終わっていた。

覚えてるのは、アニメの千歌と曜の間にある『空白』と、現実では逢田梨香子さんが『いる』ことの対比がすごくキマッていたことと、アニメでは千歌を中心に4人と3人というラストだったあの瞬間が、現実のAqoursではシンメトリーだったこと。

その光景を見た時に、僕の中で「想いよひとつになれ」に感じていた『言葉に出来ない何か』が腑に落ちた気がした。

 

未熟Dreamer

未熟Dreamerでは心から笑う諏訪ななかさんがいた。

大好きな人の為に大好きなことを我慢し、遠ざけた果南の『もっと先』を感じた。

アニメ内で報われ、それを2次元から3次元にした1stの時は震えるほど感動したけれど、ただ純粋に心からの笑顔で歌う諏訪ななかさんを見て、果南にとってのこの曲は『心の底から楽しんで歌える曲』になったんだと思った。

 

サウンドトラックと風の話

スクリーンを割って現れた船に乗ってAqoursが登場し、Day1では『MIRAI TICKET』、Day2では『WATER BLUE NEW WORLD』が歌われた。

だけどその前に、少しだけサウンドトラックの話をしておきたい。

 

加藤達也氏の奏でてきた音楽は、アニメの作中ではサウンドトラック以上のチカラがあった。Aqoursの背中を押す追い風のように思えてしまう程だった。

MIRAI TICKETとWATER BLUE NEW WORLDの前に演奏されたサウンドトラックは「ありがとう、そしてサヨナラ」と「起こそうキセキを!」だったけれど、その後ろで流れていたアニメ映像は『風』のシーンが多かったように思う。

千歌がμ'sと出会うキッカケになった、チラシを吹き飛ばした風のシーン。

廃校が決まり、道を見失いかけた千歌の元に吹かれて飛んできた半透明の白い羽が、自らを青く染め、風を受けてまた太陽へと飛び立っていったシーン。

突きつけられた0の結果の紙を走る力に変えて突き進んできた千歌が、「ありがとう、ばいばい」と風にその紙を渡したシーン。

加藤達也氏の心が込められた『音』が、浦の星交響楽団が奏でた『音』が、Aqoursの推進力になっているように見えた。心が込められた素敵な音は、船の帆を張る風になってAqoursの進む『力』になるのかなと思った。

僕には素敵な音楽を奏でることは出来ないけど、ありがとうと叫ぶことと、歌って!と言われた曲を一緒に歌うことは出来る。喉も限界で、ガラガラ声の汚い音だけど、僕は声の限り想いを叫ぼうと思えた。

 

MIRAI TICKET

こんなMIRAI TICKETがあるんだと思った。

私たちのことを知ってほしい。内浦のことを知ってほしい。浦の星女学院を知ってほしい。今まではそういったメッセージ性が強かった。だけど、今回のMIRAI TICKETは違った。

ただただ楽しかった。Aqours皆が楽しそうだった。元々"強い曲"だったけれど、物語性を度外視した純粋なMIRAI TICKETのパワーに圧倒されてしまった。

彼女たちが歌った『僕達だけの新世界』、それは今目の前にあると思った。そして、彼女たちはそれすらも超えていくんだとも。

だけど、僕は新しいものを見た感動、これからへのワクワク感の中に、少しだけ寂しさを感じた。船が往く。往ってしまう。大好きだった物語と、その感動を内包したMIRAI TICKETか本当に好きだったからこそ、その先の新世界へと進んでいく新しいMIRAI TICKETが少し寂しかったんだと思う。

今まで感じたことが無い感情に飲み込まれているうちに、彼女たちの巨大な船は僕にかまわず進んでいく。大好きな音楽と一緒に僕の横を通過してしまう。だけど、それでいいと思えた。

今までもそうだった。涙が止まらなくなるほどの感動を。胸が張り裂けそうになるほどの悲しさを。教えてくれたのは彼女達だった。思い出させてくれたのは彼女達だった。

自分の心のキャパシティを超えるほどの感情を毎週ぶつけられた僕がしてきたのは、文字を書いて自分の中身を整理することだけ。

僕は僕なりの方法で、彼女達と、そして自分と向き合っていけばいい。そう思えた。

 

No.10

No.10は心を込めて歌った。「ありがとうじゃ足りない」という言葉はよく聞く。文字の意味も分かる。けれど、僕はあの日初めて自分の実感として理解した。

この感情なんだと。胸の中のこの気持ちを全部伝えたいのに、ありがとうの五文字じゃ伝えきれないことが本当に悔しかった。この気持ちをそのまま伝えられたらって本気で思った。だけどそれはできないこと。だったら、本気の本気で腹の底から「10!」って叫んでやろう。僕は限界の喉を無視して叫んだ。

コールを叫ぶ時はいつも、僕の耳には音楽と自分の声、あとは周りのガヤガヤとした音が聞こえる。だけど、あの瞬間は違った。「10!」という音の衝撃が上から降ってきた。空間が揺れるってこういうことを言うんだと実感した。

Aqoursが好きって気持ちが、ありがとうって気持ちが、楽しいって気持ちが、あの巨大な空間を揺らすほどのエネルギーになっていた。僕らがAqoursに届けられるのは熱い想いしかないけど、それでもこれだけのエネルギーになるんだ。

貰って、渡して、また貰って。Aqoursと織り成す『みんなで叶える物語』ってこれなのかも、なんて思った。

 

Thank you, FRIENDS!!

No. 10では『言葉じゃ伝え切れない』と思ったけれど、Thank you, FRIENDS!!は逆だった。

僕はずっと一緒にAqoursを応援してきた友達と連番した。僕はそいつへの感謝を込めて歌った。一緒にここまで来てくれてありがとう、楽しい時間をありがとう、これからも楽しいことしていたいんだよって気持ちを込めた。

それはAqoursへの想いよりも大きかったかもしれない。他の人とは楽しみ方、想いの乗せ方が歪んでいるかもしれない。だけど、僕は『こいつもきっと同じことを思ってるだろうな』と思った。

Aqoursへの気持ちは『言葉じゃ伝え切れない』けど、あいつへの気持ちは『言葉が無くても伝わってる』、『俺もあいつも同じことを思ってる』と本気で思えた。

それが、多分1番の収穫だった。

 

びっくりなプレゼント

ライブとはあまり関係ない話を最後にする。

 

僕には数える程度だけど友達がいる。昔はもう少しいた。だけど、時間の経過と共に少しずつ関係は薄れていった。そうして最後に残ったのは、苦楽を共にした高校時代の友人と、ラブライブを追って今も繋がっている親友だけ。

そして今大切に思っている友人達も、ラブライブAqoursを追っていなければここまで会いに行くことも、顔を合わせることもなかったと思う。

今こんなにも楽しく日々を過ごせているのは、そして友達とアホみたいなことを話しながら思い出を積み重ねていられるのは、Aqoursのお陰だと思う。

部活のような、修学旅行のような、夢のような時間。きっとそれは僕のもう1つの『青春』なんだろうなってぼんやりと思う。

僕の楽しみ方は歪んでるだろうけど、歪ながらも一緒に追いかけてくれる仲間がいる。そして、純粋なAqoursの魅力を語り合えるタイムラインの皆がいる。

そんな今が最高に楽しいし、これからの展開を皆で追いかけ続ける想像をするだけで、ワクワクが止まらない。また楽しい日々が始まる予感で、僕は笑顔が止まらない。

1人でμ'sを追いかけていた時は思いもよらなかった。

僕にとっての『ビックリなプレゼント』。

それは皆さんなのかなーなんて思いました。

皆さん、これからもよろしくね~~~💪笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.

あの時お前に「μ'sのFinalのLV行かね?」って言えて本当によかった!!!!!!!!

【FGO】第六特異点 神聖円卓領域 キャメロットを振り返る【僕のカルデアの記憶】

 先ほど第六特異点の人理修復が完了しました。

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 Fateにわかオタクのへたくそfgoプレイ日記&シナリオ感想ですが、どうか気を抜いて読んでいただけると嬉しいです。

 

宝具の評価

 特に名シーンが多い六章で、僕が一番好きだったのは『俵藤太の宝具で宴をする』シーン。藤太の宝具である『無尽俵(むじんだわら)』が「対宴宝具!美味しいお米が、どーん、どーん!」の掛け声とともに、村ひとつの飢餓を救うほどのお米を発生させたあの瞬間は、誰もが笑顔と喜びに満ち溢れていました。

 倒す宝具、護る宝具は数あれど、”満たす”宝具、戦わずして救う宝具があることを知ったマシュが、微笑みながら「あの宝具のランクはEX」と言い切ったこと。

 それが本当に嬉しかったです。

 藤太…好きだ…

 

『記録には残らなくても意味は残る』

 鮮烈に、苛烈に、激動の時代を生きた英雄たちは、何も知らない真っ白なマシュに、自分の人生で積み重ねてきた想い、培ってきた考えを言葉で伝えます。

輝くような悪人も、吐き気を催す聖人もいる。

だから君も、自分の未来を恐れる必要はない。

それが人間になるってコトだ。

(引用:第一特異点-アマデウス

望みはもう持ってるよ、マシュ。

アンタは自分がやりたい事をよく分かってる。

人間、誰だって望みは持っているんだよ。

望みが無い人間は生きていられないからね。

アンタはそのままでいい。

何がしたいのか、何をするために最期までその盾を振るうのかってね。

(引用:第三特異点-ドレイク)

わたしはその為に戦ったのです。

今までも、これからも。

だから貴女が後ろめたく思うことはありません。

私は私の目的の為に。

貴女は貴女の目的の為に、これからの時間を生き続けなさい。

限りなく現実を睨み、数字を理解し、徹底的に戦ってこそ願ったものへの道は拓かれる。

嗚咽を踏みにじり、諦めを叩き潰す。

それが、人間に許された唯一の歩き方です。

(引用:第五特異点-ナイチンゲール

とにかく、あたしの行動にあんまり理屈はないの。

やりたいことをやりたいようにやるだけ。

ううん、やるべきだと感じたことを、胸を張って信じてるだけ。

貴女も同じよ、きっと。

(引用:第六特異点-玄奘三蔵)

 特異点を修復すると、その場所で起きた全ての事象は元通りになる。ということは、"英雄たちがマシュに自分の想い、言葉を伝えた"という事実も無かったことになる。

 けれど、マシュはその言葉のひとつひとつを大切に、心に刻んで冒険を続けています。たとえ記録には残らなくとも、その記憶はマシュの心に残り、次の特異点へと活かされていく。そして生き方を、考え方を変えていく。

 特異点で出会った全てのサーヴァントはその時代に落ちてきた影法師だけれど、 『未来を作れない自分たちでも、未来の担い手のマシュを支える力になれたら』、そんな願いが込められていることがとても愛おしかったんです。

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 この一幕が、本当に大好きです。

 

英雄の散り様生き様

 サーヴァントは元々死した英雄。やられても座に還るだけ。それは分かってます。でもつらいものはつらい。今回の第六特異点も本当につらかった。

 三蔵ちゃんとの会話であった『サーヴァントは二度目の生を受けてどう思うか』という話題に、彼女は「こんな幸運は二度とないと思う」と答えました。続いて『だからこそどう生きるか』についても触れました。

 二度目だからこそ、一度目の失敗を払拭するように生きるのか、それとも前と変わらず自分自身を貫くのか。それは自分で決めることだと。

 そんなアーラシュも三蔵ちゃんも、皆を生かすため、護るために自分の命を投げうちます

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 それは『死』を選んだんじゃなくて、自分自身の『生き様』を守った結果で、自分が自分のまま、胸を張れる生き方を選んだ結果なんだと思いました。

  三蔵ちゃん…好きだ…

1500年の理由

 アーサーの変質はベディヴィエールにありました。

 彼が聖剣を湖へ返還することが出来ず、アーサーは死ぬことが出来なかった。

 忠節の騎士は『王の存命』を願ってしまった。ただそれだけのことで、アーサーは聖槍を手に獅子王となり、最後には女神ロンゴミニアドになった。

 

 そして始まった聖抜と聖罰。

 残酷で、非道なまでに降り注ぐ裁きの光。

 

 獅子王は騎士王の偽物だとベディヴィエールは言いました。

 けれど、獅子王は言いました。

そうだ。告白しよう。

私はずっとそうしたかった。

お前たちを愛している。

お前たちが大切だ。

だから、お前たちを失うことに耐えられない。

私はお前たちに永遠を与えると決めた。

この先、どれほどの時間が積まれようと、永遠に変わらぬものとして、我が槍に収める。

(引用:第六特異点-獅子王)

 歪んではいるけれど、この根底にある思いは『人を愛している』というもので、それは騎士王アルトリア・ペンドラゴンにも通ずるものだと思うんです。

 騎士王はstay/night世界で『王の選定』のやり直しを願っていました。それは自分では守れなかった人々を守りたかったから、末永いブリテンの存続を願ったからです。

 

 今回の第六特異点は、究極の騎士道のなれの果てだと感じました。

 

 そんな獅子王に聖剣を返還するべく、ベディヴィエールは1500年も地上をさまよい続けました。

 彼は聖剣によって生かされています。聖剣を返還するということは、ベディヴィエールは必ず死んでしまうということ。そして聖剣を返せたとて、特異点が消えてしまえば全ては無かったことになる。つまり、達成しても達成せずとも最後の結果は変わらず、ベディヴィエールは死に至るということ。

 少しだけ個人的な話をすると、僕は努力が無意味に終わることにとても恐怖を感じる人間です。これやる意味あるのかな、ここまで頑張ってきて最後の最後に意味が無いってなったら嫌だな、怖いな、と思ってしまうんです。

 だからだと思うのですが、ベディヴィエールの1500年の旅に想いを馳せるだけで、僕は背筋が凍ってしまいました。無意味に終わる可能性しかないような贖罪が動機で1500年の苦しみを背負うなんて、そんなのは辛すぎるから。

 僕は、ベディヴィエールの旅を絶対に無駄になんてさせてたまるかという思いでラストバトルに臨みました。

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 戦いが終わり、これで良かったんだよな…なんて思っていましたが、獅子王に『なぜここまでするのか』と問われた時、最後にベディヴィエールが言った一言で心からホッとしたんですよね。

それは、あの日の貴方の笑顔を、

今も覚えているからです、アーサー王

(引用:第六特異点-ベディヴィエール) 

 きっとベディヴィエールは、暗黒の時代のブリテンをたった一人で背負い、救い、誰かの為に微笑むくせに自分の為には一度も笑わなかったアーサー王を、救いたかったんだと思うのです。そして、自分の為に笑ってほしかったんだと思うのです。

 『自分の贖罪の為』だけではなく、『大切な人の笑顔の為』にという想いが、ベディヴィエールが歩く事を止めない理由になるのかなと思いました。

 

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この笑顔が見たくて、僕も頑張れました。

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良かったね、アルトリア。

良かったね、ベディヴィエール。

二人とも大好きだ…( ̄^ ̄゜)

 

 

 

生きる意味

 ベディヴィエールは英雄ではなく、人間でした。彼は聖剣の力で生きたまま、1500余年の旅の末に聖剣を返還し、その生涯を終えました。

 そうして、カルデアにやってきてくれた。それはつまり、人理に、地球に、彼の生き様が認められたということ。それが本当に嬉しかったです。

 また、ロマンの言葉が頭を過りました。

意味はあるものではなく、あとからつけられるものだからだ。

意味を持たないまま人間は生まれ、育ち、寿命を迎える。

そうして終わった時にようやく、その生命がそういうものだったのか、という意味が生まれる。

僕等は意味の為に生きるんじゃない。

生きたことに、意味を見出すために生きているんだ。

(引用:第六特異点-ロマニ・アーキマン)

 それはベディヴィエールに言えることで、今まで一緒に戦ってきたサーヴァント全てに言えることだと思います。

 胸を張って、やりたいことをやり切って、そしていつか死んだ時に初めて生きた意味が分かる。心からやりたいこと、行動の根底にある思いが"本物"であるなら、存在の真偽はあまり関係ないのかもしれません。

 そして、それはマシュにも言えることです。

 デミ・サーヴァントは、非人道的な実験の末に生まれたものですし、契約の形としては歪なものかもしれません。けれど、マシュには心から望んでいること、やりたいことがあります。

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 それは初めから変わらず、ずっと伝えてきてくれていた事でした。

 マシュの口から改めて言ってもらえたことが、とても嬉しかったです。

  やっぱりマシュが一番好きだ…

 

終わりに

 今はもう第七特異点も修復が終わり、残すは終局特異点のみとなりました。

 1.5部、2部と続くのは知っていますが、マシュとの旅の一端の区切りという事で、振り返りの意味も込めて、第六特異点をプレイしてみての感想や思ったことを書きなぐってみました。

 第7特異点の振り返りもしたら、ついにソロモンに挑みます。

 長かった旅もここまで来ました。

 最後まで頑張ります!

 ここまで読んでいただきありがとうございました!

 また読んでくれたら嬉しいです!